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ヨハネの福音書(59)「12弟子への顕現」ヨハ20:19~29
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復活の主は私たちの人生に必要なものを与えてくださる。11人の体験とトマスの体験からそのことを学ぶ。
ヨハネの福音書(59)
「12弟子への顕現」
ヨハ20:19~29
1.文脈の確認
(4)イエスの受難(18~20章)
①イエスの逮捕(18:1~11)
②イエスの宗教裁判(18:12~27)
③イエスの政治裁判(18:28~40)
④有罪判決(19:1~16)
⑤十字架刑(19:17~30)
⑥埋葬(19:31~42)
⑦復活(20:1~18)
⑧12弟子への顕現(20:19~29)
2.注目すべき点
(1)復活の主が与える3つのもの
①平安
②聖霊
③使命
(2)トマスの信仰育成から学ぶ教訓
①主は疑う者を見捨てない。
②見ないで信じる信仰が祝された。
復活の主は私たちの人生に必要なものを与えてくださる。
11 人の体験とトマスの体験からそのことを学ぶ。
Ⅰ.11人の体験(19~23節)
1.19~20節
Joh 20:19
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」
Joh 20:20
こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。
(1)状況説明
①日曜日の夕刻(あるいは夜)のことである。
②弟子たちは夕食のために集まっていた。恐らく過越の食事をした二階部屋。
③彼らは、クレオパともうひとりの弟子の証言を聞いたばかりである。
④彼らはエルサレムとどまっている。ガリラヤに行こうとしていない。
⑤ユダヤ人たちを恐れて、部屋に鍵をかけて閉じこもっている。
⑥7週間後のペンテコステの日の彼らの姿とは全く異なる。
*彼らは、イエスとともに逮捕されそうになった。
*彼らは、ユダヤ人の指導者たちを恐れている。
*彼らは、死を恐れている。
(2)イエスは、恵みのゆえに彼らの前に現われる。
①締め切った部屋に入って来られた。
*復活のからだは栄化されたからだである。
*しかし、十字架上で死ぬ前のからだとの継続性がある。
②彼らの中に立たれた。
*復活の主の臨在は教会共同体の中心にある。
③「平安があなたがたにあるように」と言われた。
*「シャローム・アレヘム」。ユダヤ人の通常のあいさつ。
④ここではより重い意味を持っている。
*罪の赦しに基づく平和(ロマ5:1)
*十字架による神との和解に基づく平安
*恐れに支配されていた弟子たちの回復宣言
⑤その手と脇腹を示された。
*復活の証拠性と贖いの永遠性を示す。
*贖いの傷は永遠に残る。
*「ほふられた小羊」として天で永遠に記憶される(黙5:6)。
*残された傷は弱さの象徴ではなく、救いの完成を示す栄光のしるしである。
⑤弟子たちは喜んだ。
*恐れ→平安→喜び(ヨハ16:20~22の約束)
2.21~23節
Joh 20:21
イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
Joh 20:22
こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
Joh 20:23
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」
(1)イエスは弟子たちに御子の権威を授けた。
①イエスは父の権威を受けて派遣された。
②弟子たちは、イエスの権威を受けて派遣される。
*大宣教命令のヨハネ版である(マタ28:18~20)。
③「父→子→教会」という神の救済計画の流れに基づく。
(2) 「聖霊を受けなさい」
①イエスは息を吹きかけた。使2章では、聖霊が風のように下った。
*創2:7とのつながり
②ここでの聖霊の付与は、使2章の「聖霊によるバプテスマ」とは異なる。
③これは、みことばを理解させる力の付与であろう。
④新生と聖霊の内住が与えられたと考えることもできる。
(3)かつてペテロに与えられた使徒的権威が、全員に与えられた。
①「罪を赦す、罪を残す」とは、救いに関することではない。
②これは、新約時代の信者の行動規範に関することである。
③神の判断を宣言する権威が与えられた。
(4)11人に平安、聖霊、使命が与えられた。
Ⅱ.トマスの体験(24~29節)
1.24~25節
Joh 20:24
十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
Joh 20:25そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
(1)トマスはその場にいなかった。
①理由は分からない。傷ついた心の結果、「孤独」を選んだ可能性がある。
②不在が責められるのではなく、不信仰が責められるべきである。
(2)交わりから離れると、信仰が弱くなりやすい。
①彼は、ほかの弟子たちの証言を信じなかった。
②見て、触れなければ信じないというのは、単なる不信仰ではない。
③絶望と傷ついた心から出てきた疑いであろう。
④主は疑う者を見捨てない。
(3)弟子たちは、それ以降もガリラヤに向けて旅立たない。
①恐らく、トマスのゆえであろう。
2.26~27節
Joh 20:26
八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
Joh 20:27
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
(1)状況説明
①8日後の日曜日である。
②弟子たちはまだエルサレムにとどまっている。
③この日、トマスは交わりに戻っていた。信仰回復のきっかけ。
④イエスは再び、恵みのゆえに彼らに現れた。
⑤主は責める前に「シャローム」を宣言し、信仰回復の道を開かれた。
(2)トマスへのことば
①イエスはトマスのことばを聞いていた。
②トマスのことばを正確に引用した。
③そして、愛の溢れることばを語った。
(3)「ユダヤ的証拠要求」に対する主の応答であり、復活の事実を示す証拠である。
①2人の証人による証言
2.28~29節
Joh 20:28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
Joh 20:29
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
(1) 「私の主、私の神よ。」
①ヨハネの福音書のサブテーマの一つが、信仰と不信仰の対比である。
②イエスの敵の不信仰は進展し、最後は十字架刑でクライマックスを迎える。
③弟子たちの信仰も進展し、最後はトマスの信仰告白でクライマックスを迎える。
*主(キュリオス)=権威者
*神(セオス)=礼拝の対象
④重要なのは、イエスがトマスの礼拝を受け入れたことである。
*「ことばは神であった」(ヨハ1:1)→「私の神」
(2)イエスの有名なことば
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
①これは叱責ではなく、祝福宣言である。
*使徒的証人の信仰
*後の信者の信仰
今日の信者への適用
1.復活の主は「平安」を与えてくださる。
(1)恐れに閉ざされた者に主は現れてくださる。
(2)信仰が不安に揺れても、それは主から見捨てられた状態ではない。
(3)「平安があなたがたにあるように。」
(4)これは、十字架によって成し遂げられた平和と赦しの宣言である。
(5)交わりから離れないことが大切である。
2.復活の主は「使命」を与えてくださる。
(1)復活は終わりではなく宣教の始まりである。
(2)父→子→教会
(3)救いはゴールではなくスタートである。
(4)教会は「守りの共同体」ではなく、「遣わされる共同体」である。
3.復活の主は使命を果たすために「聖霊」を与えてくださる。
(1)使命は自力では果たせない。力の源は聖霊にある。
(2)クリスチャンは「努力型信仰」ではなく、「聖霊依存型の信仰」へと導かれる。
(3)ペンテコステの日に聖霊によるバプテスマが成就し、力が与えられた。




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