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60分でわかる新約聖書(14)テサロニケ人への手紙第二
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テサロニケ人への手紙第二について学ぶ。
60 分でわかる新約聖書(14)「テサロニケ人への手紙第二」
1.はじめに
(1)テサロニケ人への手紙第一と第二の位置づけ
①著者はパウロである。このことを疑う学者はほとんどいない。
②パウロは、第二次伝道旅行でテサロニケを訪問し、そこに教会を設立した。
③ユダヤ人による迫害のために、そこを急に去ることになった。
*テサロニケは、マケドニア州の首都で、当時の人口は約20万人。
*テサロニケのユダヤ人の会堂は、大きな力を持っていた。
*「神を敬う(神を恐れる)異邦人」も多くいた。
*偶像礼拝がもたらす道徳的堕落が蔓延していた。
④パウロは、相当な量の教理を教えていたが、まだ完了したわけではなかった。
⑤迫害の中にある教会を励ますために、第一の手紙を書いた。
*第一の手紙は、携挙と再臨を体系的に扱っている。
*コリントにいた時に書いた。
⑥テサロニケ人への手紙第二は、約1年後に書かれたと思われる。
*第一の手紙を届けが人が、テサロニケ教会の情報を持ち帰った。
*その中には、よい情報と悪い情報が含まれていた。
⑦そこでパウロは、第二の手紙を執筆する必要性を覚えた。
*これもまた、コリントで書いた。
(2)執筆目的
①励まし:聖徒たちは迫害の中にあった。
②正しい教理:聖徒たちは終末論に関して混乱していた。
③教理の適用:無責任な生き方をする者たちがいた。
(3)メッセージのアウトライン
②終末に関する神の計画(2:1~12)
③実践的教え(2:13~3:18)
テサロニケ人への手紙第二について学ぶ。
Ⅰ.迫害に遭っている人たちへの励まし(1:1~12)
1.感謝の言葉(3~4節)
2Th 1:3 兄弟たち。あなたがたについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。それは当然のことです。あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたすべての間で、一人ひとりの互いに対する愛が増し加わっているからです。
2Th 1:4 ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。
(1)感謝する理由
①彼らの信仰が目に見えて成長している。
②彼らの間で、お互いに対する愛が増し加わっている。
③彼らは、迫害と患難とに耐えながら、その従順と信仰とを保っている。
(2)彼らの信仰の姿勢は、諸教会の中にあって良き手本となっている。
①テサロニケ教会の開拓者であるパウロは、そのことを誇りとしている。
②迫害はかえって信仰を育てる機会となった。
2.迫害が起こる理由(5~7節)
2Th 1:5 それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
2Th 1:6 神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
2Th 1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。
(1)クリスチャンが迫害に遭う理由
①神の国は、キリストの初臨によってすでに到来している。
②それが完全な姿で私たちの前に現われるのは、再臨のときである。
③私たちは今、過去(神の国はすでに現われた)と未来(神の国はこれから完
成する)の間の時間を生きている。
④信者に迫害が襲ってくる理由は、究極的な救いへの途上にあるからである。
⑤迫害によって信仰が試された者には、やがて報いとして安息が与えられる。
⑥その安息とは、神の臨在の中で永遠に憩うことができるというものである。
(2)福音に敵対したり、信者を迫害したりする者には、神の正しい裁きが下る。
①その逆転劇は、主イエスが再臨されるときに起こる。
②永遠の刑罰は厳粛な事実であり、誰もが真剣に考えるべきテーマである。
(3)再臨のキリストは、信じたすべての人によってあがめられるようになる。
①もしこのような逆転劇がないなら、迫害に耐える力は湧いて来ない。
②初期のクリスチャンたちは、再臨を日々意識しながら生きていたのである。
Ⅱ.終末に関する神の計画(2:1~12)
1.教理的誤解を解く(1~2節)
2Th 2:1 さて兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします。
2Th 2:2 霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。
(1)再臨に関して誤った教えを広める人たちがいた。
①パウロは第一の手紙で、再臨は起こるが、いつかは分からないと書いていた。
②ところが、ある人たちは「主の日」がすでに来たかのように教えていた。
*「主の日」とは、キリストの再臨の日である。
*「主の日」の始まりが、患難時代である。
③そのため、動揺する人たちが出ていた。
*もし「主の日」がすでに来ているなら、「携挙」から漏れたことになる。
*もしそれが本当なら、信者にとっては耐え難い悲しみである。
(2)パウロは、その教えを完全に否定し、信徒たちの動揺を静めようとした。
①「携挙」はまだ起こっていないから、安心せよということである。
②携挙とは、いわゆる空中再臨のことで、信者はそのまま天に挙げられる。
*キリストにあって死んだ者には、復活の希望が与えられている。
*携挙のときには、死んだ者は甦り、天に挙げられる。
*生きている者が、死んだ者に優先するようなことは決してない。
2.主の日が来る前の兆候(3~4節)
2Th 2:3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。
2Th 2:4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。
(1)再臨に先立ち、まず背教が起こる。
①背教とは、基本的には神への反逆である(政治的、宗教的反乱を含む)。
(2)次に、不法の人が現われる。
①不法の人とは、「滅びの子」「破滅に定められた者」を意味する。
*つまり、「反キリスト」のことである。
②彼は、神殿の中で自分を高く上げ、自分を神として礼拝するように要求する。
*黙13章の「獣」の活動参照
(3)今は、不法の人の現われを引き止めているものがある。
①「引き止めているもの」とは、教会の存在である。
②教会に内住する聖霊の存在である。
③引き止めているものがなくなると、不法の人は本性を現わすようになる。
④そして、この世は患難時代に突入する。
⑤神が支配しておられるので、悪は神の許容範囲でしか働くことができない。
3.反キリストの出現(8~10節)
2Th 2:8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。
2Th 2:9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、
2Th 2:10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。
(1)引き止めているものが取り除かれると、不法の人が現われる。
①不法の人とは、反キリストのことである。
②その時から、患難時代に突入する。
③不法の人が支配する期間は、7年間である。
*後半の3年半は、特に厳しい試練が訪れる。
(2)不法の人の到来は、サタンの働きによるものである。
①不法の人(反キリスト)は、その権威と力をサタンから受ける。
②超自然的な業(偽りの力、しるし、不思議)で人々を欺く。
③欺かれるのは、滅びる人たちである。
④彼らが滅びる理由は、救いとなる真理を愛そうとしなかったからである。
(3)しかし、反キリストは再臨のキリストによって滅ぼされる。
①これは、患難時代の最後に起こることである(イザ11:4参照)。
②黙示19章では、神の敵が白い馬に乗った方の口から出る鋭い剣によって滅
ぼされると預言されている。
Ⅲ.実践的教え(2:13~3:18)
1.怠惰な者への勧告(10~12節)
2Th 3:10 あなたがたのところにいたとき、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。
2Th 3:11 ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。
2Th 3:12 そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。
(1)第一の手紙での勧告
①落ち着いた生活をすることを志し、自分の手で働くように。
②そうすれば、外の人々に対しても立派に振る舞うことができる。
③また乏しいことがないようにするためである。
④ところが、その勧告に従わない人たちが依然としていた。
(2)第二の手紙での勧告
①怠惰な歩みをしている人とは、働くことができるのにそうしない人である。
②彼らは、怠惰な生活をすることによってまじめに働く人々を利用していた。
③また、教会内に悪い影響を与えていた。
④彼らは、キリストの再臨が近いから働く意味がないと考えていた。
⑤もちろん、これはパウロの教えに反することであった。
⑥ついにパウロは、そういう者とは離れていなさいと勧める。
⑦ただし、必要を覚えている兄弟たちへの愛と配慮を怠ってはならない。
2.終わりのあいさつ(16節)
Th 3:16 どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。
(1)パウロは、祈りをもってこの手紙を終える。
①平和の主が、どんな場合にも、平和を与えてくださるように。
②主がすべての信者とともにいてくださるように。
(2)以上の2つは、私たちの願いであり、確信でもある。
①私たちに肉体の健康と魂の平和を与えてくれるのは、聖書の神だけである。
まとめ
1.携挙
(1)キリストの空中再臨である。
(2)なんの前触れもなく起こる。
(3)普遍的教会は天に挙げられる。
①キリストにある死者が先ず復活して天に挙げられる。
②生きている聖徒たちが天に挙げられる。
2.主の日
(1)「主の日」とは、キリストの再臨の日である。
①「主の日」の始まりが、患難時代である。
(2)出来事の順番
①先ず背教が起こる。
②次に不法の者が現れる。
③そこから患難時代が始まる。
④7年後にキリストの再臨が起こる。
⑤キリストは地上に千年王国を建てる。
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