私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(207)—復活(5)—
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使徒たちの体験について考えてみる。
「復活(5)」
ヨハ20:19~31
1.はじめに
(1)文脈の確認
①週の初めの日(日曜日)に、イエスは復活された。
②聖書は、復活のイエスの出現を10回記録している。
*復活の当日(日曜日)に5回
*それ以降の40日間に5回
(2)復活のイエスの顕現
①マグダラのマリアに(マコ16:9~11)
②女たちに(マタ28:8~10)
③エマオ途上の2人の弟子たちに(ルカ24:13~32)
④ペテロに(ルカ24:34)
⑤トマスを除いた使徒たちに(ヨハ20:19~25)
⑥トマスを含めた使徒たちに(ヨハ20:26~31)
⑦ガリラヤ湖畔で7人の弟子たちに(ヨハ21章)
⑧500人以上の信者たちに(1コリ15:7)
⑨ヤコブに(1コリ15:7)
⑩オリーブ山で使徒たちに(使1:3~12)
(3)今回は、5回目と6回目の現れを見てみる(1週間の間隔があいている)。
(4)A.T.ロバートソンの調和表
§178 トマスを除いた使徒たちへの現れ
ヨハ20:19~25、ルカ24:36~43
§179 トマスを含めた使徒たちへの現れ
ヨハ20:26~31
2.アウトライン
(1)復活のイエスの現れ
(2)弟子たちの信仰
(3)トマスの信仰
(4)この書を書いた目的
3.結論:
(1)「見ずに信じる者は幸いです」
(2)「平安があなたがたにあるように」
使徒たちの体験について考えてみる。
Ⅰ.復活のイエスの現れ
1.19~20節
Joh 20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
Joh 20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
(1)状況説明
①日曜日の夕刻(あるいは夜)のことである。
②弟子たちは夕食のために集まっていた。恐らく過越の食事をした二階部屋。
③彼らは、クレオパともうひとりの弟子の証言を聞いたばかりである。
④彼らはまだエルサレムにいる。ガリラヤに向かっていない。
⑤ユダヤ人たちを恐れて、部屋に鍵をかけて閉じこもっている。
*彼らは、イエスとともに逮捕されそうになった。
*彼らは、ユダヤ人の指導者たちを恐れている。
*彼らは、死を恐れている。
*7週間後のペンテコステの日の彼らの姿とは全く異なる。
⑥イエスは、恵みのゆえに彼らの前に現われる。
(2)イエスの現れ
①締め切った部屋に入って来られた。
*復活の体は異次元の体である。
*しかし、十字架上で死ぬ前の体との継続性がある。
②彼らの中に立たれた。
③「平安があなたがたにあるように」と言われた。
*「シャローム・アレヘム」であろう。
*ユダヤ人の通常のあいさつであるが、ここではより重い意味を持っている。
④その手とわき腹を示された。
⑤弟子たちは喜んだ。しかし、最初は恐れた。
Ⅱ.弟子たちの信仰
1.ルカ24:37~43
Luk 24:37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
Luk 24:38 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。
Luk 24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
Luk 24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
Luk 24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
Luk 24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
(1)イエスは弟子たちの不信仰をしかった。
①ガリラヤに行くように3度言われていたが、エルサレムに留まっていた。
②イエスを見たという人たちの証言を信じることができなかった。
*婦人たち
*クレオパともうひとりの弟子
*ペテロ
③実際にイエスを見ても、恐れて、それを霊だと思った。
(2)イエスは、自分の手と足を見せ、霊ではなく肉体を持っていることを示した。
①それでも彼らは、うれしさのあまり信じられず、不思議がっていた。
(3)イエスは、焼いた魚を食べた。
①霊は食べることができない。
②この時点で、弟子たちは大喜びし、イエスの復活を信じた。
2.21~23節
Joh 20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
Joh 20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
Joh 20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
(1)イエスは弟子たちに御子の権威を授けた。
①イエスは父の権威を受けて派遣された。
②弟子たちは、イエスの権威を受けて派遣される。
*これが大宣教命令と呼ばれるものである(マタ28:18~20)。
(2)「聖霊を受けなさい」
①イエスは息を吹きかけた。使2章では、聖霊が風のように下った。
②しかし、ここでの聖霊の付与は、使2章の聖霊によるバプテスマとは異なる。
③これは、みことばを理解させる力の付与であろう。
*7週後のペンテコステまでの一時的な賜物と考えるべきである。
④ルカ24:45~47
Luk 24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
Luk 24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
Luk 24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
(3)かつてペテロに与えられた使徒的権威が、全員に与えられた。
①「罪を赦す、罪を残す」とは、救いに関することではない。
②これは、新約時代の信者の行動規範に関することである。
3.24~25節
Joh 20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
Joh 20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
(1)トマスはその場にいなかった。
①理由は分からない。
②不在が責められるのではなく、不信仰が責められるべきである。
(2)ほかの弟子たちの証言を信じなかった。
①彼は、実証主義者である。
②しかし、これは合理的な態度ではない。
③科学者でも、見えないものや触れないものの存在を信じている。
(3)弟子たちは、それ以降のガリラヤに向けて旅立たない。
①恐らく、トマスのゆえであろう。
Ⅲ.トマスの信仰
1.26~27節
Joh 20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。
Joh 20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
(1)状況説明
①8日後の日曜日である。
②弟子たちはまだエルサレムに残っている。
③今度は、トマスもともにいた。
④イエスは再び、恵みのゆえに彼らに現れた。
(2)トマスへの言葉
①トマスの願いに答えた。
②愛の溢れることばを語った。
2.28~29節
Joh 20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
Joh 20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
(1)「私の主。私の神」
①ヨハネの福音書のサブテーマの一つが、信仰と不信仰の対比である。
②イエスの敵の不信仰は進展し、最後は十字架刑でクライマックスを迎える。
③弟子たちの信仰も進展し、最後はトマスの信仰告白でクライマックスを迎える。
④重要なのは、イエスがトマスの礼拝を受け入れたことである。
(2)イエスの有名なことば
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」
Ⅳ.この書を書いた目的
1.30節
Joh 20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
(1)ヨハネは、共観福音書に記された奇跡をよく知っていた。
①4つの福音書には、35の異なった奇跡が記されている。
②ヨハネは、7つの奇跡(しるし)を選んで記録した。
(2)現代人は、奇跡の記録を無視したり、合理的に説明しようとしたりする。
①イエス時代の人たちには、それは不可能なことであった。
②彼らは、数多くの奇跡を現実に目撃したのである。
2.31節
Joh 20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
(1)ヨハネが福音書を書いた目的が記されている。
①イエスが神の子キリストであることを信じるため。
②信じて、イエスの御名によっていのちを得るため。
結論:
1.「見ずに信じる者は幸いです」
(1)トマスも含めて、使徒たち全員が見たから信じたのである。
(2)イエスは、信者の信仰を励ますために、ある体験をさせることがある。
(3)しかし、体験によって判断するよりも、みことばによって判断するのがよい。
①体験は、みことばに照らして吟味する必要がある。
(4)イエスは私たちの不完全さをよくご存じである。
①それゆえ、私たちのいるところに降りて来て、語りかけてくださることがある。
②トマスの場合がその好例である。
(5)信仰を強める体験は、主から与えられた恵みであって、みことば以上の価値を有
するものではない。
2.「平安があなたがたにあるように」
(1)通常のあいさつのことばが、深い神学的意味を持つようになった。
①イエスの死の前と後では、「平安」の内容の重みが違う。
(2)ヨハ14:27
Joh 14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
(3)ヨハ16:33
Joh 16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
(4)ロマ5:1
Rom 5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
(5)ピリ4:7
Php 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
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