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ヨハネの福音書(48)「恵みの時代の霊的祝福」ヨハ16:16~33
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恵みの時代における新しい祝福を知ろう。恵みの時代の3つの祝福に着目する。
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ヨハネの福音書(48)
「恵みの時代の霊的祝福」
ヨハ16:16~33
1.文脈の確認
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
①最後の晩餐(13:1~30)
②階上の間の説教(13:31~16:33)
*ぶどうの木にとどまる人生(15:1~10)
*友とされた者の生き方(15:11~17)
*世にある証し人の生き方(15:18~16:4)
*助け主に導かれる人生(16:5~15)
*恵みの時代における祝福(16:16~33)
2.注目すべき点
(1)ディスペンセーションが移行すると、新しい霊的真理が導入される。
(2)律法の時代から恵みの時代への移行が起ころうとしている。
(3)恵みの時代は、教会時代であり、聖霊が中心的に働く時代である。
3.アウトライン
(1)悲しみから喜びへ(16~22節)
(2)新しい祈りの方法へ(23~28節)
(3)患難から平安へ(24~33節)
恵みの時代における新しい祝福を知ろう。
恵みの時代の3つの祝福に着目する。
Ⅰ.悲しみから喜びへ(16~22節)
1.16節
Joh 16:16 しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます。」
(1)聖霊の働きというテーマから、すぐに起こることの予告へと移行する。
①最初の「しばらくすると」は、イエスの逮捕から十字架、死に至る時間を指す。
②次の「しばらくすると」は、3日目の復活までの時間である。
2.17~18節
Joh 16:17 そこで、弟子たちのうちのある者たちは互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』、また『わたしは父のもとに行くからだ』と言われるのは、どういうことなのだろうか。」
Joh 16:18 こうして、彼らは「しばらくすると、と言われるのは何のことだろうか。何を話しておられるのか私たちには分からない」と言った。
(1)弟子たちには、イエスの教えは不可解であった。
①「しばらく」、「またしばらく」、「父のもとに行く」
②これは、十字架、復活、昇天の預言である。
③弟子たちのメシア理解とは一致しなかった。
(2)彼らは、イエスに質問するのではなく、互いに議論し合った。
①この状況は、聖霊の働きの必要性と連動している(16:13~15)。
②ペンテコステ前の彼らは、霊的洞察力に欠けていた。
3.19~20節
Joh 16:19 イエスは、彼らが何かを尋ねたがっているのに気づいて、彼らに言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』と、わたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。
Joh 16:20 まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しみます。しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。
(1)「気づいて」は、ギリシア語の「エグノウ」で、完全に知ったという意味。
①イエスの全能性が示されている。
(2)イエスは、弟子たちの疑問には直接答えず、別の情報を追加した。
①「まことに、まことに」は、厳粛な予告をする際のことばである。
②弟子たちは、イエスの死を嘆き悲しむ。
③この世(ユダヤ人指導者層、ローマ当局、サタンの勢力)はそれを喜ぶ。
④しかし、弟子たちの悲しみは喜びに変わる。復活の預言。
(3)教訓
①一時的な敗北に見える中にこそ神の勝利が隠されている。
②メシアの二面性―苦難のしもべと勝利の王を体験する第一歩である。
4.21~22節
Joh 16:21 女は子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません。
Joh 16:22 あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
(1)悲しみや痛みが喜びに変わる例として、女性の出産が上げられる。
①赤子が生まれると、妊婦はすぐに激しい苦痛を忘れる。
(2)弟子たちは、陣痛の時を迎えているが、やがて喜びに満たされる。
①復活のイエスに出会ったときに、それが起こる。
②その喜びは、いつまでも続く。イエスが永遠に生きるから。
(3)教訓
①この喜びは、聖霊による復活の確信からくる信仰的喜びである。
②この喜びは、新約における内的祝福の一部であり、環境に左右されない。
Ⅱ.新しい祈りの方法へ(23~28節)
1.23~24節
Joh 16:23 その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。
Joh 16:24 今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。
(1)「その日」とは、聖霊降臨後の時代(教会時代)である。
①イエスに直接問う必要がなくなる。
②弟子たちは、イエスの代理人として、イエスの名によって父に求める。
③これまで弟子たちは、イエスの名による祈りを知らなかった。
(2)「イエスの名によって求める」とは、「おまじない」ではない。
①イエスの意図に沿って求めるのである。
②「イエスの名による祈り」は、父なる神の御心と調和した祈りである。
③イエスの名によって祈り、答えられる経験が、信者の内的な喜びを完全にする。
(3)教訓
①イエスの名による祈りは、新約の特権であり、教会の霊的祝福の中心である。
②この喜びは、外的状況による一時的なものではなく、持続的な内的喜びである。
2.25節
Joh 16:25 わたしはこれらのことを、あなたがたにたとえで話しました。もはやたとえで話すのではなく、はっきりと父について伝える時が来ます。
(1)イエスは、ベルゼブル論争(マタ12章)以降、たとえで教えた。
①一般民衆は、その意味が理解できなかった。
②弟子たちには、個人的な解説が与えられた。
(2)たとえではなく、はっきりと話す時が来る。
①聖霊降臨以降に、それが実現する。
②イエスの名による祈りに加え、父なる神について明瞭に教えられる特権が教会
に与えられる。
③パウロ書簡には、神の奥義の啓示が記されている。
3.26~27節
Joh 16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めます。あなたがたに代わってわたしが父に願う、と言うのではありません。
Joh 16:27 父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。
(1)弟子たちは、イエスの名によって、直接父に願うことができる。
①イエスが弟子たちに代わって父に願うのではない。
②これは、イエスの大祭司としての働きを否定しているのではない。
(2)弟子たちはイエスを信じたので、父なる神と愛の関係に入っている。
①信者は、神の家族の一員として受け入れられた。
②その根拠は、救いの信仰告白である。
4.28節
Joh 16:28 わたしは父のもとから出て、世に来ましたが、再び世を去って、父のもとに行きます。」
(1)これは、イエスの使命を一文で要約したものである(原文では一文)。
①前半は、受肉と辱めを表している。
②後半は、復活、昇天、栄化を表している。
(2)これは、イエスの神性宣言である。
①預言者たちは神から派遣されたが、御子は「父のもとから出た」。
②父との本質的関係と神的起源が強調されている。
Ⅲ.患難から平安へ(29~33節)
1.29~30節
Joh 16:29 弟子たちは言った。「本当に、今あなたははっきりとお話しくださり、何もたとえでは語られません。
Joh 16:30 あなたがすべてをご存じであり、だれかがあなたにお尋ねする必要もないことが、今、分かりました。ですから私たちは、あなたが神から来られたことを信じます。」
(1)弟子たちは、イエスの教えをようやく理解した。
①イエスがたとえではなく、はっきりと話したから。
②この反応は、自己尚早である。
③真の理解は、聖霊による啓示によって可能となる。
(2)イエスが全能のお方であることを理解した。
①イエスは、「わたしは父から出て」と言われた。
②弟子たちは、「あなたが神から来られたことを信じます」と応じた。
③しかし、弟子たちの告白は、十字架の衝撃に耐えるほど成熟していない。
2.31~32節
Joh 16:31 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは今、信じているのですか。
Joh 16:32 見なさい。その時が来ます。いや、すでに来ています。あなたがたはそれぞれ散らされて自分のところに帰り、わたしを一人残します。しかし、父がわたしとともにおられるので、わたしは一人ではありません。
(1)イエスは、弟子たちの信仰の不完全さを知っていた。
①「今、信じていると思っているのか」。皮肉を含んだ反語的疑問。
②散らされて、イエスを一人残す時が来る。
③ゼカ13:7の預言
Zec 13:7 剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の【主】のことば──。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。
(2)父がともにおられるので、イエスは孤独ではない。
①マタ27:46の瞬間的断絶は別。
Mat 27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
3.33節
Joh 16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」
(1)「これらのこと」とは、ヨハ14~16章の内容である。
①ディスペンセーションが移行しつつある。
②弟子たちは、苦難を通過する。
(2)イエスに従う者の二面性
①キリストにある。この世にある。
②この世にあっては患難がある。キリストにあっては平安がある。
③教会時代の普遍的特徴である。
(3)イエスはすでに世に勝った(完了形)。
①この世の支配者(悪魔)を打ち破った。
②イエスに従う者は、勇敢な者になることができる。
③階上の間の説教のクライマックスは、世に対する勝利である。
結論:今日の信者への適用(恵みの時代の3つの祝福)
1.苦しみは一時的、喜びは永遠
(1)信仰生活において、「見えない主」による試練の時がある。
(2)しかし、その「しばらく」は神のご計画の中の一時に過ぎない。
(3)苦しみの後には、神の目的にかなった喜びが備えられている。
2.父への直接の祈りという特権
(1)信者は、イエスの御名によって父に直接祈ることができる。
(2)それは仲介者を必要としない、神との親密な交わりのしるしである。
(3)祈りは、喜びを満たす手段である。
3.勝利はすでに成就している
(1)キリストの十字架と復活は、決定的な勝利を確立した。
(2)信者は、その勝利の中に生きている。
(3)勝利の確信が信仰の力となる。
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