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創造から新天新地へ(10)―24章でたどる神の救済史 9章 「受難のしもべの預言」イザヤ書53章
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初臨のメシアは「受難のしもべ」として来られる。イザヤ53章の構造を確認すると、それが分かる。
創造から新天新地へ―24 章でたどる神の救済史
9
章 「受難のしもべの預言」
イザヤ書53 章
1 .はじめに
(1)これまでの流れ
①創造 (創1章)
②堕落(創3章)
③アブラハム 契約(創12章)
④出エジプト(出12章)
⑤ 荒野での律法付与(出20章)
⑥約束の地の征服(ヨシ1章)
⑦ダビデ契約(2サム7章)
(2)前回は列王記第二25章を取り上げた。
①王国の崩壊は、偶発的な軍事的敗北ではない。
②2列25章は、長い霊的堕落の必然的帰結である。
③歴史的出来事の背後には霊的理由がある。
(3)今回は、イザヤ書53章を取り上げる。
①イザヤ42章、49章、50章、53章に現れる4つの「しもべの歌」
②53章は、その頂点かつ完成形である
③「王なるメシア」と「受難のしもべ」という二重のメシア像
*ダビデ契約に基づく王的メシア像
*イザヤ53章に示される苦難のメシア
④旧約時代には、この二つが統合されずに並存していた。
(4)救済史におけるイザヤ53章の位置づけ
①王国崩壊後に示された「希望の中心」
②政治的回復ではなく、霊的回復が先行する。
初臨のメシアは「受難のしもべ」として来られる。
イザヤ53 章の構造を確認すると、それが分かる。
Ⅰ.受難のしもべの姿(53:1~9
)
1.1~3節
Isa 53:1
私たちが聞いたことを、だれが信じたか。/【主】の御腕はだれに現れたか。
Isa 53:2
彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。/砂漠の地から出た根のように。/彼には見るべき姿も輝きもなく、/私たちが慕うような見栄えもない。
Isa 53:3
彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、/悲しみの人で、病を知っていた。/人が顔を背けるほど蔑まれ、/私たちも彼を尊ばなかった。
(1)人々から拒絶されるしもべ
①「見るべき姿も輝きもない」
②宗教的・社会的期待からの完全な逸脱
(2)身代わりとしての苦難
①「彼が負ったのは、私たちの病」(4節)
②苦難の原因が本人ではなく「私たち」にあること
(3)沈黙するしもべ
①裁きの場で自己弁護をしない(7節)。
②神の御心への完全な従順
Ⅱ.代償的贖いという核心
1.4~6節
Isa 53:4
まことに、彼は私たちの病を負い、/私たちの痛みを担った。/それなのに、私たちは思った。/神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
Isa 53:5
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、/私たちの咎のために砕かれたのだ。/彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、/その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
Isa 53:6
私たちはみな、羊のようにさまよい、/それぞれ自分勝手な道に向かって行った。/しかし、【主】は私たちすべての者の咎を/彼に負わせた。
(1)「私たちのために」という繰り返し
①贖いの主体は神
②対象は罪ある人間
(2)旧約における代償概念の完成
①犠牲制度(レビ記)との連続性
②動物のいけにえでは到達できなかった最終的贖い
Ⅲ.神の主権と救済計画
1.10節
Isa 53:10
しかし、彼を砕いて病を負わせることは/【主】のみこころであった。/彼が自分のいのちを/代償のささげ物とするなら、/末長く子孫を見ることができ、/【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。
(1)「【主】のみこころであった」の意味
①偶発的悲劇ではない
②神の計画の中にある受難
(2)苦難を通して実現する神の目的
①罪の赦し
②義といのちの付与
(3)福音書の記者たちによる十字架刑の描写
①苦しみの大きさではなく、苦しみに意味に焦点を合わせている。
Ⅳ.義とされる民の誕生
1.11~12節
Isa 53:11
「彼は自分のたましいの/激しい苦しみのあとを見て、満足する。/わたしの正しいしもべは、/その知識によって多くの人を義とし、/彼らの咎を負う。
Isa 53:12
それゆえ、/わたしは多くの人を彼に分け与え、/彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。/彼が自分のいのちを死に明け渡し、/背いた者たちとともに数えられたからである。/彼は多くの人の罪を負い、/背いた者たちのために、とりなしをする。」
(1)「多くの者を義とする」という宣言
①行いではなく、しもべの働きによる義
②後の新しい契約への布石
(2)勝利者としてのしもべ
①分捕り物を分ける王のイメージ
②受難の果てにある栄光
結論:今日の信者への適用
Ⅰ.私たちは「受難のしもべによって生かされている民」であることを認識する。
(1 )救いは、人間の努力によってではなく、神の側の犠牲によって成し遂げられた。
(2 )「自分がどれほど頑張っているか」ではなく、「どれほど大きな代価がすでに支払
われたか」を覚えて生きるべきである。
(3 )信仰の土台は、「彼は私たちの背きのために刺された」という事実にある。
2 .クリスチャンは「栄光に先立つ低さ」を通ることを自覚する。
(1 )受難のしもべは、拒絶され、誤解され、沈黙を強いられた。
(2 )それは、神に見捨てられたからではなく、御心のただ中にあったから。
(3 )私たちも同じような道を通過する。
(4 )「低さ」は失敗のしるしではなく、神が働かれる通路である。
3 .苦しみを「神の手の中のもの」として受け止める。
(1 )苦難は、偶然でも無意味でもない。
(2 )理由がすぐに分からなくても、「神の主権の外にあるものではない」と信じる。
(3 )私たちの信仰は、苦しみの中で神を見失わない信仰である。
4 .「義とされた者」として生きる責任を自覚する。
(1)イザヤ53
章は、「多くの者を義とする」という驚くべき宣言で終わる。
(2 )私たちは、法的に、決定的に義とされた存在である。
(3 )義とされるために生きるのではなく、義とされた者として生きる。
(4 )罪の赦しは免罪符ではなく、新しい歩みへの召命である。
(5 )私たちは、再臨のメシアが来られるのを待ちながら歩む民である。




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