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ルカの福音書(24)断食論争5:33~39
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断食論争の内容と背景について学ぶ。
ルカの福音書 24回
断食論争
ルカ5:33~39
1.はじめに
(1)文脈の確認
①罪の赦しの宣言を境に、メシア運動の吟味は次の段階に入った。
*観察→審問→決定
②イエスは、取税人レビを召された。
③レビは、自分の家でイエスのために盛大なもてなしをした。
④その場にいたパリサイ人たちは、審問を開始した。
*弟子たちに、なぜ取税人たちや罪人たちと交わるのかと文句を言った。
*次に、イエスに断食に関する質問をした。
(2)この時期、イエスは公生涯の重要な時期に入っていた。
①パリサイ人たちとの論争が始まる。
②論争のテーマは、口伝律法に関するものである。
③聖書は、ユダヤ的視点で読まないと深い意味を理解することができない。
2.アウトライン
(1)断食に関する質問
(2)花婿の友人のたとえ
(3)新しい着物と古い着物のたとえ
(4)ぶどう酒と皮袋のたとえ
(5)古いぶどう酒のたとえ
3.結論
(2)メシア的王国の希望
(3)ロマ書7章から8章へ
断食論争の内容と背景について学ぶ。
Ⅰ.断食に関する質問
1.33節
Luk 5:33
また彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちはよく断食をし、祈りをしています。パリサイ人の弟子たちも同じです。ところが、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
(1)質問したのは、誰か。
①ルカは、別の状況での話をここに入れた可能性がある。
②マコ2:18
Mar 2:18
さて、ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは、断食をしていた。そこで、人々はイエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」
③ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは、ともに、口伝律法を重視していた。
(2)断食の習慣の歴史的経緯
①旧約聖書が命じる断食の日は、贖罪の日だけである。
*レビ16:29
②捕囚期以降、エルサレム崩壊を嘆くために4回の断食が加わった。
*ゼカ8:19
Zec 8:19
万軍の【主】はこう言われる。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとって、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛しなさい。」
③イエス時代になると、パリサイ人たちは、週に2回断食をした。
*月曜と木曜に、水も飲まない断食を実行した。
*師は、弟子たちに断食を教えるべきである。
*パリサイ人たちは、イエスも口伝律法に従うべきであると考えていた。
*イエスは悔い改めを説いていた。断食は、悔い改めの表現である。
*イエスは断食を否定しなかったが、その誤用を批判された。
*イエスが断食したという記録は、荒野での40日間の断食しかない。
(3)タルムード誕生の歴史的経緯
①ソフリム学派(前450年~前30年)
*捕囚から帰還した時期に、律法学者エズラが活躍した。
*彼がソフリム学派を設立した。
*ソフリムとは、書記(律法学者)のことである。
*目的は、モーセの律法を教え、再び捕囚が起こらないようにすること。
*モーセの律法は、613の命令から成る。
*その周りに「垣根」を作れば、民は律法違反の罪を犯すことがなくなる。
*その「垣根」が、ラビ的律法である。
*過半数が賛成した時に、それは、全世界のユダヤ人が守るべき律法となる。
「子やぎを、その母親の乳で煮てはならない」
(出23:19、34:26、申14:21)
*カナン人たちは、初子のやぎを母の乳で煮て、バアルに献げていた。
*この命令は、カナン人の偶像礼拝からイスラエルの民を守るものとなった。
*前1400年頃の律法の目的が、前400年頃には忘れ去られていた。
*その結果、肉と乳製品を分けて食べるべきだという律法ができた。
*これが、今日の食物規定(コシェル規定)の中心である。
②タナイム学派(前30年~220年)
*第2の学派である。タナイムとは、教師のことである。
*彼らは、ソフリム学派の律法を、聖書と同等かそれ以上のものと見なした。
*紀元220年までは、すべてが口伝律法であった。
*彼らは、神はモーセに2種類の律法を与えたと教えた。
・成文法(613の律法)と口伝律法
*今日のユダヤ教も、この考え方を踏襲している。
*口伝律法を暗記していた人たちを、律法学者という。
*イエスの時代、口伝律法は完成途上にあった。
*メシアは、口伝律法に従うはずだという期待があった。
*しかしイエスは、一貫して口伝律法に反対した。
*バプテスマのヨハネの弟子たちは、口伝律法の断食の教えに従っていた。
*紀元300年頃に、ユダ・ハナシの命令によって、口伝律法が文字化された。
*約650年にわたるラビ的律法が、成文法となった。
*ソフリム学派とタナイム学派の口伝律法をミシュナという。
*ミシュナは、ヘブル語で約1500ページに及ぶ。
③アモライム学派(紀元220年~500年)
*モライムとは、アラム語で教師という意味である。
*アモライム学派は、ゲマラ(アラム語)という注解書を付け加えた。
*ゲマラは、百科事典のブリタニカほどのサイズがある。
*口伝律法(パリサイ的律法)=ミシュナ
*ミシュナ+ゲマラ=タルムード
Ⅱ.花婿の友人のたとえ
1.34~35節
Luk 5:34
イエスは彼らに言われた。「花婿が一緒にいるのに、花婿に付き添う友人たちに断食させることが、あなたがたにできますか。
Luk 5:35
しかし、やがて時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
(1)イエスは、この宴会を結婚式にたとえられた。
①結婚式に行くのは、喜ぶためであって、断食するためではない。
②ユダヤの婚礼は、7日間続いた。
③その間、断食、喪に服す行為、重労働などは禁じられた。
④イエスは花婿であり、花嫁(イスラエルのこと)を迎えるために来られた。
⑤イエスの弟子たちは、花婿に付き添う友人たちである。
⑥その彼らに断食を強いるのは、正しくない。
(2)しかし、花婿が取り去られたなら、彼らは断食するようになる。
①公生涯のこの段階で、イエスは、十字架の死を暗示された。
②恐らく弟子たちは、イエスの死と復活の間の3日間の中で断食したと思われる。
Ⅲ.新しい着物と古い着物のたとえ
1.36節
Luk 5:36
イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい衣から布切れを引き裂いて、古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんなことをすれば、その新しい衣を裂くことになり、新しい衣から取った布切れも古い衣には合いません。
(1)新しい布切れは、洗うと縮む。
①新しい布切れを古い着物に縫い付けることはしない。
②それをすると、新しい着物も、古い着物も、ともにだめになる。
(2)イエスは、ユダヤ教につぎはぎをするために来られたわけではない。
①イエスは、新しい秩序をもたらすために来られた。
②もしユダヤ人たちがイエスを受け入れていたなら、メシア的王国が成就した。
③ユダヤ人たちがイエスを拒否したので、教会が誕生することになる。
④メシア的王国の希望は、今も生きている。
Ⅳ.ぶどう酒と皮袋のたとえ
1.37~38節
Luk 5:37
まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。
Luk 5:38
新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければなりません。
(1)当時は、ぶどう酒は皮袋に入れて、ロバやラクダに乗せて運んだ。
①古い革袋は、長く使用されて、伸び切っている。
②そこに新しいぶどう酒を入れたなら、発酵力が強いので、皮袋は破裂する。
③新しい革袋の場合は、弾力性に富むので、持ちこたえることができる。
(2)イエスの教えは、新しいぶどう酒である。
①古い革袋であるユダヤ教は、その教えを受容することはできない。
②生命力に富んだイエスの教えは、パリサイ的ユダヤ教を破壊する。
Ⅴ.古いぶどう酒のたとえ
1.39節
Luk 5:39
まただれも、古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物が良い』と言います。」
(1)ぶどう酒は、古いものほど良い味がある。
①宗教的な人たちは、普通、古くからある伝統を重視する。
②ここでの「古いぶどう酒」は、パリサイ的ユダヤ教である。
③パリサイ人たちは、伝統的な口伝律法を好み、イエスの教えを拒否する。
結論
1.混ざることのない4つのもの
(1)断食と宴会は、ミックスすることがない。
①花婿メシアが到来した今は、婚礼の時である。
②ユダヤ人たちがイエスを拒否したなら、断食が必要となる。
③ユダヤ人たちがイエスを拒否したので、メシア的王国ではなく教会が誕生した。
(2)新しい布切れと古い衣は、ミックスすることがない。
①イエスの教えは、新しい衣である。
②新しい布切れで、パリサイ的ユダヤ教の繕いをすることは不可能である。
(3)新しいぶどう酒と古い革袋は、ミックスすることがない。
①イエスの教えは、新しいぶどう酒である。
②パリサイ的ユダヤ教は、古い革袋である。
③イエスの教えは、パリサイ的ユダヤ教の中には収まり切らない。
(4)古いぶどう酒と新しいぶどう酒は、ミックスすることがない。
①パリサイ的ユダヤ教は、古いぶどう酒である。
②イエスの教えは、新しいぶどう酒である。
③古いぶどう酒を好むパリサイ人たちは、新しいぶどう酒を試そうとはしない。
2.メシア的王国の希望
(1)旧約聖書が命じる断食の日は、贖罪の日だけである(レビ16:29)。
(2)捕囚期以降、エルサレム崩壊を嘆くために4回の断食が加わった。
①ゼカ8:19
Zec 8:19
万軍の【主】はこう言われる。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとって、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛しなさい。」
(3)メシア的王国においては、断食は喜びの宴会に変えられる。
①それゆえ、【主】が喜ばれる真実と平和を愛するべきである。
②【主】に対する断食でなければ、意味はない。
3.ロマ書7章から8章へ
(1)律法に束縛されたクリスチャン生活(ロマ書7章クリスチャン)
(2)聖霊に導かれたクリスチャン生活(ロマ書8章クリスチャン)
(3)この2つの生活は、ミックスすることがない。
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