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ルカの福音書(42)12人の派遣9:1~6
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12人の派遣について学ぶ。
ルカの福音書 42回
12人の派遣
ルカ9:1~6
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)
②ルカ9:1~50は、そのクライマックスである。
③エルサレムへの旅(ルカ9:51~19:10)へのブリッジである。
④ルカ9:1~50の中心テーマは、弟子訓練である。
⑤これまでは、イエスの奉仕は民衆を対象としたものであった。
*イエスは、力と恵によってご自分がメシアであることを証明された。
*12人は、イエスのお供をする人たちであった。
⑥ここから、12人に対する弟子訓練が始まる。
*教会時代への準備が始まる。
(2)弟子訓練の内容
①ご自分が何者であるかについて教える。
②メシアの受難について教える。
③弟子として受ける苦しみについて教える。
(3)ルカ9:1~17の内容(サンドイッチ構造)
①12人の派遣(1~6節)
②挿入句的エピソード(ヘロデの心理状態)(7~9節)
③12人の帰還(10~17節)
2.アウトライン
(1)12人の派遣の目的(1~2節)
(2)派遣に際しての指示(3~5節)
(3)12人の奉仕の要約(6節)
3.結論
(1)聖句の適用に関して
(2)弟子訓練に関して
12
人の派遣について学ぶ。
Ⅰ.12人の派遣の目的(1~2節)
1.1節
Luk 9:1
イエスは十二人を呼び集めて、すべての悪霊を制して病気を癒やす力と権威を、彼らにお授けになった。
(1)イエスは12人に「力」と「権威」を授けた。
①力(デュナミス)-悪霊を制して病を癒す能力
②権威(エクスーシア)-その力を行使する権利
③この2つを挙げているのは、ルカだけである。
④他の福音書では、「権威」だけが出てくる。
(2)ルカの福音書における「力」と「権威」の使用例
①カペナウムの会堂での悪霊の追い出し(ルカ4:36)
Luk 4:36 人々はみな驚いて、互いに言った。「このことばは何なのだろうか。権威と力をもって命じられると、汚れた霊が出て行くとは。」
2.2節
Luk 9:2
そして、神の国を宣べ伝え、病人を治すために、こう言って彼らを遣わされた。
(1)派遣する目的は、2つある。
①神の国を宣べ伝えるため
*神の国の王であるメシアが到来された。
*この方を受け入れて、救われよ。
*これが、この時点での福音の内容である。
②病人を治すため
*彼らが伝える福音の信頼性が証明される。
(2)ルカの強調点
①福音書でも使徒の働きでも、同じ強調点が見られる。
②福音の信頼性は、しるしと不思議によって証明される。
③偽教師たちも奇跡を行うことができた。
*彼らは、悪魔の力によってそれを行った。
*使13:6~10、19:13
④イエスの弟子なら、なおさら、イエスが行ったような奇跡を行う必要があった。
*12人には、すべての悪霊を制する力と権威が授けられた。
*また、病気を癒す力と権威が授けられた。
*イエスは、人々の魂の健康と肉体の健康に関心を払われた。
*12人も、イエスと同じ関心を持つ。
Ⅱ.派遣に際しての指示(3~5節)
1.3節
Luk 9:3
「旅には何も持って行かないようにしなさい。杖も袋もパンも金もです。また下着も、それぞれ二枚持ってはいけません。
(1)彼らは、神に信頼するように命じられた。
①身軽な姿で旅をすることが勧められた。
②つまり、茨の土壌になってはいけないということである。
③ルカ8:14
Luk 8:14
茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。
(2)持って行くことを禁じられたもの
①杖(短い旅なら必要ない)
②袋(物乞いするときの袋)
③パン(食物)
④金
⑤余分な下着(キトン。英語ではcoat)
(3)ここでは、小規模な伝道旅行が想定されている。
①短時間なら、このようなライフスタイルを維持することは可能である。
②ここでは、福音伝達の緊急性が示唆されている。
2.4~5節
Luk 9:4
どの家に入っても、そこにとどまり、そこから出かけなさい。
Luk 9:5
人々があなたがたを受け入れないなら、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。」
(1)イエスの弟子たちを自分の家に受け入れる人は、神の国を受け入れた人である。
①その人は、感謝を表すためにイエスの弟子たちをもてなすのである。
(2)家々を渡り歩いてはいけない。
①より良い条件の家を求めていると解釈されないために、同じ家にとどまる。
②渡り歩くことは、家を開いてくれた人に対する侮辱となる。
(3)歓迎してくれる家がない場合
①その町を出て行くときに、足のちりを払い落とす。
②これは、町の人たちに対する証言である。
③ユダヤ人の旅人は、異邦人の地を去るときに、足のちりを払い落とした。
④これは、異邦人の汚れを拒否するという象徴的な行為である。
⑤ここでは、不信仰なユダヤ人を拒否するという象徴的行為になっている。
⑥不信仰なユダヤ人を異邦人と同等に扱うという意味である。
(4)個人ではなく、町全体が拒否される。
①マタ10:14~15
Mat 10:14 だれかがあなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家や町を出て行くときに足のちりを払い落としなさい。
Mat 10:15 まことに、あなたがたに言います。さばきの日には、ソドムとゴモラの地のほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。
Ⅲ.12人の奉仕の要約(6節)
1.6節
Luk 9:6
十二人は出て行って、村から村へと巡りながら、いたるところで福音を宣べ伝え、癒やしを行った。
(1)奉仕の要約が簡潔に書かれている。
①2人一組になって派遣された(マコ6:7)。
Mar 6:7 また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。
②手本は、イエスの宣教である。
*村から村へと巡り歩いた。
*いたるところで福音を宣べ伝えた。
*癒しを行った。
(2)ルカは、弟子たちの宣教活動の内容よりも、イエスの教えを強調している。
結論
1
.聖句の適用に関して
(1)ここでのイエスの教えは、12人に向けられたものである。
①神の国の到来が、福音の内容である。
②短期間の宣教旅行が想定されている。
③力と権威の付与は、福音の信頼性を担保するために必要であった。
(2)教会時代の聖徒たちに、そのまま適用すべきではない。
①普遍的真理がどこにあるかを考える。
②イエスの弟子たちには、単純なライフスタイルが求められている。
③これが普遍的適用である。
④イエスの弟子であるなら、短い人生を身軽に生きるべきである。
2
.弟子訓練に関して
(1)ナザレでの拒否は、十字架の死のドレスリハーサルであった。
(2)短期伝道旅行での成功と失敗の体験は、教会時代の伝道のドレスリハーサル。
(3)自分の人生のドレスリハーサルとは何か、考えてみよう。
(4)やがて訪れる事態に対応できるように、神は私たちを訓練される。
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