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ルカの福音書(28)大群衆への奉仕6:17~19
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大群衆への奉仕について学ぶ。
ルカの福音書 28回
大群衆への奉仕
ルカ6:17~19
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、山に行き、神に祈りながら夜を明かされた(6:12)。
②朝になると弟子たちを呼び寄せ、その中から12人を選ばれた(6:13)。
③それから山を下り、平らなところに立たれた(6:17)。
④そこに大群衆が押し寄せてきたので、彼らに奉仕をされた(6:17)。
⑤この箇所は、「平地での説教」のイントロダクションである。
(2)山上の垂訓(マタ5~7章)との比較
①「山の上」と「平らなところ」(平地)という違いがある。
②説教の始まりと終わりが、似ている。
③山上の垂訓には祝福のことばはあるが、呪いのことばはない。
④聴衆はともに弟子たちであるが、群衆も聞いている。
⑤マタイは律法に関する教えを含めているが、ルカはそれを省いている。
*ルカは、異邦人とは無関係の情報を省いている。
⑥マタイとルカは、基本的には同じ内容を取り上げている。
⑦3つの異なる見解がある。
*同じ説教をマタイは詳細に(137節)、ルカは要約して(30節)記録した。
*マタイの説教とルカの説教は、別のものである。
*多数の説教があり、それをマタイとルカは、それぞれの視点で編集した。
2.アウトライン
(2)歴史的文脈
(3)宗教的文脈
(4)公生涯の文脈
3.結論:平地での説教と私たちの関係
大群衆への奉仕について学ぶ。
Ⅰ.平地での説教の背景(17~19節)
1.17節
Luk 6:17
それからイエスは彼らとともに山を下り、平らなところにお立ちになった。大勢の弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロやシドンの海岸地方から来た、おびただしい数の人々がそこにいた。
(1)イエスは12使徒たちとともに山を下り、平地に立った。
①そこで語られたので、「平地での説教」と呼ばれる。
(2)おびただしい数の人々がそこにいた。
①大勢の弟子たちの群れ
②南部(ユダヤ全土とエルサレム)から来た人たち(ユダヤ人)
③ツロやシドンの海岸地方から来た人たち(異邦人)
2.18節
Luk 6:18
彼らはイエスの教えを聞くため、また病気を治してもらうために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人たちも癒やしてもらっていた。
(1)彼らが来た目的
①イエスの教えを聞くため(ルカの強調点)
*信仰は、聞くことから始まる。
②病気を治してもらうため
③悪霊を追い出してもらうため
(2)イエスの聴衆
①第一義的には、イエスは弟子たちに語った。
②そこに民衆もいて、聞いていた。
③イエスは、信仰のない人たちにも「弟子道」について語った。
3.19節
Luk 6:19
群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた。イエスから力が出て、すべての人を癒やしていたからである。
(1)群衆は、なんとかしてイエスにさわろうとしていた。
①イエスから力が出て、すべての人を癒していた。
②聖霊の力が、イエスを通して流れ出ていた。
(2)イエスは、助けを求めて来るすべての人を癒した。
①公生涯のこの時期、最も活発に癒しが行われた。
②これらの癒しは、イエスのメシア性を証明する「しるし」である。
Ⅱ.歴史的文脈
1.中間時代が終わった直後の時代
(1)旧約聖書と新約聖書の間の約350年間
①非常に重要な時代であるが、一般的にその重要性は認識されていない。
②アレクサンドロスの世界征服によりギリシア語が普及した。
③ヘブル語聖書は、ギリシア語に翻訳された(70人訳。LXX)。
2.メシア待望が高まった時代
(1)民衆は、ローマの圧制によって苦しめられていた。
①ローマの圧制から自分たちを解放してくれるメシアの到来を待ち望んでいた。
②メシア的王国の樹立を待ち望んでいた。
③ダビデ時代の再来を待ち望んでいた。
Ⅲ.宗教的文脈
1.律法の時代から恵みの時代への移行期
(1)ディスペンセーション主義者でなくても、律法の時代と恵みの時代を区別する。
①その区別がないなら、今でもモーセの律法を実行せねばならないことになる。
②食物規定や衣服の規定が、今も有効だということになる。
③レビ19:27
Lev 19:27 あなたがたの頭のもみあげを剃り落としてはならない。ひげの両隅を損なってはならない。
④クリスチャンでも、モーセの律法の適用に関して混乱している人が多くいる。
(2)律法の時代とは、モーセの律法が機能している時代である。
①イスラエルの民は、モーセの律法に従って生きるように命じられていた。
②民衆は、パリサイ的律法(口伝律法)に縛られていた。
③過去数百年の間に発展した口伝律法が、民衆の日常生活を縛っていた。
④彼らは、メシアがパリサイ的律法による義を認めてくれることを期待していた。
2.恵みの時代は、メシアの死とともに始まる。
(1)平地での説教が語られたときは、まだ律法の時代であった。
①従って、この説教は、恵みの時代について教えたものではない。
②この説教の内容は、メシアによるモーセの律法の正しい解釈である。
(2)恵みの時代とは、新しい契約が機能している時代である。
①新しい契約の預言は、エレ31:31~37に出てくる。
Jer 31:31 見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。
Jer 31:32
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。
Jer 31:33
これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
②信仰による義を得た者は、心に記された愛の律法によって生きるようになる。
(3)この説教で、イエスは2つのことを否定された。
①パリサイ人によるモーセの律法の解釈と、口伝律法の教えを、否定された。
②口伝律法を行うことによって義とされるという教えを、否定された。
Ⅳ.公生涯の文脈
1.イエスは、旧約聖書の預言の成就として来られた。
(1)イエスは、モーセの律法の教えに従って生活された。
①この時代、モーセの律法は、依然として有効であった。
②イエスは、自分がメシアであることを民衆に示しておられた。
③イスラエルの民は、イエスのメシア性を拒否するまでには至っていない。
2.この説教が語られたタイミング
(1)イエスに対する興味が、非常に高まった時期である。
①イスラエルだけでなく、異邦人の地域からも人々が集まって来た。
(2)12使徒が選抜された直後に語られた。
①イエスは、12使徒と弟子たちに向けてこの説教を語られた。
②彼らはすでに、信仰によって義とされていた。
結論:平地での説教と私たちの関係
1.現代のクリスチャンに適用すべきものではない。
(1)もしそうなら、私たちは、613のモーセの律法を実行せねばならなくなる。
(2)ただし、平地での説教の中には、新約時代の律法に登場する要素もある。
①新約時代の律法とは、「キリストの律法」(ガラ6:2)のことである。
2.救いの道を示したものではない。
(1)もしそれが救いの道を示したものであるなら、業による救いが可能となる。
(2)人が救われるのは、いつの時代でも、信仰と恵みによる。
(3)この時代は、イエスをメシアとして信じることが信仰の内容である。
(4)祝福のことばは、信仰による義を獲得した人たちに向けられたものである。
3.律法の義に関するメシアの解釈である。
(1)パリサイ人による律法の義の解釈との対比がある。
①パリサイ人は、律法の外面的な服従にこだわった。
②イエスは、内面的服従と外面的服従の両方を強調した。
4.恵みの時代の信仰の内容
(1)人は、福音の3要素を受け入れ、イエスに信頼を置いて救われる。
(2)私たちの内には、神の作品を改善しようとする性質がある。
①何かを付け加えようとする。
②これは、改悪どころか、福音の破壊である。
(3)付加物なしに、福音をそのまま受け入れる人だけが、神によって義とされる。
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