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ルカの福音書(26)右手の萎えた人の癒し6:6~11
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2番目の安息日論争について学ぶ。
ルカの福音書 26回
右手の萎えた人の癒し
ルカ6:6~11
1.はじめに
(1)文脈の確認
①この時期、イエスは公生涯の重要な時期に入っていた。
②口伝律法に関して、パリサイ人たちとの論争が始まる。
③福音書の中には、安息日論争が7回出てくる。
④ルカは、4回記録している。
*6:1~5 弟子たちが麦の穂を摘んで食べた。
*6:6~11 イエスは、右手の萎えた人を癒した。
*13:10~17 イエスは、腰が曲がった女を癒した。
*14:1~6 イエスは、水腫をわずらっている人を癒した。
(2)イエス時代のユダヤ教では、安息日が最も重要な律法であった。
①パリサイ人たちは、安息日にほぼすべての活動を禁じた。
②自分たちは、都合良く生きていた。
③自分はメシアだと主張するイエスが、安息日を守らないのはおかしい。
(3)安息日に関する最近のニュース
①2018年11月 エルアル航空のトラブル
ニューヨークを木曜に出発予定だったエルアル航空便が、乗員の交通が問題で5
時間も出発が遅延し、安息日前に到着できない事態に。宗教派の乗客が飛行機か
ら降りると言い、さらに出発が遅れた。
②2019年3月 腎臓移植を受ける男性
超正統派の男性が腎臓移植を受ける順番が来たが、安息日で電話に出ないため移
植責任者の女性が夫の警官に相談。警察がパトカーで男性を自宅から病院に搬送
する珍事態に。手術は成功したという。
③2019年11月 公共交通機関の運行
テルアビブ市議会が、安息日の公共交通機関の運行計画を承認。市役所前では小
規模な抗議デモ。
④2021年11月 子ども用ワクチン到着
子ども用のワクチン100万回分が土曜に到着したのは安息日違反だとして、ユダ
ヤ人の子供に接種するのを禁じると、超正統派のホタ師が宣言。政府は意図的に
安息日を破っており、冒涜だと非難した。
(4)安息日はユダヤ教の重要な戒律であり、習慣である。
①しかし、誤用すると弊害が出て来る。
(5)安息日論争のテーマ
①祭儀的律法と人間の必要とは、どちらが重要か。
②イエスは、安息日の主である。
2.アウトライン
(2)論争を仕掛けるイエス(8~10節)
(3)癒しの結果(11節)
3.結論:自問自答すべき項目
2番目の安息日論争について学ぶ。
Ⅰ.罠を仕掛ける宗教的指導者たち(6~7節)
1.6節
Luk 6:6
別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに右手の萎えた人がいた。
(1)これは、別の安息日に起きた出来事である。
①ルカは、ここでも、イエスの教えを癒し以上に強調している。
(2)会堂に右手の萎えた人がいた。
①ルカの医者としての視点が反映されている。「右手の萎えた人」。
②この人の状態は、深刻であった(ほとんどの人は、右手が利き腕である)。
③律法学者たちやパリサイ人たちが、この人をそこに置いたのであろう。
2.7節
Luk 6:7
律法学者たちやパリサイ人たちは、イエスが安息日に癒やしを行うかどうか、じっと見つめていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。
(1)宗教的指導者たちは、イエスを訴える口実を見つけようとしていた。
①過去の観察から、イエスが安息日に癒しを行うことは予想された。
②癒しを行えば、安息日違反でイエスを訴えることができる。
(2)現代のハラハー
①安息日に命を救うのは、義務である。
②重病の人を治療するのは、制限付きで許可される。
*イエス時代でも、命にかかわる場合は治療してもよいとされていた。
③その他の病気は、治療してはならない(薬を用意するのは労働である)。
*右手の萎えた人の癒しは、現代のハラハーでも、許可されない。
Ⅱ.論争を仕掛けるイエス(8~10節)
1.8節
Luk 6:8
イエスは彼らの考えを知っておられた。それで、手の萎えた人に言われた。「立って、真ん中に出なさい。」その人は起き上がり、そこに立った。
(1)イエスは、彼らの考えを知っておられた。
①5:22
Luk 5:22 イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いて言われた。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。
②イエスは、預言者である。
③イエスは、神の子である。
(2)イエスが先に論争を仕掛けた。
①イエスは、その人に「立って、真ん中に出なさい」と命じた。
②その人は、その命令に従った。
③人々の関心が、これから起ころうとしていることに向けられた。
2.9節
Luk 6:9
イエスは彼らに言われた。「あなたがたに尋ねますが、安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。 いのちを救うことですか、それとも滅ぼすことですか。」
(1)イエスは2つの質問を投げかけた。
①最初の質問
「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うこと
ですか」
*安息日に善を行うことは、律法に適っている。
*安息日に悪を行うことは、律法に適っていない。
②次の質問
「いのちを救うことですか、それとも滅ぼすことですか」
*安息日にいのちを救うことは、律法に適っている。
*安息日にいのちを滅ぼすことは、律法に適っていない。
*この場合の「いのちを救う」とは、霊的救いではなく、肉体的癒しである。
(2)宗教的指導者たちは、その質問に答えなかった。
①当然の答は、「安息日に善を行うことは、律法に適っている」である。
②そう答えれば、イエスが癒しを行うことを承認したことになる。
3.10節
Luk 6:10
そして彼ら全員を見回してから、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、手は元どおりになった。
(1)イエスは構わずに、善を行われる。
①彼ら全員を見回した(宗教的指導者たちと対決された)。
②その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。
③イエスのことばには、癒しの力がある。
(2)その人は、イエスの命令に従った。
①そのとおりにすると、手はもとどおりになった。
②彼の内には、信仰が見られる。
(3)イエスはことばを発しただけで、何も行動を起こしていない。
①宗教的指導者たちは、イエスを安息日違反で訴えることができない。
②イエスが預言者であること、また、神であることが証明された。
Ⅲ.癒しの結果(11節)
1.11節
Luk 6:11
彼らは怒りに満ち、イエスをどうするか、話し合いを始めた。
(1)イエスは、安息日の律法を犯すことなく、2つのことを同時に行った。
①宗教的指導者たちを辱めた。
②右手の萎えた人を癒した。
(2)宗教的指導者たちの反応は、怒りであった。
①ここからイエスに対する殺意が生まれた。
(3)ルカ5:12~6:11
①宗教的指導者たちとの論争の始まり
②6:11は、このセクションのまとめである。
③イエスが十字架に架けられる約2年前の出来事である。
④マタとマコでは、イエス殺害の方法を相談し始めたとある。
結論:自問自答すべき項目
1.彼らは、苦しんでいる人を解放するよりも、口伝律法を守ることを優先させた。
(1)安息日の律法が、いのちを生かすために与えられていることを理解しなかった。
(2)安息日の律法は、神の愛と深く関連している。
(3)神の愛を表現する方法は、隣人愛の実践である。
(4)私たちは、神への愛と隣人への愛を最も重視しているだろうか。
2.彼らの信仰は否定的、後ろ向きであった。
(1)彼らは、律法の細部にこだわり、律法に違反しないことだけを考えていた。
(2)イエスの信仰は肯定的で、前向きであった。
①愛の実践
②困っている人の救助
(3)私たちは、「〇〇をすべきでない」という思いだけに囚われていないだろうか。
3.彼らは、自分たちの信仰だけが正しいと確信していた。
(1)彼らは、イエスの教えを受け入れることができなかった。
(2)私たちは、キリスト教の生命力のほんの一部しか理解していない。
(3)クリスチャンとして成長する余地は、常にある。
(4)私たちは、自分の信仰や自分の教会の信仰がすべてであると思っていないか。
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