私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.185 聖霊は感じられるものですか。
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聖霊の内住を感じられないと、救われていないのでしょうか? 救いの条件は福音の三要素だけ、ということを思い出せば、この答えはすぐにわかります。また、聖霊の内住のほかに、聖霊の満たしという言葉もあります。
この辺をすっきりさせて、不安を解消しちゃいましょう!さっそく解説をご覧ください。
185 聖霊は感じられるものですか
Q:イエス・キリストを信じた人の心には、聖霊が宿ると教えられましたが、私は聖霊を感じることができません。私はまだ救われていないのでしょうか。
A:聖書の神は、三位一体の神です。つまり、神は唯一であると同時に、3つの位格において存在しておられるということです。私たちは、父、子、聖霊の3つの位格をすべて神と信じます。第3位格の神である聖霊に関する質問ですが、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、信仰の土台は感情ではなく、聖書のことばです。
つまり、聖霊を感じることができるかどうかは、救われているかどうかの判断基準にはならないということです。人は、イエス・キリストを救い主として受け入れて、救われます。その際、感情的な体験をする人もいますが、そうでない人もいます。流した涙の量は、救いとは無関係です。クリスチャンの中には、感情的な体験を過度に求める人がいますが、これは不自然です。
イエス・キリストを信じた人の内には、聖霊が宿っておられます。なぜなら、聖書がそう言っているからです。
2番目に、感情は、日々の忠実な歩みによって生まれてくるものです。
私たちの感情は、日々変化しています。それゆえ、感情を土台とする信仰は、日々揺れ動きます。安定した信仰生活を送るためには、変わることのない聖書のことばを信頼し続ける必要があります。感情は、聖書のことばを信じた結果生まれてくるもので、その逆ではありません。従って、今は聖霊の働きを感じることができなくても、信仰が成長すると、いつか感じることができるようになります。
3番目に、聖霊の内住と、聖霊の満たしを区別しておきましょう。
すでに申し上げたように、聖霊を感じることができなくても、クリスチャンの内には聖霊が宿っておられます。なぜなら、聖書がそう言っているからです。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」(1コリ6:19)。聖書には、「聖霊の内住を求めなさい」という命令はありません。イエス・キリストを信じたときに、すでに実現しているからです。
しかし、「聖霊に満たされなさい」という命令はあります。「聖霊の満たし」とは、聖霊の支配のことです。聖霊の導きに従順に従っている人は、聖霊に満たされた人です。クリスチャンになってからも神に反抗して生きているなら、その人は、聖霊の内住はあっても、聖霊の満たしを経験していない人です。
参考になる聖句
「 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」(1コリ6:19)
神のことばに忠実に従うなら、聖霊を感じることができるようになります。
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