私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
キリストの使徒たちが伝えたこと(3)—使徒信条とは—「父なる神(1)」
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このメッセージは、父なる神について考えようとするものである。
キリストの使徒たちが伝えたこと(3)
―使徒信条とは―
「父なる神(1)」
使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父(ちち)なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン。
1.はじめに
(1)使徒信条について
①三位一体論を土台とした信仰告白である。
②キリスト論が一番強調されている。
③使徒信条は、使徒たちの作品ではないが、使徒たちの教えが要約されてい
るので、使徒信条と呼んでもよい。
④洗礼式のために、また、異端との戦いのために必要となった。
(2)「信ず」という言葉について
①信仰とは、単なる知的承認ではない。
②信仰とは、個人的な信頼のことである。
③信仰とは、信じる対象としての神が存在することである。
④信仰の有効性は、その人の熱心さによってではなく、信じる対象によって
決まる。
2.アウトライン
(1)聖書が使用する比喩的言葉
(2)父なる神
(3)人格を持った神
このメッセージは、父なる神について考えようとするものである。
Ⅰ.聖書が使用する比喩的言葉
1.神という言葉について
(1)ヘブル語でエロヒム(エル)、ギリシア語でセオス。
①普通名詞。神々を指す言葉である。
②日本語の神も、多くの神々を指す言葉である。
③聖書の神は、どういう神かを示す必要がある。
(2)旧約聖書の啓示
①イスラエルにとっては、彼らをエジプトから導き出した神、約束の地を与
えた神である。
②アブラハム、イサク、ヤコブの神である。
(3)新約聖書の啓示
①旧約聖書の神概念が、イエス・キリストを通してさらに鮮明になった。
②ヘブ1:1~2a
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、
いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私
たちに語られました」
③2コリ1:3
「私たちの主イス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほ
めたたえられますように」
④ヨハ14:9
「イエスは彼に言われた。『ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょ
にいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、
父を見たのです。どうしてあなたは、「私たちに父を見せてください」と言
うのですか』」
2.神を啓示するための比喩的言葉
(1)種々の言葉がある。
①羊飼い
②王
③岩
④父
(2)詩23:1~3
「【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏
させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名
のために、私を義の道に導かれます」
(3)神と信者の関係が、羊飼いと羊の関係にたとえられている。
①この詩篇が書かれた当時の人たちには、非常に分かりやすい比喩であった。
②現代の都市住民には、さほどの実感がない。
(例話)「羊飼いが見た詩篇23篇」。著者フィリップ・ケラー
(宣教師の家庭に生まれ、東アフリカで育つ。羊の牧場主としての経験あり)
(4)比喩的言葉には限界がある。
①神は私たちを守り、導かれる。
②羊飼いは人間であるが、神は人間ではない。
③羊は家畜であるが、私たちは家畜ではない。
3.比喩的言葉を使用する理由
(1)神は、私たちのレベルにまで下ってご自身を啓示してくださる。
①ヘブル人の文化と言語を通して、ご自身を啓示された。
②神の子が人となって、ご自身を啓示された。
(2)私たち人間は、神を直視することができない。
(例話)日食観察には、下敷き、サングラス、ゴーグルが必要。
①比喩的言葉は、太陽を観察するための道具と同じである。
Ⅱ.父なる神
1.イエス・キリストの教え
(1)マタ6:9
「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように」
(2)マタ7:11
「してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を
与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたが
たの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」
(3)ルカ15章の放蕩息子のたとえ
(4)ヨハ20:17
「イエスは彼女に言われた。『わたしにすがりついていてはいけません。わたし
はまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、
彼らに「わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがた
の神のもとに上る」と告げなさい』」
2.パウロの教え
(1)ロマ1:7
「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たち
の父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますよ
うに」
(2)1コリ8:6
「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出
ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエ
ス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たち
もこの主によって存在するのです」
3.比喩的言葉の限界
(1)人間の父の特徴
①子どもを誕生させる。
②子どもを守り、養育の責任を持つ。
③父は人間である。
④父は男性である。
⑤時には、子どもを虐待することがある。
(2)以上の特徴の③~⑤は神に当てはまらない。
①地上の父親から神を想像できない人がいる。
②神の特徴から、地上の父親を見るとよい。
4.神には性別はない。
(1)理由
①性別は、被造世界の一部である。創造によって作られた特徴である。
②もし神に聖別があるなら、多神教の神になってしまう。
(2)聖書は、女性イメージを用いて神を描写している。
①イザ49:15
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」
②詩51:1(ダビデの悔い改めの詩)
「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによっ
て、私のそむきの罪をぬぐい去ってください」
*「御恵み」はヘブル語で「ヘセッド」。
*「あわれみ」はヘブル語で「ラハミム(単数はラハム)」。
・この言葉は、子宮のことである。
・胎内で胎児を守っているイメージ
・イザ66:12~13参照
(3)神を父と呼ぶ理由
①古代中近東における父親の役割が、神に性質を表現するのに適していた。
②神が男性であるとは教えていない。
③神は父としても、母としても、描かれている。
④「母なる神」という言葉を使用していない理由は何か。
*多神教、多産の神、豊穣の神をイメージさせる。
Ⅲ.人格を持った神
1.マルティン・ブーバーの哲学(オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者)
(1)「我‐それ」の関係
①科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在に過ぎな
い。
②これは、プロテスタントの自由主義神学者への批判となる。
③さらに、知識探索のためにだけ聖書を読む人も、同様の批判を浴びる。
④「我」は能動的であるが、「それ」は受動的である。
(例話)ロボットペット(アイボ)はなぜ生産中止になったのか。飽きる!
面倒でも生きたペットがいい。
(2)「我‐汝」の関係
①人格と人格の交流は、相手と自分を関係性として捉えることから生まれる。
②ユダヤ教の神学の神髄。「世界の奥にある精神的存在と交わること」
③彼は、「the Absolute Thou」という言葉を使っている。「絶対的汝」。
2.神は分析不可能な人格的存在である。
(1)礼拝のない神学はなく、神学のない礼拝もない。
①「我‐汝」の関係において、神を認識する。
(2)聖書の啓示は、客観的真理の啓示ではなく、神の自己啓示である。
①神は、単なる客観的な研究材料ではない。
②神を知るとは、神との関係のことである。
(3)神学とは、神の探究ではなく、自己啓示された神への応答である。
①神は語られた。
②それゆえ私たちは、その内容を理解しようと努力する。
(4)神は、契約を結ぶ神である。
①約束したことをすべて果たされる。
(5)神は、罪人をご自身と和解させる神である。
①2コリ5:18~19
「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、
私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいまし
た。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反
行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたの
です」
②キリストの死は、神と私たちを和解させるためのものである。
③しかし、それだけで和解が成立したわけではない。
④それは和解の土台を提供しただけである。
⑤私たちの応答があって初めて、和解が成立する。
⑥「絶対的汝」との和解は、私たちをすべての不安や罪責感から解放する。
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