私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(43)「助け主の約束」ヨハ14:15~31
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助け主の約束について学ぶ。
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ヨハネの福音書(43)
「助け主の約束」
ヨハ14:15~31
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
①最後の晩餐(13:1~30)
②階上の間の説教(13:31~16:33)
*新しい戒め(13:31~35)
*ペテロの質問とイエスの回答(13:36~38)
*父なる神への唯一の道(14:1~14)
*助け主の約束(14:15~31)
2.注目すべき点
(1)不安に襲われた弟子たちに対して、慰めが語られる。
(2)愛と従順の関係性が語られる。
(3)聖霊なる助け主の到来が約束される。
3.アウトライン
(1)もう一人の助け主の約束(15~17節)
(2)戻って来るという約束(18~21節)
(3)ユダの質問に対する回答(22~26節)
(4)平安の約束(27~31節)
4.今日の信者への適用
助け主の約束について学ぶ
Ⅰ.もう一人の助け主の約束(15~17節)
1.15節
Joh 14:15
もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
(1)間もなくイエスは弟子たちの前から姿を消そうとしている。
①目に見えない人を、どうのように愛したらよいのか。
②イエスの戒めを守ることが、イエスに対する愛を示すことである。
③クリスチャンは、イエスを愛している(前提としての事実)。
④イエスは、父なる神への従順によって手本を示された。
⑤クリスチャンは、イエスに対する従順によって愛を示す。
(3) 「わたしの戒め」
①福音書の中のイエスの教え
②それ以降の新約聖書の教え全体(キリストの律法)
③では、いかにして「キリストの律法」を全うすることができるのか。
2.16節
Joh 14:16そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
(1)父なる神は、イエスの願いを聞かれる。
①「お願いする」は「祈る」という意味である。
*通常は、「アイテオウ」という動詞である。
*下位の者が上位の者に対して願う際の動詞である。
②ここでは、「エロウタオウ」という動詞が使われている。
*同じ位の者が他者に願うという意味である。
③イエスの祭司的執りなしを予告している(ヨハ17章、ロマ8:34)。
(2)弟子たちに、助け主が与えられる。
①「パラクレートス」とは、助けるために「そばに呼ばれる者」のことである。
*英語で「comforter」、人格的存在である。
②イエス自身が「助け主」であるが、それとは別の「助け主」が与えられる。
*「アロス」は「同質」、「ヘテロス」は「異質」という意味。
③助け主は、いつまでも信者とともにおられる。
*旧約時代と対照的な「聖霊の内住の永続性」が約束される。
3.17節
Joh 14:17
この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
(1)「もう一人の助け主」は「真理の御霊」である。
①真理を明らかにし、それに導く霊である。
②真理であるキリストを証しし、キリストに栄光を帰す。
(2)世(不信者)は聖霊を受け入れることができない。
①見ることができない。霊的洞察力の欠如
②知ることもない。人格的な交わりの欠如
③罪責感を覚えても、それが聖霊によるものだということを理解できない。
(3)「あなたがた」と「世」が対比されている。
①彼らは、イエスの働きを通して、また派遣の中で聖霊を体験してきた。
②「あなたがたは、この方を知っています」。「あなたがた」に強調点がある。
③「あなたがたとともにおられ」は、現在形(普遍的真理)である。
④「あなたがたのうちにおられるようになるのです」は、未来形である。
*ペンテコステ以降、これが現実のものとなる。
Ⅱ.戻って来るという約束(18~21節)
1.18~19節
Joh 14:18
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
Joh 14:19あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
(1)悲劇が彼らを襲う前の励ましのことばである。
①「孤児にはしません」は、霊的に見捨てられた状態にはしないという意味。
②聖霊の到来によって、イエスの臨在が継続されるという約束である。
(2)イエスは弟子たちのところに戻って来る(三重の意味を含む)。
①復活
*弟子たちは、復活のイエスを見るようになる。
ペンテコステの日の聖霊降臨
*これ以降、内住の聖霊によってイエスを見るようになる。
③再臨
*再臨によって地上に戻られる。
(3)信者と不信者の分離が起こる(霊的区別)。
①不信者は、イエスを見なくなる。
②信者は、イエスを見る。
(4) 「わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです」
①いのちの共有が約束される。
②イエスの復活のいのちが信者に与えられる(永遠のいのち)。
2. 20節
Joh 14:20
その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
(1)「その日」とは、聖霊降臨の日であろう。
①聖霊が信者の内に住むことによって、新しい認識と関係が始まる日である。
(2)キリストと信者の関係は神秘的である(三層の内在的関係)。
①キリストと父の間には存在的一致がある。
②信者は、キリストの内にいる。
③キリストは、信者の内にいる。
3.21節
Joh 14:21
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」
(1)愛と従順の結びつきが強調される。
①「戒めを保ち」とは、みことばを内面化していることである。
②「それを守る」とは、継続的に守り行うことである(現在分詞)。
③イエスへの愛は、従順という具体的な形で表現される。
(2) 「わたしを愛している人はわたしの父に愛され、」
①救いの愛(無条件の愛)とは異なる、交わり(親密さ)における愛である。
②従順と愛によって交わりは深まる。
(3) 「わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します」
①イエスに従順になればなるほど、イエスとの関係が深くなる。
②祈り、みことばの瞑想、霊的従順の中で体験する恵みである。
Ⅲ.ユダの質問(22~26節)
1.22節
Joh 14:22
イスカリオテでないほうのユダがイエスに言った。「主よ。私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、どうしてですか。」
(1)イスカリオテでないユダは、タダイ(マタ10:3、マコ3:18)。
①多くのユダヤ人が、ローマを打ち倒し、王座に着くメシアを期待していた。
②ユダは、王である方が世に姿を現さないのはおかしいと、考えたのである。
③なぜ神はもっと明確にご自身を現わさないのかという問いへの回答がある。
2.23~24節
Joh 14:23
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
Joh 14:24
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。
(1)イエスがご自身を現す相手は、イエスを愛する人だけである。
①イエスのことばを守ることが、イエスを愛することである。
②父とイエスは、その人とともに住むようになる。
③聖霊を通した神ご自身の内住である。
④これは、三位一体の臨在の約束である。
(2)不信者は、イエスを愛さない。
①イエスのことばを守らない。
②それゆえ、父もイエスも見ることができない。
(3)イエスのことばは、御父からの啓示そのものである。
①イエスのことばへの応答は、そのまま父なる神への応答でもある。
3.25~26節
Joh 14:25 これらのことを、わたしはあなたがたと一緒にいる間に話しました。
Joh 14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
(1)公生涯において、イエスは弟子たちに教えを与えた(回想的コメント)。
①これ以上のことは、弟子たちには理解できない。
(2)十分な理解が可能になるための3つの条件
①イエスの十字架上での死
②イエスの復活
③聖霊降臨
*聖霊は使徒たちに、神の真理を新たに教える。
*聖霊は使徒たちに、イエスのことばを思い起こさせる。
*この約束は、新約聖書の霊感の保証である。
Ⅳ.平安の約束(27~31節)
1.27節
Joh 14:27
わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
(1)新約時代の別れのことばは、「シャローム」である。
①イエスは、弟子たちに「シャローム」を残している。
②平安は、イエスが弟子たちに残す遺産である。
③この世が与える平安とは異なる。パックスロマーナ。
④「わたしの平安」とは、神の御心に絶対的に委ねきった魂の安定と喜びである。
(2)弟子たちは、不安と恐れに満ちていた。
①キリストの平安は、現実の困難に打ち勝つ力である。
②新約時代の信者が持ちうる最大の霊的特権の一つである。
2.28節
Joh 14:28
『わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを、あなたがたは喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
(1)弟子たちの霊的状態は、まだ幼稚であった。
①成熟していたなら、イエスが去って父のもとに行くことを喜んだはずである。
②メシアは、辱めの段階から栄化の段階へ移行するからである。
(2) 「父はわたしよりも偉大な方だからです」
①エホバの証人は、この聖句を根拠にイエスを被造物と理解する。
②父→子→聖霊という秩序がある(経綸的関係)。
③イエスは受肉により、へりくだった状態にある。
3.29~31節
Joh 14:29
今わたしは、それが起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。
Joh 14:30
わたしはもう、あなたがたに多くを話しません。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることができません。
Joh 14:31
それは、わたしが父を愛していて、父が命じられたとおりに行っていることを、世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。
(1)いまだに自己中心的な弟子たちに、あらかじめ情報が与えられた。
①実際にそうなったときに、彼らがイエスを信じるためである。
(2)これ以上話す時間がない。
①この世を支配する者(サタン)がイエスに近づいている。
②しかし、サタンはイエスに対してなんの権威を振うこともできない。
③イエスが十字架にかかるのは、父なる神への従順(愛)のゆえである。
④ 「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」
⑤階上の間での説教は終わった。行動を起こす時がきた。
今日の信者への適用
1.愛と従順は、切り離せない。
(1)クリスチャンは、主イエスを愛している。
(2)主イエスへの愛は、従順な生活で表現される。
(3)「どう読むか」と「どう従うか」は、車の両輪である。
2.従順な生活は、聖霊によって可能となる。
(1)聖霊は、教え、導き、慰め、思い起こさせる方である。
(2)聖霊は、信者の心に内住しておられる。
(3)「聖霊の導きに委ねる」習慣を養う必要がある。
3.神は、愛し従う者の中に住まわれる。
(1)父と子が、その人とともに住む。
(2)神との交わりは、日々の従順と愛によって深まる。
(3)私たちの心の中は、神がともに住むための住まいである。
4.信じる者には、キリストの平安が与えられる。
(1)この平安は、神との一致からくる平安である。
(2)この平安を受け取る信仰の選択が必要である。
(3)キリストを愛する者には、状況に左右されない平安が与えられる。




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