私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.141 誰に対して罪の告白をすべきでしょうか。
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聖書には、私たちが自分の罪を神に言い表すなら、神はその罪を赦してくださると書かれています(第1ヨハネ1:9)。
今回のご質問はそれを踏まえ、「誰かに対して罪を犯した場合、神様だけでなく、その人にも告白したり、謝る必要があるか」というものです。
当然、相手にも謝った方が良さそうですが、心の中で罵倒したとか、情欲の目で見てしまったなど、相手に実害がない罪の場合は・・・? さっそく見てみましょう。
Q. 質問
Q:仮にもし相手に対して過ちをした場合、神様にそれを悔い改めるだけでは良くないのでしょうか。
A. 回答
A:この質問は、誰かに対して罪を犯した場合、神様だけでなく、その人にも告白する、あるいは、謝る必要があるかというものです。いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、聖書では、あらゆる罪は、第一義的には神に対するものです。
詩篇51篇は有名な悔い改めの詩篇ですが、4節でダビデはこう告白しています。「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました」。もちろん彼は、自分が人に対しても罪を犯したことを否定しているわけではありません。彼は、神に対する告白を最優先させているのです。過ちを犯した場合、神に告白することは、心の平安を取り戻すための最善の道です。
2番目に、過ちを犯した相手がいるなら、それはその人に対する罪でもあります。
その人は、「神のかたち」に似せて造られた存在です。罪の告白によって神との平和を回復した者が、隣人との和解を求めないというのは、考えられないことです。つまり、過ちを告白する順番は、先ず神、次に傷つけた相手、ということになります。もし相手に対する謝罪がないなら、罪責感の処理ができておらず、心に問題を抱えたまま生きていくことになります。聖書に出てくる有名な和解は、奴隷に売られたヨセフと、そのヨセフを奴隷に売った兄たちの和解です。
3番目に、罪を告白する対象は、実害を受けた範囲に限定されます。
たとえば、心の中で相手を罵倒したとか、ある婦人に情欲を抱いたとかいうような場合は、相手に実害は及んでいません。その場合は、あえて口に出す必要はありません。さらに、自分が犯した罪の影響を直接受けていない第三者に向かって告白する必要もありません。
もし物質的な実害がある場合は、それに相当する弁済を行なうべきだと思います。
謝罪しても相手が赦してくれない場合がありますが、それはその人の問題です。私たちとしては、自分が為すべき事を為して、結果は神に委ねるべきです。
参考になる聖句
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペ4:32)
誰かに対して罪を犯した場合、神様だけでなく、その人にも告白すべきです。
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