Q.56 イスラム原理主義についてどう考えればいいのでしょうか? テロリストは、なぜあんなに残酷になれるのでしょうか?

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邦人が被害に遭った際に巻き起こった「自己責任論」や、政府の対応を責める論調はテロリストの思うつぼです。イスラム系武装勢力によるテロや暴力行為が起こる背景にある本質的なテーマとは何か、見てみましょう。(今回は特別に、8分17秒あります)

Q.56 イスラム原理主義についてどう考えればいいのでしょうか? テロリストは、なぜあんなに残酷になれるのでしょうか?

 

Q. 質問

イスラム原理主義について、どう考えればいいのでしょうか。テロリストは、なぜあんなに残酷になれるのでしょうか。

 

A. 回答(2015/2/1)

今回は、私がこのテーマについて考える際に、ガイドラインにしている3つの区別についてお話します。皆さんがこのテーマについて考える際に、ヒントにしていただきたいと思います。

 

1番目に、イスラム教とイスラム教徒を区別してください。

これが、まず大切な第一の区別です。イスラム教というのは、「コーラン」に基づく宗教です。そして、その教えの中には「ジハード(聖戦)」という概念が含まれています。また、「アラーに背く者を処罰する」という「勧善懲悪」的な教えもあるわけです。

 

今回、日本がテロの標的になりました(イスラム教過激派ISIS〔イスラム国〕によって邦人2人が拉致、殺害された)。このことによって、軍事行動ではない経済的な支援も含めて、「ジハード(聖戦)の対象」だということが明確になったのです。従来からもそのような発言がありましたが、今回の事件を通して、日本人に明確にそれが示されたということです。

 

ただし、全てのイスラム教徒が、ジハードの概念や勧善懲悪的な意見に賛成しているわけでも、それに基づいて行動するわけでもありません。ですから、「イスラム教」と「イスラム教徒」を区別する必要があります。

 

2番目に、原理主義的イスラム教徒と穏健なイスラム教徒を区別してください。

その区別をする際に役立つキーワードは、「政教一致」か「政教分離」か、です。そのどちらに立つかで、その人の信仰的な立場が相当程度分かります。

 

「政教一致」というのは、「政治はイスラム教の理念に基づいて行うべきである」というものです。「政教分離」というのは、「政治と宗教は分離して考えるべきだ」というものです。

 

キリスト教社会は、長い歴史的経緯を経て、「政教分離」の原則を確立してきました。あるいは、勝ち取ってきたと言ってもいいでしょう。イスラム教社会には、まだそれがありません。

 

イスラム原理主義革命というのは、一言で申し上げると、「政教一致」を回復するための戦いです。しかし、先ほど申し上げたように、穏健なイスラム教徒は、必ずしもそれに賛成しているわけではありません。ですから、イスラム教国の中には、「政教分離」をある程度実行している国もあるのです。

 

分かりやすい例を上げると、他国に移住しているイスラム教徒たちは、そのほとんどが「穏健なイスラム教徒」だと言えます。彼らは、コーランの教えを否定しているわけではありませんが、とりあえず、移住先の「ルール」に従うことを受容したのです。とはいえ、コーランの中にジハード(聖戦)の概念があるということは、神学的には否定できません。ただ行動において、そこにはとりあえず封をして、居住国のルールに従おうというのが、移住している多くのイスラム教徒の考え方です(もちろん、原理主義的な確信を持ち続ける移住者も例外的にいるはずです。受け入れ国には、大変迷惑な話です)。

 

3番目に、第一義的テーマと第二義的テーマを区別してください。

これをしないと、「問題のすり替え」が起こります。問題のすり替えの最も典型的なものは何かというと、「そこに行った人が悪いのだ」という「自己責任論」です。あるいは、「政府の政策が悪いからこうなるのだ」という政権批判の論調です。これは、問題のすり替えです。悪いのは「テロリスト」なのです。

 

第二義的テーマが前面に出てくると、国論が混乱したり、二分したりします。実はこれが、テロリストたちの思うつぼなのです。

 

私たちは、脅迫や暴力によって国の政策が規制されたり、個人の行動が規制されたりするような社会を、望んではいません。それは、もはや「民主主義」ではないのです。「意見の違いは意見をぶつけ合って解決していく」というのが民主主義のルールです。これが、長い時間をかけて人類が築き上げてきた「普遍的な価値観」です。第二義的テーマを中心に論じ始めると、その普遍的価値観が容易に崩壊します。

 

では、第一義的テーマとはなんでしょうか。それは、「コーランの解釈と適用」に関する議論です。何度も繰り返しますが、悪いのはテロリストの方なのです。テロ活動を抑制するためには、イスラム教徒内部での神学的議論が高まる必要があります。よくメディアで、「全てのイスラム教徒はこうだと思わないで欲しい」という声が流れてきます。その通りです。そういう方々にお願いしたいのは、イスラム教徒内部で神学的議論を高めていただきたいということです。

 

イスラム教に今必要なものは、イスラム教内部の「宗教改革」です。そのためには、最低限次の3つのことがらに留意する必要があります。

 

1.「国際世論の高まり」

テロに脅迫されたから、今後は自分たちの政策を自己規制していくというのは、本末転倒です。そうではなくて、国際世論が、テロに対しては最後まで「NO」なのだということを明確にすることです。そうでなければ、世界中が暴力や脅しによって規制される状態に陥ってしまいます。

 

2.「穏健なイスラム法学者」

次に、イスラム法学者の奮起が必要です。彼らが、コーランの解釈と適用に関して、現代の普遍的価値観に適合するような法解釈を提示していく必要があります。ちなみに、イスラム教徒にとってコーランの文言というのは、一字も欠いてはならないくらい神聖で厳粛なものです。ですから、穏健なイスラム法学者に奮起をお願いすると言った途端に、実は、彼ら自身がジハード(聖戦)の対象になる可能性を想定しているわけです。イスラム過激派の論理によれば、そういうことになります。ですから、イスラム教内の宗教改革というものは、大変難しいのです。

 

3.「神の介入」

最後に申し上げたいのが、「神の介入」です。人間の努力が尽きたところから、神の介入が始まります。私たちクリスチャンは、この窮状の中に神様が介入してくださるように祈る必要があります。

 

参考になる聖句

「また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません」(コリント人への手紙第一13:2)

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