私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.11 旧約聖書に出てくる「いけにえ」の意味は?
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罪の解決方法として、牛や羊を生け贄として捧げなさいと神様が命じる場面が、旧約聖書に出てきます。でもいまどき、牛や羊を捕まえてきて一頭丸ごと捧げるクリスチャンなんて、聞いたことないし・・・。
もちろん、生け贄を捧げなさいと命じられていたのは、キリストが登場するより前の時代の人たちです。たくさんの動物によって何度も流された血と、キリストがただ1度、十字架で流した血。
この2つにはどんな意味や、関係があるのでしょう?
Q.11 旧約聖書に出てくる「いけにえ」の意味は?
Q. 質問
旧約聖書を読んでみたところ「いけにえ」として動物を捧げる場面がありました。なぜ、動物の血を流させるのか疑問に感じました。旧約聖書の「いけにえ」の動物を捧げよという命令の意味について教えてください。
A. 回答
いい質問ですね。確かに、旧約聖書には「いけにえ」の動物の血を流すということがよく出てきます。いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、「いけにえの動物を捧げよ」という命令は、神の恵みによるものです。
日本人は「残酷だ」と思うかもしれませんが、これは「恵み」なのです。その意味を説明します。
この命令を受けたイスラエルの民は、かつてエジプトで奴隷状態にあったのですが、そこから解放されて自由の民となっていました。つまり、神の恵みによって救われ、神の民となっていたということです。ところが、いくら神の民となっていても、現実生活の中では罪を犯すことがあります。失敗することがあります。
その場合に何が起こるかというと、彼らの心に「罪責感」というものがドンと被さってくるのです。私たちについても言えることですが、人は「罪責感」を持っていると、その人本来の活動ができなくなります。その「罪責感」を取り去るための「恵み」の方法として、神は、「罪の贖い」ということを教えて下さったのです。それが、「いけにえの血を流す」ということなのです。
2番目のポイントです。しかし、この「いけにえの血」は、実は不完全なものです。
考えればすぐに分かります。なぜ不完全かというと、それが動物の血だからです。動物の血で人間の罪を贖うことなど、できません。ですから、「いけにえの動物の血を流す」ということは、「罪を取り去る」のではなく、「一時的に罪を覆う」、つまり罪をカバーするということで、これはあくまでも応急処置なのです。と同時に、その「いけにえの血」は、「イエス・キリストが十字架の上で、罪なき御子としての血を流してくださる」ということを暗示しているわけです。いけにえの血は、不完全なものです。
そして、3番目に「キリストの血」は完全なものです。
キリストは罪のない生涯を送り、私たちの身代わりとして死なれました。「動物の血」ではなく「キリストの血」が流されたことによって、私たちの罪が赦されました。本来私たちが受けるべき「罪の罰」をキリストが受けてくださったからです。
イエス・キリストを信じるということは、「あなたを赦したよ」と言ってくださったキリストの愛と赦しを、贈り物として受け取ることです。これが「信仰による救い」ということです。
いけにえの動物は「影」であり、キリストが「本体」です。
あなたも、イエス・キリストを救い主として受け入れ、罪の赦しを体験なさってください。
参考になる聖句
「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです」(ヘブル人への手紙10:1)
「しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです」(ヘブル人への手紙10:12〜13)
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