私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.145 どの洗礼の形式が聖書的ですか。
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洗礼の形式には①頭に水滴を落とす「滴礼」②手や容器を用いて頭に水を注ぐ「灌水礼」③全身を水に浸す「浸礼」の3つがあります。
今回の質問者様は、引っ越した先の教会で「滴礼は聖書的でないので、もう一度浸礼を受けるように」と言われているそうです。
洗礼は救いの条件ではないとはいえ、これはかなり気になりますね!洗礼の持つ本来の意味と歴史上の記録から、聖書が命じている洗礼の形式を確認してみます。
Q. 質問
Q:私は、ある教会で滴礼の洗礼を受けました。その後、引越しのために何度か教会を変わりましたが、洗礼が滴礼か浸礼かを問われたことはありませんでした。今アメリカの教会でメンバーシップコースを受講しているのですが、滴礼は聖書的でないので、もう一度浸礼を受けるように言われました。どう考えればよいのでしょうか。
A. 回答
A:洗礼は、キリストの福音を信じて救われた人が、自らの信仰を公にするため、また、キリストに対する従順を示すために受けるものです。洗礼の形式には3つのものがあります。①滴礼は、頭に水滴を落とすものです。②灌水礼は、手や容器を用いて頭に水を注ぐものです。③浸礼は、全身を水に浸すものです。聖書的な洗礼の形式は、③の浸礼です。その理由を3つ申し上げます。
1番目に、ギリシア語の言葉の意味です。
洗礼のギリシア語は、「バプティゾウ」です。この言葉の意味は「水に浸す」であって、「水滴を落とす」とか「水を注ぐ」といった意味はありません。英語の動詞は「baptize」、名詞は「baptism」ですが、これは「バプティゾウ」の意味を訳したものではなく、単なる音訳です。聖書が「バプテスマを授けよ」と命じるとき、それは、「浸礼を授けよ」という意味です。従って、「私は滴礼で洗礼を受けました」というのは、言葉の矛盾です。
2番目に、洗礼が持っている象徴的意味です。
洗礼の最も基本的な意味は、「一体化」です。信じた人は、自分がキリストと一体化したことを洗礼によって表現します。キリストに3つのことが起こりました。①キリストは十字架上で死に、②墓に葬られ、③3日目に復活されました。キリストを信じた人は、①キリストとともに死に、②キリストとともに葬られ、③キリストとともに復活しました。その3段階を表現するのが、浸礼です。滴礼や灌水礼では、洗礼が持っている象徴的意味を表現することができません。
3番目に、歴史上の記録です。
新約聖書に出てくる洗礼に関する記録は、一貫しています。①福音を聞く→②それを信じる→③浸礼を受ける。これ以外に、洗礼に至る過程はありません。また、浸礼以外に洗礼の形式もありません。
再度申し上げますが、洗礼は救いの条件ではありません。従って、浸礼を受けていなくても、イエス・キリストを救い主として信じているなら、その人は救われています。と当時に、聖書が指定する形式以外の形式で洗礼を受けた人は、聖書的な意味での洗礼はまだ受けていないということになります。その先をどうするかは、本人が神様の関係で判断しなければなりません。
参考になる聖句
「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」(ロマ6:3~4)
聖書が命じる洗礼とは、浸礼のことです。
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