私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(47)「助け主に導かれる人生」ヨハ16:5~15
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クリスチャンは、聖霊に導かれた人生を歩むことができる。
ヨハネの福音書(47)
「助け主に導かれる人生」
ヨハ16:5~15
1.文脈の確認
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
①最後の晩餐(13:1~30)
②階上の間の説教(13:31~16:33)
*ぶどうの木にとどまる人生(15:1~10)
*友とされた者の生き方(15:11~17)
*世にある証し人の生き方(15:18~16:4)
*助け主に導かれる人生(16:5~15)
2.注目すべき点
(1)十字架にかかる前夜、弟子たちに聖霊の約束が告げられる。
(2)聖霊は、イエスの働きを継続し、深化させる方である。
(3)ディスペンセーションは、律法の時代から恵みの時代に移行しつつある。
(4)この箇所は、聖霊論の中心となる箇所である。
(5)クリスチャンは、聖霊に導かれた人生を歩むことができる。
3.アウトライン
(1)聖霊が派遣される(5~7節)
(2)聖霊の世に対する働きがある(8~11節)
(3)聖霊の弟子たちに対する働きがある(12~15節)
4.結論:今日の信者への適用
クリスチャンは、聖霊に導かれた人生を歩むことができる。
Ⅰ.聖霊が派遣される(5~7節)
1.5~6節
Joh 16:5 しかし今、わたしは、わたしを遣わされた方のもとに行こうとしています。けれども、あなたがたのうちだれも、『どこに行くのですか』と尋ねません。
Joh 16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したため、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。
(1)弟子たちは悲しみに満たされた。
①この世から受ける憎しみについての予告があった。
②イエスが去って行くので、この世からの憎しみは弟子たちに向けられる。
③彼らは、自分たちの将来に関して悲しみに満たされた。
*イエスなしにはやって行けないと考えた。
④彼らは、イエスの将来については、さほどの関心を示さなかった。
⑤イエスが去って行く理由と行先を知っていたなら、喜びに満たされたはず。
(2)彼らは、「どこに行くのですか」と尋ねなかった。
①トマスでさえも、尋ねなかった。
②ヨハ14:5
(3)彼らは、時代が移行しつつあることを理解することができなかった。
①「今」という時を理解できなかった。
②イエスの死、埋葬、復活、昇天という出来事の重要性を理解できなかった。
2.7節
Joh 16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。
(1)イエスが去って行くことは、弟子たちにとって益である。
①イエスの死、埋葬、復活、昇天
②それがなければ、伝えるべき福音が存在しないことになる。
③昇天がなければ、イエスが栄光の座に着くこともない。
④イエスが栄光の座に着かなければ、聖霊が降臨することもない。
(2)栄光の座に着いたイエスは、聖霊を弟子たちのところに遣わされる。
①これまでも、聖霊は常に働いておられた。
②しかし、ペンテコステの日以降、聖霊は新次元の働きを開始する。
③イエス(わたし)が聖霊を遣わされる。
④聖霊は、「助け主」と呼ばれている。
*イエスが去った後の聖霊の働きは、「助け主」としてのそれである。
(3)適用:悲劇が祝福をもたらす場合もある。
Ⅱ.聖霊の世に対する働きがある(8~11節)
1.8節
Joh 16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。
(1)「エケイノス」は、「その方」とも「それ」とも訳せる。
①聖霊は第3位格の神である。
(2)聖霊の働きの中心は、過ちを認めさせることである。
①これは、回心(conversion)ではなく、認罪(conviction)である。
②認罪は、回心に先立つ。
③聖霊は、通常、信者を通して働かれる。
2.9~11節
Joh 16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
Joh 16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
Joh 16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
(1)罪について
①罪とは、神への反抗である。
②イエスを十字架につけたのは、その反抗が頂点に達したということである。
③人々が容易に罪を認めないのは、神に反抗しているという意識がないから。
④現代の私たちが犯す罪とは何か。
*キリストへの不信仰
Joh 3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。
*神の真理をはばんでいる(妨げている)こと
Rom 1:18 というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
⑤聖霊は、人々に罪を認めさせる。
⑥聖霊の到来そのものが、人々の罪を証明している。
*人々がイエスを拒否し十字架につけたので、聖霊が来られた。
(2)義について
①ユダヤ人たちは、イエスは悪霊に憑かれていると主張した。
②イエスが不義であると信じたので、十字架にかけた。
③ガラ3:13と申21:23
Gal 3:13 キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。
④しかし、復活と昇天は、イエスが義であることを証明した。
⑤イエスの復活が伝えられるとき、聖霊は、イエスが義であることを証しする。
⑥イエスの復活と昇天により、サタンは大打撃を被った。
(3)裁きについて
①イエスの死と復活は、この世の支配者であるサタンを裁くものとなった。
Col 2:15 そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。
②「死の力を持つ悪魔」は滅ぼされた(ヘブ2:14)。
*悪魔は今も活動しているが、それは刑期を待つ死刑囚のような状態である。
③神に反抗する者は、悪魔が裁かれたことを知るべきである。
④悪魔と罪人に下ろうとしている裁きを恐れるべきである。
Ⅲ.聖霊の弟子たちに対する働きがある(12~15節)
1.12~13節
Joh 16:12 あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。
Joh 16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
(1)弟子たちの霊性には限界があった。
①彼らは、メシア的王国での栄誉を求めていた。
②自分たちの将来に不安を感じていた。
③イエスの死と復活が必要とは感じていなかった。
(2)真理の御霊の役割
①イエスとその御業についての真理を弟子たちに教える。
②父なる神から聞いたことだけを話す。
*三位一体の神の位格は、独立している。
*父が御子に関する真理を聖霊に語り、聖霊がそれを弟子たちに教える。
③やがて起ころうとしていることを弟子たちに示す。
*この中には、終末論の情報が含まれている(新約聖書の中の預言)。
*これは、新約聖書が完成することの保証である。
6.14~15節
Joh 16:14 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
Joh 16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに伝えると言ったのです。
(1)御霊の役割は、イエスの栄光を現すことである。
①これは、クリスチャンの奉仕や集会を評価するための基準である。
②イエスの御名があがめられているなら、それは聖霊が働いている証拠である。
③聖霊に関心が向いているなら、この基準からは逸脱している。
*聖霊に祈ることは、聖書が示す標準的なパターンではない。
(2)御霊は、イエスに関する真理を教える。
①イエスに関する真理は、すべて父から出たものである。
②父のものはイエスのものであり、イエスのものは父のものである。
③ここには、三位一体の神の統一性と調和がある。
結論:今日の信者への適用
1.悲劇の中に神の計画が隠されている。
(1)イエスの「去る」ことは、聖霊の到来のための準備であった。
(2)私たちの痛みや喪失にも神の目的がある。
(3)試練の中で、「今は分からないが、後でわかる」(13:7)という信仰が求められる。
2.福音宣教の主役は聖霊である。
(1)現代の社会は、「罪」「義」「さばき」といった概念を拒否する。
(2)聖霊は、人々に罪を示し、義を啓示し、裁きの現実を教えている。
(3)伝道の主語は「聖霊」であり、私たちは証人として語るだけである。
3.聖霊は、私たちをキリストをあがめる人生へと導く。
(1)聖霊は、自分を主張せず、キリストをあがめる働きをする。
(2)聖霊の導きは、聖書に親しみ、主の御声を聞こうとする姿勢の中に実現する。
(3)家庭での祈り、職場での誠実、礼拝での畏敬などを吟味しよう。
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