私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.21 大昔に書かれた聖書を現代に適用するのって、難しいのでは?
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聖書は、紀元前15世紀頃から紀元1世紀にかけて書かれた書物ですが、そこに書かれた「〜しなさい」という内容のすべてを、現代でも実行しなければならない!と主張する人もいます。でも、本当にそんなことが可能なの?というより、その命令って、全部が今でも有効なのでしょうか?
Q.21 大昔に書かれた聖書を現代に適用するのって、難しいのでは?
Q. 質問
聖書は大昔に書かれた書物で、聖書に書かれている命令をすべて実行するのは、難しいのではないでしょうか。「クリスチャンは現代でも全ての命令を実行しなければならない」と主張する人もいますが、それは本当ですか。
A. 回答
答えは、「イエス・アンド・ノー」です。「そうですね」という部分と「そうじゃないですね」という部分があるのです。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、次のことを理解してください。「聖書は時代の流れの中で徐々に書かれてきた本だ」ということです。
例えば、新約聖書が書かれた時には、それは、旧約聖書という土台の上に乗って書かれているのですね。
旧約聖書に関しても同じことが言えます。「創世記」、「出エジプト記」、「レビ記」…という風に順に書かれていったわけですが、後に書かれた書は、前に書かれた書を前提として書かれているということです。
聖書は、時間の流れの中で徐々に書かれてきました。これを、専門的には「漸進的啓示」といいます。徐々に啓示されてきたという意味です。
2番目に、「聖書には、今の私たちに適用する必要のない命令がある」ということです。
もちろん、そこから霊的教訓を学ぶことは出来ます。あるいは、生活のためのヒントを得ることはできます。しかし、それらの命令を直接適用する必要はありません。聖書には、そういう例が沢山あります。
例えば、「歴史的記録」はそのまま適用すべきではありません。1番分りやすい事例を挙げてみましょう。信仰の父と言われるアブラハムには、複数の妻がいました。では、それを自分に適用するでしょうか。しないですよね。「歴史的記録」というのは、「こういうことが起こったんだ」と報告している「事実」であって、そのまま自分に適用すべきものではないのです。
あるいは、「十戒」を中心とした「モーセの律法」という体系は、シナイ山の麓で、神がエジプトを出たイスラエルの民と結んだ契約の「条項」です。ですからそれは、旧約時代のイスラエルに適用されるものであって、イエス・キリストの十字架の死と復活以降に信者になる、新約時代の信者に適用する必要のないものです。
しかし、3番目に「聖書には、今の私たちにそのまま適用すべき命令もある」ということです。
新約時代の信者には、「モーセの律法」に代わって、新しい「律法」が与えられています。それを、「キリストの律法」と言います。その内容は、私たちの心に聖霊が書いてくださるもので、言葉を変えて言えば、「愛の律法」です。
より具体的には、新約聖書の中の「使徒行伝」以降の書、特に「書簡」は、今の私たちにそのまま適用してよいものです。あるいは、そのまま適用すべき教えです。
以上のことから、この質問に対する答えが「イエス・アンド・ノー」となるのです。
今日の結論は、「聖書には、そのまま適用すべき箇所とそうでない箇所がある」ということです。
この見分け作業をしっかり行いながら、聖書を読んでいくことが大切です。
参考になる聖句
「私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです」(ローマ人への手紙7:4)
「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」(ガラテヤ人への手紙6:2)
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