私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
60分でわかる新約聖書(4)ヨハネの福音書
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ヨハネの福音書について学ぶ。
60分でわかる新約聖書(4)「ヨハネの福音書」
1.はじめに
(1)ヨハネの福音書の位置づけ
①マタイ、マルコ、ルカは共観福音書と呼ばれる。
②ヨハネの福音書は、第4福音書と呼ばれる。
③4つの福音書の特徴
*マタイは、キリストを「ユダヤ人の王」として描いた。読者はユダヤ人。
*マルコは、キリストを「しもべ」として描いた。読者はローマ人。
*ルカは、キリストを「人の子」として描いた。読者はギリシア人。
*ヨハネは、キリストを「神の子」として描いた。読者は全世界。
④共観福音書は、キリストの生涯の出来事について記録している。
⑤ヨハネの福音書は、それらの出来事の霊的意味について解説している。
*五千人のパンの奇跡は、すべての福音書が取り上げている。
*しかし、「いのちのパン」のメッセージを記録しているのはヨハネだけ。
⑥ヨハネは、「奇跡」ではなく、「しるし」という言葉を使っている。
(2)著者
①ヨハ19:35
Joh 19:35
それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。
それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。
②著者は目撃者である。
③「主に愛された弟子」である。
④ゼベダイの子ヨハネである(共観福音書から判断できる)
(3)執筆年代
①最後に書かれた福音書である。
②恐らく、紀元85年~95年の間に書かれたのであろう。
2.アウトライン:ヨハネの福音書の特徴
Ⅰ.執筆目的
Ⅱ.7つの神性宣言
Ⅲ.7つのしるし
Ⅳ.信仰と不信仰の対立
結論:信仰と不信仰の葛藤
ヨハネの福音書について学ぶ。
Ⅰ.執筆目的
1.伝道的目的
(1)ヨハ20:30~31
Joh 20:30 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。
Joh 20:31
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
①イエスは神の子キリストである。
②そのことを証明する「しるし」をイエスは数多く行われた。
③その中から7つのしるしが選ばれ、書き記された。
*ヨハネは、聖霊の導きによって7つの奇跡を選んだ。
*ちなみに、4つの福音書には35の奇跡が記録されている。
④イエスをメシアとして信じる者は、イエスの御名によっていのちを得るこ
とができる。
(2)読者は、イエスが行った「しるし」の意味を熟考する必要がある。
①ヨハネの福音書は、読者の信仰か不信仰かを選ぶように迫ってくる。
Ⅱ.7つの神性宣言
はじめに
①「I am 〇〇」は、神の永遠性を示す神性宣言である。
②ギリシア語では、「エゴウエイミ」である。
③ヨハネは、イエスによる7つの神性宣言を記している。
1.「わたしはいのちのパンです」
(1)ヨハ6:35
Joh 6:35
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
(2)モーセが与えたパンと自分が与えるパンとの対比
2.「わたしは世の光です」
(1)ヨハ8:12
Joh 8:12 イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
(2)光と闇の対比
3.「わたしは羊たちの門です」
(1)ヨハ10:7
Joh 10:7 そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
(2)盗人と羊の門の対比
4.「わたしは良い牧者です」
(1)ヨハ10:11
Joh 10:11 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
(2)良い牧者と悪い牧者の対比
5.「わたしはよみがえりです。いのちです」
(1)ヨハ11:25
Joh 11:25 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
(2)いのちと死の対比
6.「わたしは道であり、真理であり、いのちです」
(1)ヨハ14:6
Joh 14:6
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
(2)「迷子の状態、無知な状態、死んだ状態」と「道、真理、いのち」の対比
7.「わたしはまことのぶどうの木」
(1)ヨハ15:1
Joh 15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
(2)キリストに留まることと、離れることの対比
Ⅲ.7つのしるし
はじめに
①キリストの神性を示す7つのしるし
②しるし(サイン)とは、神学的意味を持った奇跡のことである。
1.水がぶどう酒に変わった奇跡(ヨハ2:1~11)
(1)カナの婚礼で、ぶどう酒が切れた。
(2)母マリヤがイエスに助けを求めた。
(3)イエスは母マリヤに、「あなたは、わたしと何の関係があるのでしょうか。
女の方。わたしの時はまだ来ていません」とお答えになった。
(4)「時」とは十字架の時を指す。
(5)イエスは、石の水がめの水を取り、それをぶどう酒に変えた。
(6)この奇蹟は2つの結果を生んだ。
①主イエスの栄光が現れた。
②弟子たちは、イエスをメシアと信じたことが正しかったことを確信し、より深い信仰へと導かれた。
(7)ぶどう酒(喜び)が切れたとき、イエスをそこに招き入れる人は幸いである。
2.王室の役人の息子の癒し(ヨハ4:46~54)
(1)王室の役人が、息子が死にかかっていたため、イエスに助けを求めに来た。
(2)カペナウムからカナまでの距離は約30km。
(3)イエスは「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています」と声をかけた。
(4)役人は、イエスが言われた「ことば」を信じて、帰途に就いた。
(5)イエスが声をかけたその時間に、息子が直った。
(6)イエスのことばに信頼する信仰が、家族の中に生まれた。
3.ベテスダの池での病人の癒し(ヨハ5:1~9)
(1)彼は、長い間(38年間)病気にかかっており、絶望していた。
(2)この病人は、いわば「他者依存症」という病にかかっているような状態。
(3)イエスは、「よくなりたいか」と声をかけ、彼の興味を引いた。
(4)イエスは、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われた。
(6)そのことばに応答した彼は、すぐに直って、床を取り上げて歩き出した。
(7)この「しるし」は、イエスのメシア性をイスラエルに示すためのものである。
4.5千人のパンの奇跡(ヨハ6:1~14)
①このしるしは、群集に対する憐あわれみが動機となって行われたものである。
②またこのしるしは、弟子たちを訓練するためのものでもあった。
③弟子たちの使命は、自分の持てるものをすべて差し出し、メシアが与えてくださ
るものを受けて、それを人々に分配することである。
④このしるしは、「いのちのパン」のメッセージにつながる。
5.嵐を静める奇跡(ヨハ6:16~21)
(1)弟子たちだけで舟に乗り込み、向こう岸(カペナウム)に渡ろうとした。
(2)湖は強風で荒れ始め、9時間も嵐の中をさまよう結果となった。
(3)彼らは、嵐の中で自分たちが無力であることを痛感した。
(4)イエスが近づいて来るのを見た彼らは、恐れた。
(5)イエスは彼らに、「わたしだ。恐れることはない」と声をかけた。
(6)イエスを舟に招き入れると、湖は静まり、舟はすぐに目的地に着いた。
(7)彼らはイエスを信じていたが、それを生活に適用することができなかった。
6.生まれつきの盲人の癒し(ヨハ9:1~7)
(1)イエスは、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわ
ざがこの人に現れるためです」と言われた。
(2)これは安息日に起こった癒しである。
(3)イエスは、つばきで泥を作り、それを盲人の目に塗られた。
(4)イエスは、「行って、シロアムの池で洗いなさい」とお命じになった。
(5)この癒しは、多くの目撃者がいる所で起こった。
7.ラザロの蘇生(ヨハ11:38~45)
(1)イエスは、ラザロの墓の前で涙を流された。
(2)イエスは、死んで4日も経つラザロを蘇生させた。
(3)この奇蹟は、イエスが死者をよみがえらせる権威を持ったメシアであること
を証明している。
結論:信仰と不信仰の葛藤
1.イスラエルの民によるメシア拒否
(1)ヨハ1:11
Joh 1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
(2)ユダヤ人のほとんどがイエスが行ったしるしを拒否し、不信仰がますます強
くなって行った。
(3)その極みが、「十字架につけろ」という叫びである。
(4)ヨハ19:15
Joh 19:15
彼らは叫んだ。「除け、除け、十字架につけろ。」ピラトは言った。「おまえたちの王を私が十字架につけるのか。」祭司長たちは答えた。「カエサルのほかには、私たちに王はありません。」
彼らは叫んだ。「除け、除け、十字架につけろ。」ピラトは言った。「おまえたちの王を私が十字架につけるのか。」祭司長たちは答えた。「カエサルのほかには、私たちに王はありません。」
2.イエスを信じる少数の人々
(1)弟子たち
(2)王室の役人
(3)サマリヤ人
(4)からだに麻痺のある人
(5)盲人
(6)アリマタヤのヨセフとニコデモ
(7)その極みが、トマスの叫びである。
(7)ヨハ20:28~29
Joh 20:28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
Joh 20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
3.今日でも同じ葛藤が存在する。
(1)信仰の道か、不信仰の道か。
(2)ヨハ20:30~31
Joh 20:30 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。
Joh 20:31
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
(3)あなたは、信じて、イエスの名によっていのちを得たか。
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