私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.23 洗礼とは何ですか?洗礼を受けないと救われないの?
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
「事情があってまだ洗礼を受けていないの。私はクリスチャン失格ね」
「まだ信仰ははっきりしていないけど、洗礼を受けたら良いこと起きるかな?」
どちらの考えの方にも何と言ってよいか分からない・・・そんな先輩クリスチャンも多いのではないでしょうか。
洗礼を既に受けた方も、その意味と恵みを再確認できる解説です。
Q.23 洗礼とは何ですか?洗礼を受けないと救われないの?
Q. 質問
私は聖書を学び、イエス・キリストを信じましたが、まだ洗礼を受けていません。洗礼を受けないとクリスチャンではないのでしょうか。洗礼とはなんですか。また洗礼を受けなければ、救われませんか。
A. 回答
洗礼の理解に関して、キリスト教界の中にも多少の混乱があるように感じます。
いつものように、3つの点を取り上げて、この質問にお答えしたいと思います。
1番目に、洗礼(バプテスマ)の本来の意味は「一体化」ということです。
つまり、一つになるということです。通常の形式では、受洗者は水の中に入って全身を浸します。その人はずぶ濡れになります。そのことが、一体化を象徴しているわけです。その一体化とは、もちろん、「イエス・キリストとの一体化」です。
ですから、「自分はイエス・キリストを信じた」、あるいは「イエス・キリストと一つになった」、ということを象徴的に表現するのが洗礼です。
2番目に、洗礼は「救いの条件」ではありません。
「人は信仰と恵みによって救われる」というのが、救いに関する真理です。もし、洗礼を受けることが救いの条件であるなら、救いには「人間の業」が必要だ、ということになります。これは、信仰と恵みによる救いとは矛盾する教えです。ですから、洗礼は救いの条件ではないというのが正しい理解です。
もう一つ付け加えますと、既に救われている人が受けるのが洗礼です。従って、信仰がない人が洗礼を受けても、なんの意味もありません。「水」そのものに祝福する力があるわけではないのです。もしそうなら、「世界で一番祝福されているのは金魚だ」ということになります。水には人を救う力はありません。
3番目に、洗礼はイエス・キリストへの従順の第一歩です。
洗礼は救いの条件ではありませんが、それでも重要です。なぜなら、洗礼は、イエス・キリストを信じてクリスチャンになった人が、キリストに従順な生活を始める第一歩となるからです。洗礼を受ける第一の理由は、「イエス・キリストがそう命令されたから」です。クリスチャンとは、「イエス・キリストに従う人」のことです。クリスチャンになった人は、「私はキリストを信じて、キリストと一体となった」ということを表現するために、洗礼を受けます。
以上のことをまとめてみましょう。
洗礼は救われた人が受けるものです。キリストは、私たち人間が「霊と肉」からできていることを、よくご存知です。洗礼を受けた後は、「あぁ、私は救われてクリスチャンになった」という確信が深まります。これは不思議なことですが、体験的事実です。
イエス・キリストは、私たちが弱い者であって、そのような外面的な儀式が必要であることをよくご存知です。特別な事情がない限り、信じた人は、なるべく早く洗礼を受けるのが良いと思います。
参考になる聖句
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイの福音書28:19〜20)
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(18)最後のあいさつ13:11~13
ルカの福音書(9)羊飼いたちへの告知2:8~20
コリント人への手紙第二(17)訪問を前提とした勧告12:19~13:10
ルカの福音書(8)イエスの誕生2:1~7
ヨハネの黙示録(9)—7つの封印を開く前の天の様子—
Q425 天にいるイエスのからだには、十字架の傷跡が残っているのでしょうか。