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ルカの福音書(37)土壌のたとえ8:4~15
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土壌のたとえについて学ぶ。
ルカの福音書 37回
土壌のたとえ
ルカ8:4~15
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、数々の恵みの業を行われた。
②イエスは、罪の女の信仰を評価された(ルカだけ)。
③イエスに仕える女たちが登場した(ルカだけ)。
(2)イエスは、たとえを用いて教えられた(ルカ独特)
①ルカ8:4~21の内容
*土壌のたとえ(4~15節)
*燭台のたとえ(16~18節)
*イエスの母と兄弟たち(19~21節)
②今回は、土壌のたとえを取り上げる。
(3)共観福音書の中のたとえ
①マタイの福音書は、最も多くのスペースを割いている(13章)。
②マルコの福音書は、2番目に多くのスペースを割いている(4章)。
③ルカは、2つのたとえに限定している。
*神のことばを聞くこと、従うこと、伝えることの重要性を強調している。
2.アウトライン
(1)土壌のたとえ(4~8節)
(2)たとえを用いる理由(9~10節)
(3)たとえの解き明かし(11~15節)
3.結論
(1)土壌のたとえのまとめ
(2)土壌のたとえの重要性
土壌のたとえについて学ぶ。
Ⅰ.土壌のたとえ(4~8節)
1.4節
Luk 8:4
さて、大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。
(1)ルカは、このたとえが語られた背景を省略している。
①マタ13章とマコ4章では、場所はガリラヤ湖畔である。
(2)ルカが強調しているのは、聴衆の多様性である。
①大勢の群衆
②方々の町から
③多様な聴衆の中に、4種類の土壌を見いだすことができる。
④この節は、イエスの教えを聞く人たちへの警告になっている。
(3)このたとえの中心点
①種を蒔く人(イエスや弟子たち)ではない。
②種(神のことば)でもない。
③種が落ちた土壌(聞く人の心)が中心点である。
(4)当時の農業
①一般的には、土地を耕してから種を蒔いた。
②しかし、種を蒔いてから耕すこともあった。
③そのため、種はさまざまな土壌に落ちた。
④種を蒔く人は、種を手に取り、それをまき散らした。
2.5節
Luk 8:5
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
(1)道端に落ちた種
①その種は、人に踏みつけられた(ルカだけの表現)。
*ヘブ10:29
Heb 10:29
まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。
②その種は、空の鳥に食べられた(空の鳥は悪魔の象徴である)。
*創15:11
Gen 15:11 猛禽がそれらの死体の上に降りて来た。アブラムはそれらを追い払った。
3.6節
Luk 8:6
また、別の種は岩の上に落ちた。生長したが、水分がなかったので枯れてしまった。
(1)岩の上に落ちた種
①成長した。
②水分がなかったので枯れてしまった(ルカだけの表現)。
*土壌が薄い。
*エレ17:7~8
Jer 17:7 【主】に信頼する者に祝福があるように。/その人は【主】を頼みとする。
Jer 17:8
その人は、水のほとりに植えられた木。/流れのほとりに根を伸ばし、/暑さが来ても暑さを知らず、/葉は茂って、/日照りの年にも心配なく、/実を結ぶことをやめない。
4.7節
Luk 8:7
また、別の種は茨の真ん中に落ちた。すると、茨も一緒に生え出てふさいでしまった。
(1)茨の真ん中に落ちた種
①茨も一緒に生え出てふさいでしまった。
*ヘブ6:8
Heb 6:8 茨やあざみを生えさせる土地は無用で、やがてのろわれ、最後は焼かれてしまうのです。
5.8節
Luk 8:8
また、別の種は良い地に落ち、生長して百倍の実を結んだ。」イエスはこれらのことを話しながら、大声で言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
(1)良い地に落ちた種
①成長して100倍の実を結んだ。
*パレスチナでは、10倍の収穫が普通であった。
*マタ13:8
Mat 13:8 また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。
(2)イエスは、大声で言われた。
①「聞く耳のある者は聞きなさい」
②これは、たとえの最後に語る常套句である。
③霊的な人はたとえの意味を理解できる。
④そうでない人は、表面的な意味しか理解できない。
Ⅱ.たとえを用いる理由(9~10節)
1.9~10節
Luk 8:9
弟子たちは、このたとえがどういう意味なのか、イエスに尋ねた。
Luk 8:10
イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには、たとえで話します。/『彼らが見ていても見ることがなく、/聞いていても悟ることがないように』/するためです。
(1)弟子たちは、このたとえ(単数形)の意味をイエスに尋ねた。
①イエスは、その意味を解説する前に、たとえで教える理由を説明された。
(2)「あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されていますが」
①奥義とは、今まで隠されていたが新しく啓示された真理である。
②当時の人たちは、ギリシア人の神秘宗教のことを良く知っていた。
*その宗教には神秘(奥義)があり、入信した者だけがそれを知らされた。
③イエスを信じた者は、神の国の奥義を知るようになった。
(3)「ほかの人たちには、たとえで話します」
①イエスの弟子たちは、深い意味を理解することができる。
②弟子でない者たちは、表面的な意味しか理解できない。
*見ていても見ることがない。
*聞いていても悟ることがない。
Ⅲ.たとえの解き明かし(11~15節)
1.11~12節
Luk 8:11
このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。
Luk 8:12
道端に落ちたものとは、みことばを聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみことばを取り去ってしまう、そのような人たちのことです。
(1)たとえの意味の解き明かしが始まる。
①種は神のことばである。
②種が落ちる土壌は、聞く人の心である。
③豊かな収穫を得るためには、人間の側の応答が極めて重要である。
(2)道端に落ちたものが象徴している人とは
①みことばを聞いても信じて救われない人
②悪魔が、その心からみことばを取り去ってしまうので、救われない。
③みとばの内容は、イエスは神が人となられたメシアであるということである。
④ルカは、魂の救いに大きな関心を抱いていた。
2.13~14節
Luk 8:13
岩の上に落ちたものとは、みことばを聞くと喜んで受け入れるのですが、根がないので、しばらくは信じていても試練のときに身を引いてしまう、そのような人たちのことです。
Luk 8:14
茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。
(1)岩の上に落ちたものと茨の中に落ちたもの
①前者は、試練に遭って信仰を捨てる人たちである。
*極端な例は、迫害の中でいのちを守るために棄教する人たちである。
②後者は、別の関心事があって、信仰の成長が妨げられる人たちである。
(2)イエスは、彼らが救いを失ったかどうかについては沈黙している。
①最初から救われていなかった人たちがいる。
②救われているが、途中で信仰を捨てた人たちがいる。
*救われているなら、救いを失うことはない。
*救われている人は、実を結ぶ(外面的に観察できる性質)。
*実を結ぶまでに時間がかかる人がいる。
*生涯実を結ばない人もいる。
3.15節
Luk 8:15
しかし、良い地に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。
(1)良い地に落ちたものが象徴している人とは
①みことばに誠実に耳を傾ける。
②それをしっかりと守る。
③忍耐して実を結ぶ(人格的変化)。
結論
1.土壌のたとえのまとめ
(1)道端の心の人
①この人は救われていない。
(2)岩の心の人、茨の心の人
①救われていない人も含まれている。
②救われているなら、救いを失うことはない。
③永遠の救いを論じるよりも、神のことばにどう応答するかを考えるべきである。
(3)良い地の心の人
①この人は救われている。
②この人は、キリストにとどまり、実を結ぶ人である。
2.土壌のたとえの重要性
(1)奥義としての神の国(神の国の奥義)の状態を説明している。
①ユダヤ人がイエスを拒否して以降に登場する霊的状態
②教会時代の霊的状況
(2)福音の伝達と4種類の応答
①すべてのたとえの土台になっているのが、土壌のたとえである。
(3)良い地になることを願う人
①神の啓示を学ぶときに、それを理解させてくださいと祈る。
②神はその祈りに答えてくださる。
③願わないなら、表面的な理解で終わる。
(4)出8:32と9:12
Exo 8:32
しかし、ファラオはまたも心を硬くし、民を去らせなかった。
Exo 9:12
しかし、【主】はファラオの心を頑なにされたので、ファラオは二人の言うことを聞き入れなかった。【主】がモーセに言われたとおりであった。
(5)ロマ9:17~18
Rom 9:17
聖書はファラオにこう言っています。「このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。」
Rom 9:18
ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるのです。
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