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ヨハネの福音書(45)「友とされた者の生き方」ヨハ15:11~17
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友とされた者の生き方について学ぶ。
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ヨハネの福音書(45)
「友とされた者の生き方」
ヨハ15:11~17
1.文脈の確認
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
①最後の晩餐(13:1~30)
②階上の間の説教(13:31~16:33)
*ぶどうの木にとどまる人生(15:1~10)
*友とされた者の生き方(15:11~17)
2.注目すべき点
(1)イエスは私たちを友として選んでくださった。
(2)3つの命令が与えられた。
「愛にとどまること」、「互いに愛し合うこと」、「実を結ぶこと」
3.アウトライン
(1)喜びに満たされた人生(11節)
(2)互いに愛し合う人生(12~14節)
(3)友と呼ばれる人生(15節)
(4)実を結ぶ人生(16~17節)
4.結論:今日の信者への適用
友とされた者の生き方について学ぶ
Ⅰ.喜びに満たされた人生(11節)
1.11節
Joh 15:11 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
(1)「これらのこと」(15:1~10)
①ぶどうの木と枝のたとえ
②イエスの愛にとどまる。
(2)それを話した目的は、弟子たちが喜びに満たされるためである。
①イエスの喜びは、父なる神への従順から生まれたものである。
*イエスは、十字架を忍び、神の御座の右に着座された(ヘブ12:2)。
③弟子たちは、イエスへの従順によって喜びを体験する。
④人間が神に対して従順になれば、神が喜びで満たしてくださる。
(3)受難前夜に「喜びに満たされる」というテーマが取り上げられた。
①「イエスの喜び」は、状況に左右されないものである。
②3種類の「喜びの源」
*ユダヤ人たちは、律法の義を求める。
*この世は、神を排除することで喜びを得ようとする。
*クリスチャンは、イエスとの親密な交わりによって喜びに満たされる。
Ⅱ.互いに愛し合う人生(12~14節)
1.12~13節
Joh 15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
Joh 15:13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
(1)「わたしの戒め」とは、互いに愛し合うことである。
①愛し続けることである。
②信者は、互いのことを心にかけ、互いの徳を立てることによって成長する。
③この戒めの新しい要素は、「わたしがあなたがたを愛したように」である。
④ヨハ13:34
Joh 13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
⑤イエスの愛は、単に感情的なものではなく、歴史的事実である。
(2)イエスの愛は、友のためにいのちを捨てる愛である。
①ギリシア・ローマ世界では、友のために死ぬのは英雄物語である。
②ユダヤ教では、隣人のいのちよりも自分のいのちが大切だと教える。
③イエスの自己犠牲の愛は、ユダヤ教を超越したものである。
④この話をした直後に、イエスは十字架に向かう。
(3)イエスは信者に、友のために死ぬことを要求しているわけではない。
①もしそれが御心なら、その時に力が与えられる。
②私たちへの適用は、自己犠牲の愛の実践である。
*時間を取って話を聞くこと
*経済的な面も含めて援助すること
*励ますこと
*祈りで支えること
③自己犠牲の愛は、聖霊の助けによって可能となる。
④愛し合うことは単なる感情ではなく、実際の行動である。
2.14節
Joh 15:14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
(15節で、この節を含めて解説します)
Ⅲ.友と呼ばれる人生(15節)
1.15節
Joh 15:15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。
(1)弟子たちは、「しもべ」から「友」に移行する。
①しもべの関心事は、主人の命令に注意を払い、それを実行することである。
②しもべと主人の間には、深い心の交流はない。
③しもべは、主人の内面を知らなくても、仕事を行うことができる。
④これまでの弟子たちの状態は、「しもべ」であった。
(2)弟子たちが「友」と呼ばれる理由は何か。
①イエスは、父から聞いたことをみな彼らに知らせたからである。
*隠されていたものを開示した。
②イエスと弟子たちの間には、深い心の交流がある。
*「友」とは、愛し合う者同士であり、信頼と対等さを保持する者同士。
(3)関係の質が、「命令と服従」から「信頼と共有」へと変化した。
①命令に盲目的に従うだけの者ではなく、神のご計画の共同執行者となった。
②「友」ということばには、「契約の友(רֵעַ)」の概念がある。
*契約的忠実さと信頼関係に基づく親密な結びつきを表す。
*アブラハムは、「神の友」(ヤコ2:23)と呼ばれた。
・神の計画を知らされ、それに参与する存在
*ダビデとヨナタンは、「契約の友」(1サム18:1~4)であった。
・生死をかけた相互の契約関係
(4)「契約の友」とは、神とともに歩み、神の心を知り、神の計画に参与する者。
①教会の役割は、御心を知り、それを世に伝える「友としての証人」となること。
Ⅳ.実を結ぶ人生(16~17節)
1.16~17節
Joh 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
Joh 15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。
(1)イエスが弟子たちを選んだ。
①ユダヤ教の習慣では、弟子が師を選ぶ。
②イエスと弟子たちの関係は、それとは逆である。
③イエスが能動的に彼らを召された。選びの主権の強調がある。
④この選びは、「救いの選び」ではなく、「奉仕と使命の選び」である。
⑤「任命した」は、ギリシア語で「ティセイミ」である。
*英語で「ordain」「appoint」である。
*按手礼は、「ordination」である。
(2)使命の内容
①「行って」
*命令に従って出て行く。
*イエス・キリストの福音を携えて世界に出て行く。
②「実を結ぶ」
*ヨハ15章全体の主題。霊的成果、福音伝道、御霊の実などを含意。
*実を結び続けるということ。
*その実はいつまでも残る。永遠の価値のある成果。
③「わたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださる」
*白紙委任の約束ではない。
*神からの使命を果たすという文脈の中で理解する必要がある。
*父は祈りに応えることによって、弟子たちの使命を全うさせてくださる。
(3)イエスとの友情関係
①イエスを愛する者は、兄弟をも愛する。
②兄弟愛の実践が、当然の義務としてそこに関わってくる。
③一匹狼のクリスチャンは、聖書的ではない。
結論:今日の信者への適用
1.私たちは、キリストの喜びに満ちる者として召されている。
(1)信仰生活は、苦行ではなく、キリストの喜びに満ちる生き方である。
(2)この「喜び」は、神との交わりと従順から生まれる満たされた喜びである。
(3)感情や環境に振り回されるのではなく、「主の喜び」に根ざす人生を目指そう。
2.私たちは、犠牲的愛(アガペー)を実行するように召されている。
(1)「自分が受けたいように」ではなく、「主が愛されたように」愛する。
(2)教会の一致と証しの力は、この「互いの愛」に根ざしている。
(3)自分の権利・快適さ・プライドを捨てて他者を生かすことに召されている。
3.私たちは、イエスの「友」として召されている。
(1)イエスが私たちを「友」と呼ばれるのは、親密な関係と啓示の共有に基づいてい
る。
(2)神のご計画を知り、それに参与する者として、「友」としての自覚を持つべき。
(3)単なる従順ではなく、「主の心を知った上での従順」こそ、友としての歩み。
4.私たちは、イエスによって選ばれた者として召されている。
(1)私たちは、目的をもって選ばれた。
(2)「実を結び、それが残る」は、信仰の実践、福音の証し、弟子訓練などを含む。
(3)自分の存在と行動が、永遠の視点に根ざしているかどうかを問うべきである。
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