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ルカの福音書(5)マリアの賛歌1:46~56
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マリアの賛歌について学ぶ。
ルカの福音書 05回
マリアの賛歌
ルカ1:46~56
1.はじめに
(1)前回は、「マリアのエリサベツ訪問」について学んだ。
①マリアの妊娠は、38節と39節の間に起こった(受胎告知と訪問の間)。
②マリアは、妊娠6ヶ月目のエリサベツに会いに行った。
③二人の女性の出会いによって、人類救済の歴史が大きく動いた。
④一連の出来事を導いておられる神を賛美するのは、自然な流れである。
(2)マリアの賛歌は、ラテン語で「マグニフィカート」と呼ばれる。
①ラテン語訳聖書の最初の言葉「あがめる」から出ている。
②ほぼ全部が、旧約聖書へのさりげない言及や旧約聖書からの引用である。
*少なくとも、12箇所がそうである(Alfred Plummer)。
③ザカリヤの賛歌(1:68~79)とシメオンの賛歌(2:29~32)も同じ。
④マリアの賛歌は、即興の歌ではないと思われる。
*完成度の高さとマリアの思索的性質
*ルカ1:29
Luk 1:29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
*ルカ2:51
Luk 2:51 それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
⑤マリアは時間をかけて推敲し、それをエリサベツと分かち合ったのだろう。
⑥この賛歌は、4連(スタンザ)から構成されている。
2.アウトライン
(1)第1連:自分が受けた祝福(46~48節)
(2)第2連:神のご性質(49~50節)
(3)第3連:地位の逆転(51~53節)
(4)第4連:イスラエルに対するあわれみ(54~55節)
(5)ナザレへの帰還(56節)
3.結論 :メシアがもたらす地位の逆転
マリアの賛歌について学ぶ。
Ⅰ.第1連:自分が受けた祝福(46~48節)
1.46~47節
Luk 1:46 マリアは言った。/「私のたましいは主をあがめ、
Luk 1:47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
(1)マリアの賛歌は、ハンナの祈りに似ている(1サム2:1~10)。
①ハンナは不妊の女であったが、【主】に願って息子サムエルを得た。
②サムエルとは、「神は聞いてくださった」という意味である。
③ハンナの祈り(1サム2:1~3)
1Sa 2:1
ハンナは祈った。/「私の心は【主】にあって大いに喜び、/私の角は【主】によって高く上がります。/私の口は敵に向かって大きく開きます。/私があなたの救いを喜ぶからです。
1Sa 2:2 【主】のように聖なる方はいません。/まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。/私たちの神のような岩はありません。
1Sa 2:3
おごり高ぶって、/多くのことを語ってはなりません。/横柄なことばを口にしてはなりません。/まことに【主】は、すべてを知る神。/そのみわざは測り知れません。
*自分が受けた祝福
*神のご性質
*地位の逆転
(2)子を宿さない処女が妊娠したことの中に、ハンナの妊娠との関連性がある。
①マリアの旧約聖書に関する知識の深さに注目すべきである。
②彼女は、聖書を学び、主と主のみことばを愛するようになっていた。
(3)マリアは、ヘブル的対句法を用いている。
①「私のたましい」と「私の霊」は、ともに「私」という意味である。
②「主」と「救い主なる神」は、同じ意味である。
③旧約聖書の「ヤハウェ」は、新約聖書の「キュリオス」である。
2.48節
Luk 1:48
この卑しいはしために/目を留めてくださったからです。/ご覧ください。今から後、どの時代の人々も/私を幸いな者と呼ぶでしょう。
(1)マリアが主をたたえている理由
①根底に、自分は取るに足りない者であるとの自己認識がある。
*彼女は、自分は罪人であるとの認識を持っていた。
*救い主が必要なのは、罪人だけである。
②メシアを胎内に宿したのは、100%神の恵みによるとの認識がある。
*彼女は、無名の大工のいいなずけに過ぎない。
③神の恵みを受けた自分は、幸いな者だという認識がある。
*マリアは、低きにいる者が高きに上げられる経験をした。
Ⅱ.第2連:神のご性質(49~50節)
1.49~50節
Luk 1:49 力ある方が、/私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、
Luk 1:50
主のあわれみは、代々にわたって/主を恐れる者に及びます。
(1)「大きなこと」とは、単に処女懐胎のことを指しているだけではない。
①メシア到来の出来事(救済の歴史)に参加させていただいということ。
②マリアは、イスラエルの残れる者のひとりとして認められたのである。
(2)「その御名は聖なるもの」とは、「主は聖いお方である」という意味。
②「聖い」とは、被造世界を超越したお方であることを示している。
(3)「主のあわれみは、代々にわたって/主を恐れる者に及びます」
①この言葉の背景に、詩篇103篇がある。
Psa 103:15 人 その一生は草のよう。/人は咲く。野の花のように。
Psa 103:16 風がそこを過ぎると それはもはやない。/その場所さえも それを知らない。
Psa 103:17 しかし 【主】の恵みは とこしえからとこしえまで/主を恐れる者の上にあり/主の義は その子らの子たちに及ぶ。
②マリアの賛歌は、ヘブル的であり、旧約聖書からの引用が含まれている。
③「あわれみ」や「恵み」は、契約に対する忠実さを意味している。
Ⅲ.第3連:地位の逆転(51~53節)
1.51~53節
Luk 1:51 主はその御腕で力強いわざを行い、/心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
Luk 1:52 権力のある者を王位から引き降ろし、/低い者を高く引き上げられました。
Luk 1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、/富む者を何も持たせずに追い返されました。
(1)イスラエルは、主のあわれみによって守られて来た。
①主は、イスラエルの民に示されたあわれみを、マリアにも示された。
(2)第3連は、イエスの御業の預言となっている。
①ヘブル語の未来完了形で理解する必要がある。
(3)イエスは、地位の逆転をもたらされる。
①心の思いの高ぶっている者、権力ある者、富む者は、辱めを受ける。
*52節は、確立している政治権力の崩壊を預言している。
②低い者、飢えた者は、祝福を受ける。
③マリアはすでにそれを体験したが、これがイスラエルの民の体験となる。
④また、人類全体の体験ともなる。
⑤この逆転劇は、メシア的王国の到来によって成就する。
*マリアは、宇宙大のスケールでこの逆転が起こることを預言している。
Ⅳ.第4連:イスラエルへの約束(54~55節)
1.54~55節
Luk 1:54 主はあわれみを忘れずに、/そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
Luk 1:55 私たちの父祖たちに語られたとおり、/アブラハムとその子孫に対するあわれみを/いつまでも忘れずに。」
(1)マリアは、イエスの御業をアブラハム契約の成就と見ている。
「主はあわれみを忘れずに、」とは、契約に対する忠実さである。
(2)神は、アブラハムと契約を結ばれた。
①出2:24
Exo 2:24 神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
②詩105:8~10
Psa 105:8 主はご自分の契約を とこしえに覚えておられる。/命じられたみことばを 千代までも。
Psa 105:9 それはアブラハムと結んだ契約/イサクへの誓い。
Psa 105:10 主はそれを ヤコブへの定めとして立てられた。/イスラエルへの 永遠の契約として。
③メシアの誕生は、アブラハムとその子孫に与えられた約束の成就である。
Ⅴ.ナザレへの帰還(56節)
1.56節
Luk 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。
(1)マリアは、ヨハネの誕生を見届けてから帰宅した。
①6ヶ月+3ヶ月=9ヶ月
②自らの妊娠を確認する意味もあったと思われる。
③安定期に入ってから移動したのであろう。
(2)訳文の比較
①「家に帰った」(新改訳2017)(口語訳)
②「自分の家に帰った」(新共同訳)
③「己が家に帰れり」(文語訳)
④彼女は、まだヨセフと同居していない。つまり、処女のままである。
(3)故郷の町で、彼女は疑いの目をもって見られたことであろう。
①しかし神は、彼女の魂を守られた。
②ヨセフとの信頼関係も、神の介入によって維持された。
結論:メシアがもたらす地位の逆転
(1)この賛歌の中心は、地位の逆転である。
①高慢な者は低くされ、自らの貧しさを認識する者は高くされる。
(2)マリアは、地位の逆転を体験した。
①マリアの賛歌は、神のご性質を歌っている。
②ルカの意図は何か。
①この福音書の冒頭で、神のご性質を紹介した。
②これ以降の物語は、神のご性質に基づいて展開していく。
(3)イエスの公生涯は、地位の逆転をもたらした。
①山上の垂訓のことば
②5000人のパンの奇跡
③ザアカイの救い(ルカ19:9~10)
Luk 19:9 イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
Luk 19:10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
④イエスの死と復活(使2:36)
Act 2:36
ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
(4)イエスの再臨とメシア的王国の成就
①イザ2:1~4
Isa 2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
Isa 2:2
終わりの日に、/【主】の家の山は山々の頂に堅く立ち、/もろもろの丘より高くそびえ立つ。/そこにすべての国々が流れて来る。
Isa 2:3
多くの民族が来て言う。/「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。/主はご自分の道を私たちに教えてくださる。/私たちはその道筋を進もう。」/それは、シオンからみおしえが、/エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
Isa 2:4
主は国々の間をさばき、/多くの民族に判決を下す。/彼らはその剣を鋤に、/その槍を鎌に打ち直す。/国は国に向かって剣を上げず、/もう戦うことを学ばない。
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