私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(61)「ガリラヤ湖畔での顕現」ヨハ21:1~14
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主は赦しと再出発の場を整えられる。主イエスが弟子たちを取り扱うステップを見る。
ヨハネの福音書(61)
「ガリラヤ湖畔での顕現」
ヨハ21:1~14
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
(4)イエスの受難(18~20章)
(5)エピローグ(21章)
①ガリラヤ湖畔での顕現(21:1~14)
②イエスとペテロの対話(21:15~23)
③後書き(21:24~25)
2.注目すべき点
(1)この出来事は、エルサレムでの2度の顕現(20章)に続く3度目の顕現。
(2)舞台はティベリアの湖(ガリラヤ湖)。弟子たちは故郷に戻って来た。
(3)弟子たちは依然として「何をすべきか」を見失っている。
(4)この出来事は、弟子たちの再召命と再建の物語である。
主は赦しと再出発の場を整えられる。
主イエスが弟子たちを取り扱うステップを見る。
Ⅰ.弟子たちの状態(1~3節)
1.1節
Joh 21:1その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。現された次第はこうであった。
(1)ついに弟子たちは、ガリラヤに帰還した。
①主の命令に従った(マタ28:10,16)。
②弟子たちは最初の召命の場に戻った。
③そこでイエスは弟子たちの前に姿を現された。これで、3度目である。
④これは神の計画を明らかにする「啓示的顕現」である。
(2)この時の弟子たちの心境
①エルサレムでは、驚くべき出来事を息つく間もなく体験した。
②勝利の入城→王国への期待→ユダの裏切り→逮捕の危険→ペテロの3度の拒否
→イエスの死→復活→2度にわたるイエスの現れ
③故郷に戻った彼らは、間違いなく混乱し、将来に不安を覚えていた。
④しかし、弟子たちの召命はやり直しが可能である。
2.2~3節
Joh 21:2
シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子が同じところにいた。
Joh 21:3
シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。
(1)7人の弟子たちがそこにいた。孤立していなかった。
①シモン・ペテロ
②デドモと呼ばれるトマス
③ガリラヤのカナ出身のナタナエル
④ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)
⑤ほかに2人(恐らくアンデレとピリポ)
⑥完全数。「弟子共同体」の象徴。
(2)ペテロがある提案をした。かなりの時間の経過を感じさせるものである。
①「私は漁に行く」=「私は漁師に戻る」
②自分は失敗者だという意識があったのであろう。
③家族を支えなければならない。食べる心配をしなければならない。
④ペテロのせっかちな性格が現れている(墓に最初に入ったのも彼であった)。
⑤他の6人の弟子たちもペテロに合流した。
⑥これは召命の放棄である。
⑦無批判にリーダーに従う危険性が見られる。
(3)その夜は何もとれなかった。
①神の摂理が働いていた。
②主の召命を受けた者が自分の働きに戻っても祝福はない。
③この一文が、この箇所の神学的中心である。
④無駄な一日が再召命の基盤となる。
Ⅱ.復活のイエスの顕現(4~8節)
1.4~6節
Joh 21:4
夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。
Joh 21:5
イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」
Joh 21:6
イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。
(1)イエスは岸辺に立たれたが、弟子たちはそれがイエスだと分からなかった。
①まだ夜が明けきっていなかったのか、あるいは、距離があったのか。
②「夜が明け始めていた」とは、新しい始まりを象徴している。
③霊的盲目から開眼への変化が起こる。
(2)イエスは「子どもたちよ」と呼びかけた。
①愛の呼びかけである。
②「食べる魚がありませんね」は、魚は獲れたかという問いかけである。
③自分の判断で動くことがいかに無意味であるかを自覚させる問いである。
(3)船の右側に網をおろすようにと助言した。
①主の命令による行動への呼びかけである。
②船の右側に網をおろすのは、通常の方法ではない。
③その助言に従うと、おびただしい魚がとれた。
④網を引き上げることができないほどの大魚であった。
⑤最初に召命を受けた時のことを思い出させるものであった(ルカ5:1~11)。
2.7~8節
Joh 21:7
それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。
Joh 21:8
一方、ほかの弟子たちは、魚の入った網を引いて小舟で戻って行った。陸地から遠くなく、二百ペキスほどの距離だったからである。
(1)最初にそれがイエスだと気づいたのは、ヨハネである。
①イエスの復活を最初に信じたのもヨハネであった。
②信仰による識別の象徴である。
(2)ペテロは、上着をまとって湖に飛び込み、泳いで岸に向かった。
①衝動的に行動するペテロ
②ほかの弟子たちは、網を上げないで小舟で引いて岸にたどり着いた。
*岸までは百メール足らずの距離であった。
Ⅲ.和解の食事(9~14節)
1.9~11節
Joh 21:9
こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。
Joh 21:10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
Joh 21:11
シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。
(1)岸には、朝食が用意されていた。
①炭火の上で魚が焼かれていた。パンもあった。
②炭火は2回のみ登場(18:18と21:9)。神学的意図がある。
(2)弟子たちが捕った魚も炭火の上に載せられた。
①イエスは、弟子たちの働きを評価された。
②人間の奉仕と神の恵みの協働を示している。
(3)舟に乗りこんで、網を陸地に引き上げたのはペテロであった。
①他の弟子たちにできなかったことを、ペテロがした。
②ペテロのリーダーシップが暗示されている。
(4)これは、小規模な奇跡である。
①153匹という数
*比ゆ的解釈ではなく、字義通りの解釈がよい。
*漁師仲間では、魚の数を数えて、均等に分配する習慣があった。
②網は破れなかった。
*イエスは、網が破れるようなことをお命じになることはない。
2.12~14節
Joh 21:12
イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。
Joh 21:13
イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
Joh 21:14
イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。
(1)イエスは弟子たちを食事に招いた。
①弟子たちは、イエスだと分ったので「あなたはどなたですか」と尋ねなかった。
(2)イエスがパンと魚を彼らにお与えになった。
①これは、ユダヤ的には和解の食事であり、弟子たちに強い印象を残した。
②使10:39~41(コルネリオに対するペテロのメッセージ)
Act 10:39 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムで行われた、すべてのことの証人です。人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、
Act 10:40 神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
Act 10:41
民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。
(3)3度目は完全数
①使徒全体の使命を回復するためであった。
今日の信者への適用
1.失敗の夜のあとに新しい朝が訪れる。
(1)弟子たちは夜通し働いたが、「何も捕れなかった」(21:3)。
(2)主は、私たちの力が尽きた瞬間に働かれる。
(3)「無収穫の夜」は、再献身の土台である。
2.従順は祝福の前提である。
(1)「舟の右側に網を下ろしなさい」(21:6)
(2)従ったとき、想像を超える大漁が起こった。
(3)信仰生活の転機は、「一つの小さな従順」から始まる。
3.恵みはすでに備えられている。
(1)陸に上がると、すでに炭火と魚とパンがあった(21:9)。
(2)主は彼らの努力の前に、すべてを用意しておられた。
(3)と同時に、彼らの努力も評価された。
4.私たちも交わりの食卓に招かれている。
(1)主は、罪と失敗を責めることなく、食卓で赦しを与える。
(2)炭火の場面は、ペテロの再出発の場となった。
(3)主は私たちを和解の食卓に招いておられる。




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