私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
30日でわかる聖書 マタイの福音書(21)
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
「神の小羊」イエスのエルサレム入城について学ぶ。
「マタイ21章」
イントロ:
1. 文脈を確認する。
(1) 21章以降、エルサレムでの最後の1週間に入る。
(2) イエスの公生涯は3年半と計算する。
(3) 4回の過越の祭りが巡ってくるから。きょうの箇所は、その最後の過越の祭り。
2. きょうの箇所を理解するための予備知識
(1) 過越の祭りは出エジプトを記念する祭り。
(2) 変貌山の箇所(17章)で、イエスはモーセとエリヤを相手に話していた。
(3) イエスは、神の小羊としてエルサレムに入城された(ヨハネ1:29)。
(4) 出エジプト12:3~7
①ニサンの月の10日に羊1頭を選り分ける。
②ニサンの月の14日までそれをよく見守る。
③その日の夕暮れ(午後3時)にほふって、その血を門柱と鴨居につける。
④その夜、その肉を食べる。
(5) イエスは神の小羊としてエルサレムに入城し、5日間吟味され、ほふられる。
3. きょうの箇所は、私たちにとってどういう意味があるのか。
(1) きょうの箇所に書かれたことは、そのまま現代のイスラエルと関係がある。
(2) ユダヤ人たちはメシアを拒否したために、厳しい裁きに会った。
①ユダヤ人たちは1900年にわたって離散の民として生活した。
②1948年に建国したが、60年経った今も平和は来ていない。
(例話)第43回聖地旅行から帰ってきたばかり。
3月3日(月)にオリーブ山で騒動があり、そこに行けなかった。
イスラエル軍のガザ地区攻撃に対するパレスチナ人の報復。
世俗的なイスラエル人は、霊的な葛藤を覚えて神を求め始めている。
(3) イエスの預言の通りにユダヤ人の歴史は展開してきた。
(4) これからも、イエスの預言通りにユダヤ人の歴史は動いていく。
(5) きょうのゴールは、ユダヤ人の歴史を学び、いかに生きるべきかを考えること。
神の小羊であるイエスのエルサレム入城
Ⅰ.神の小羊の登場
1. ロバ
(1) イエスは、ベタニヤ、ベテパゲ、オリーブ山、エルサレムと移動された。
(2) イエスは紀元30年、ニサンの月の10日(日)にエルサレムに入城された。
(3) この瞬間に、神の小羊が選り分けられた。
(4) イエスがロバの子に乗るのは、ご自身をメシアとして提示するため。
①ロバは平和の人、商人、祭司などのための乗り物。
②イエスは平和の君として来られた(ゼカリヤ9:9)。
③「主がお入用」とは、ゼカリヤ9:9の成就のために必要という意味。
(5) 今もイエスは、私たちを必要としておられる。
2. 木の枝(棕櫚の葉)
(1) 群衆はロバの子に乗るイエスを見て、イエスをメシアとして歓迎した。
①小規模な奇蹟が起こっている(ロバの子が暴れていない)。
②上着と棕櫚の葉
③詩篇118:25~26を唱える人たち(詩篇113~118篇は「ハレルヤ詩篇」)
(2) ユダヤ人の指導者たちがイエスを拒否したので、王国の確立は将来に延期された。
(3) 群衆の期待とイエスの思いには、大きな隔たりがあった。
①棕櫚の葉を振るのは、仮庵の祭りの習慣。
②「ホサナ」(今私たちを救ってください)というのは、仮庵の祭りの祈り。
③ゼカリヤ14:16~21には、メシア的王国の預言がある。
④そこでは、仮庵の祭りが祝われる。
⑤群衆は、メシア的王国が今にも確立されるという思いでイエスを迎えた。
(4) イエスは仮庵の祭りの前に、過越の祭りが来なければならないことを知っていた。
①弟子たちも、神の国のプログラムは理解していなかった。
②孤独な道を歩むイエスの姿が見えてくる。
(5) 私たちも、誤った熱心さではなく、聖書の知識に基づく熱心さを追求しよう。
3. 宮(神殿)
(1) 最初の宮清めは、公生涯の初めに行われた(ヨハネ2章)。
(2) この箇所にあるのは、2度目の宮清め。
(3) なぜ宮清めが必要だったのか。
①半シェケルの神殿税は、ツロ貨(銀貨)でなければならなかった。
②いけにえの動物は、神殿域で売られていた。
③これらの商売は、大祭司の一家が管理している。
(4) イエスは宮に対する所有権を主張された。これはイエスのメシア宣言である。
(5) 子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいた。
①祭司長、律法学者は、不平を述べた。
②しかし、幼子による信仰告白が詩篇8:2に預言されている。
(6) 民族的には裁きは避けられないが、個人的には信仰によって救われる人も出る。
4. いちじく
(1) 空腹を覚えた。イエスの人間性を示す。
①空腹感。
②イエスは、初なりを期待されたが、何もなかった。
(2) イエスがその木を呪うと、いちじくの木が枯れた。イエスの神性を示す。
①いちじくの木は、イスラエルの民、特にパリサイ主義の信仰を指す。
②見かけは敬虔そうであるが、霊的実質が伴っていない。
③イエスはパリサイ的な信仰を否定された。
(3) 弟子たちへの教訓
①枯れたいちじくの木は、イスラエルの民の運命を象徴している。
* 紀元70年にエルサレムが滅びた原因は、不信仰にある。
* 後世のラビたちは、エルサレム滅亡の原因をさまざまに論じた。
・ 安息日を大切にしなかったから。
・ 経札を付けなかったから。
* 真の原因は、イエスのメシア性を否定したことにある。
②知恵があれば、信仰の難問も解くことができる。
* 「この山」とは、難問のこと。
* 「山が動いて海に入る」とは、難問が解決されること。
* 弟子たちが、イエスの十字架の意味を理解するのは復活以降。
Ⅱ.神の小羊の吟味
1. ニサンの月の10日に小羊を選り分け、14日までそれを吟味する。
(1) 紀元30年のニサンの月の10日は、日曜日。
(2) 14日は、木曜日。
(3) イエスは10日から14日まで吟味され、15日(金)に十字架に付けられた。
2. イエスは4回にわたって様々なグループの指導者たちから挑戦を受け、吟味された。
(1) 公にイエスを辱め、民衆の支持を失わせるため。
(2) ローマ法に違反している証拠を見つけるため。死刑にすることができる。
3. 最初の挑戦は、祭司長、民の長老たちからのもの(サンヘドリンの代表)。
(1) イエスの権威を問う。
①何の権威によって、神殿から商売人を追い出したのか。
②何の権威によって、ラビとして活動しているのか。
③当時は、高名なラビの認定がなければラビにはなれなかった。
(2) ラビ的教授法を用いて答える。問いに対して、問いをもって答える。
①バプテスマのヨハネの権威は、どこから来たのか。
②彼らはジレンマに陥る。
* 天からと答えれば、ヨハネが示したメシアを信じないのは矛盾。
* ヨハネを否定すれば、民衆の怒りを買う。
③彼らは「分からない」と答える。
④イエスもまた、答えることを拒否する。
4. イエスは3つのたとえ話を用いて、間接的に彼らに答える。これもラビ的教授法。
(1) ふたりの息子のたとえ
①兄はぶどう園に行くと言い、弟は行かないと言う。
②しかし、兄は行かないで、弟が行くようになる。
③真の親子関係は、言葉ではなく、行為によって証明される。
④兄とは、祭司長や民の長老たちのこと。
* 彼らは、神が遣わす預言者を信じると告白していた。
* しかし、バプテスマのヨハネも、イエスも信じなかった。
⑤弟とは、取税人や遊女たちのこと。
* 彼らは信仰告白をしていなかった。
* しかし、バプテスマのヨハネが説く「義の道」を受け入れた。
* 彼らこそ、信仰によって神の国に入った人々である。
(2) 悪い農夫のたとえ
①ぶどう園をイスラエルの民にたとえるのは、旧約聖書の伝統。
* イザヤ5:1~7
* 詩篇80:6~16
②家の主人とは、父なる神のこと。
* 主人は、手をかけたぶどう園を農夫たちに貸す。
* それから、旅に出る。
* 主人は、多くの収穫を期待している。
* 父なる神も、イスラエルの民から霊的な収穫を期待している。
③農夫たちとは、民の指導者たちのこと。
* 彼らは、主人が遣わしたしもべたちを苦しめ、殺す。
* 神は、3度にわたってしもべたちを遣わされた。
・ 捕囚期前、捕囚期後、バプテスマのヨハネ
④主人は、最後に自分の息子を遣わすが、農夫たちはその息子を殺す。
* 息子とは、イエスのこと。
⑤「ぶどう園の主人が帰ってきたら、その農夫たちをどうするでしょうか」
⑥「…情け容赦なく殺して、…別の農夫たちに貸すに違いありません」
⑦イエスの預言
* 詩篇118:22の預言の成就(指導者が見捨てた石が礎の石となる)
* 神の国は、その時代のユダヤ人たちから取り去られる。
* 神の国の実を結ぶ国民に与えられる。
・ これは、教会のことではない(置換神学の立場を否定)
・ 患難時代を生き延びるユダヤ人のこと。
* イエスに敵対する者は滅びる。紀元70年に成就した。
* 今もイスラエルは、その影響を受けている。
⑧ユダヤ人も異邦人も、イエスを信じないなら同じ運命が待っている。
(3) 結婚の披露宴のたとえ(22章に入ってから扱う)
結論
ユダヤ人の歴史を学び、いかに生きるべきかを学ぶ。
1. ユダヤ人の歴史
(1) イエスを拒否した結果、神の国は取り去られた。
(2) 紀元70年にエルサレムが滅びた。
(3) やがて彼らは患難時代を通過することになるが、最後にイエスを受け入れる。
(4) その時、イエスの地上再臨が実現し、メシア的王国が地上に成就する。
2. いかに生きるべきか。
(1) ユダヤ人に起こったことは、私たちの上にも起こる。
(2) イエスこそ、ユダヤ人を二分し、全人類を二分する分水嶺である。
(3) それゆえ、聞く耳のある者よ、今こそイエスに信頼して生きよ。




週間アクセスランキング
創造から新天新地へ(03)―24章でたどる神の救済史 2章 「人類の堕落と救い主の約束」創世記3章
ハーベスト冬期聖会「現代のクリスチャンに必要な3つのレンズ(2)」聖書的歴史観―歴史をどう読むか―
創造から新天新地へ(04)―24章でたどる神の救済史 3章 「アブラハムの選び」創世記12章
創造から新天新地へ(02)―24章でたどる神の救済史 1章 「世界の始まり」創世記1章
2025年 ハーベスト秋期聖会「現代のクリスチャンに必要なレンズ(1)」聖書的世界観―時代をどう見るか―
創造から新天新地へ(01)―24章でたどる神の救済史 序章