私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.24 神が愛なら、どうしてこの世は苦しみ、悲しみで満ちているのですか?
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
難しくてとても3分で答えられそうにない質問ですが、この動画では、そんな難題も3つのポイントに整理して考えてみます。それにしても、もし神様が愛ではなかったら・・・?
Q.24 神が愛なら、どうしてこの世は苦しみ、悲しみで満ちているのですか?
Q. 質問
ニュースなどを見ていると、悲しい事件があったり、さまざまな争いが止むことなく続いたりしています。私自身も、悲しみや苦しみにさいなまれることがあります。神が愛ならば、どうしてこの世では、こんなにも苦しみや悲しみが絶えないのでしょうか。
A. 回答
この質問は、「神が愛なら、どうして悪が存在するのか」という質問に置き換えてもいいですね。とても重要な問いかけだと思います。と同時に、これは、100パーセント回答できる人がいない質問ですね。
しかし、聖書には「考えるためのヒント」がいくつか記されていますから、それを3つ挙げて、ご一緒にこの難しい問題に取り組んでみたいと思います。
1番目に、神は人間に「自由意志」を与えたというところを押さえてください。
自由意志がなければ、人間はロボットになります。私たち人間には、「神に従う自由」も、「反抗する自由」も与えられています。
2番目に、「人間はその自由を行使して神に反抗した」というところを押さえてください。つまり、「人間は自由を悪用した」ということですね。
アダムは最初に造られた人ですが、彼は人類の代表として神と契約を結び、行動しています。不幸なことに、彼は罪を犯しました(神に反抗しました)が、人類の代表として行動しているので、その影響がアダムの子孫である私たちにも及びました。だからと言って、アダムを責めることはできません。なぜなら、私たち自身もまた、アダムのように行動していたはずだからです。
神が愛ならどうして、と私たちは言いますが、客観的に考えれば、人間の側に問題があるのです。それが聖書の教えです。
3番目に、これは大変重要なポイントですが、「しかし、神はそのような人類を見捨てていない」ということです。
神は依然として、私たちの上に目を注ぎ、私たちを救おうとしておられます。ですから、逆の質問をしてみるとよいのです。「もし神が愛でないとしたら、どうしてこの世に、こんなに喜びや感動的なことがたくさんあるのか」。
確かに、人生には悲しみや苦しみがあります。しかし、それと同時に、嬉しいこと、生きていて良かったと思えることが、この世には溢れています。
そして神は、苦しみと悲しみへの最終的な回答を用意されました。それが、イエス・キリストの「十字架」です。イエスは十字架の上で、神に反抗し滅びるしかない私たちの罪の咎を、全部引き受けてくださいます。それが「十字架の愛」です。
確実に言えるのは、神は、苦しみや悲しみへの最終的な回答を持っておられる、ということです。あなたも、あなたを愛して止まない父なる神様のもとに、イエス・キリストを通して近づいてください。
参考になる聖句
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(ヨハネの手紙第一4:10)
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(15)パウロと偽使徒の違い(2)-苦難に満ちた奉仕-11:16~33
コリント人への手紙第二(4)奉仕の本質の解説―新しい契約に仕える祝福―3:1~11
Q423 聖書は、「性差別」を容認しますか。
コリント人への手紙第二(14)パウロと偽使徒の違い(1)11:1~15
ヨハネの黙示録(4)—エペソにある教会—
イスラエル旅2023#089中川牧師とめぐる旅:【祈りの場、西壁】神殿再建の予感