私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.164 臨死体験は信用できますか。
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魂が肉体から離れて霊界を見てきたなんていう話は、ネットや書籍で山ほど語られています。ただ、聖書的には、今は「聖書が完結したので、神様は幻を通して語る必要がなくなった」時代です。
そんな中、臨死体験がそんなに沢山あって良いものでしょうか。それらの幻の信頼性について考えます。
164 臨死体験は信用できますか
Q:インターネットや書籍で、天国や地獄に実際に行ってイエス様や悪魔を見たという人の体験談や証しがたくさんありますが、それらのものは、信頼に値しますか。クリスチャンでも行いが悪かったために多くの人が地獄に落ちているというような恐ろしい証しもありますが、どのように受けとめるべきでしょうか。
A:天国や地獄に実際に行ったというのは、多くの場合、臨死体験を通過した人たちの証言のです。臨死体験とは、魂が肉体から離脱している間に、天国や地獄などの霊界の幻を見たというものです。このテーマに関して、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、聖書には臨死体験に関する具体的な教えはありません。
臨死体験を信じる人たちがよく引用する聖句は、2コリ12:2~5です。パウロは、自分が「第三の天まで引き上げられた」と証言しています。しかしこの聖句は、パウロが受けた神からの啓示のことを論じたものです。パウロ自身は、肉体を離れてか、肉体のままか、知らないと言っています。従って、聖書を基に臨死体験の信頼性を論じるのは困難なことです。
2番目に、聖書が完結した今は、幻を通した啓示は、一般的な体験ではなくなりました。
つまり、神様の側から見ると、幻を通して語る必要がなくなったということです。聖書的には、臨死体験者の証言の信頼性は、極めて低いと言えます。それゆえ、霊界に関するセンセーショナルな証しによって惑わされてはなりません。悪魔は、光の天使を装い、どのような欺きでも行うことができるからです。
3番目に、臨死体験者が見た幻は、聖書によって吟味されるべきです。
神に不可能はありませんので、すべての幻が100パーセント偽物であると断言することはできません。最終的には、幻の信頼性は聖書によって吟味されるべきです。もし幻が聖書の教えと調和していないなら、その幻の信頼性は崩れます。「クリスチャンでも行いが悪かったために多くの人が地獄に落ちている」という証言は、聖書の教えとは矛盾しています。その幻が神からのものであるなら、それは聖書と調和し、結果的に神の栄光をもたらします。
参考になる聖句
「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、」(コロ2:18)
臨死体験は、聖書によって吟味すべきものです。
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