私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(41)「新しい戒め」ヨハ13:31~38
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イエスが弟子たちに与えた新しい戒めについて学ぶ。
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ヨハネの福音書(41)
「新しい戒め」
ヨハ13:31~38
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
①最後の晩餐(13:1~30)
②階上の間の説教(13:31~16:33)
*新しい戒め(13:31~35)
*ペテロの質問とイエスの回答(13:36~38)
2.注目すべき点
(1)階上の間の説教の導入部分として重要である。
(2)神の栄光がクライマックスに達する瞬間を迎える。
(3)新しい戒めが与えられる。
(4)ペテロの失敗が預言される。
3.アウトライン
1.新しい戒め(31~35節)
2.ペテロの質問とイエスの回答(36~38節)
4.結論:今日の信者への適用
イエスが弟子たちに与えた新しい戒めについて学ぶ。
Ⅰ.新しい戒め(31~35節)
1.31~32節
Joh 13:31
ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今、人の子は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました。
Joh 13:32
神が、人の子によって栄光をお受けになったのなら、神も、ご自分で人の子に栄光を与えてくださいます。しかも、すぐに与えてくださいます。
(1)ユダが出て行ったので、急速に十字架への道が開かれた。
①ユダが裏切りに向ったその瞬間、イエスの栄化のプロセスが正式に始まった。
②この2節に、栄光を受けるという動詞が5回も出て来る(日本語訳は4回)。
③栄光とは、イエスが通過する一連の出来事を指している。
*十字架の死・復活・昇天・父の右の座への着座
④裏切りという悲劇的な出来事の中に、救済史の転換点がある。
*神の主権
(2)父と子の一体性が啓示される。
①イエスの死によって父なる神も栄光をお受けになる。
②十字架によって、父なる神の愛が啓示されるからである。
③父なる神が御子に与える栄光とは、復活のことである。
(3) 「すぐに与えてくださいます」
①十字架の死は目前に迫っているという意味である。
②父なる神は、メシア的王国の成就を待たずして、御子を栄光の座に着かせる。
2.33節
Joh 13:33
子どもたちよ、わたしはもう少しの間あなたがたとともにいます。あなたがたはわたしを捜すことになります。ユダヤ人たちに言ったように、今あなたがたにも言います。わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません。
(1)この節は、公生涯の終焉と教会時代の幕開けの間に入る転換的な節目である。
①「子どもたちよ」(テクニア)とは、「小さな子どもたち」の意。
②ヨハネの福音書では、イエスがこのことばを使うのはここだけである。
③弟子たちに対するイエスの愛と心配りが表現されている。
④ユダが去ってからこのことばを使っている。
(2)地上の交わりの終了
①イエスは、この世を去ろうとしている。
②訳文の比較
「わたしはもう少しの間あなたがたとともにいます」(新改訳2017)
「ああ、もう時間がありません。あなたがたを残して行かなければならないの
です……」(リビングバイブル)
(3) 「わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません」
①これは、死、復活、昇天の預言である。
②弟子たちを拒絶したのではなく、まだその時が来ていないという意味である。
③後に、弟子たちも主のもとに行くことになる(ヨハ14:2~3)。
3.34~35節
Joh 13:34
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
Joh 13:35
互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」
(1)モーセの律法とイエスの教えの対比
①モーセの律法では、「自分自身を愛するように隣人を愛せ」であった。
②ここでは、「わたしがあなたがたを愛したように」という新しい要素が加わる。
③ここには、モーセの律法からキリストの律法への移行が見られる。
④この命令は、ユダヤ教の枠組みを超えた新しい共同体を形成する愛の原理。
(2)新しい戒めとは、質的新しさである。
①イエスが示した自己犠牲の愛が、隣人愛の手本となる。
②誰が一番偉いかという議論とは、180度異なる教えである。
③キリストの律法の中心は、兄弟姉妹に対する「愛」である。
④教会の力は、奇跡や知識ではなく、愛の実践に現れる。
⑤この愛は、聖霊によって可能となる(ロマ5:5)。
Ⅱ.ペテロの質問とイエスの回答(36~38節)
1.36~37節
Joh 13:36
シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
Joh 13:37
ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」
(1)文脈として、神の時と人間の時の違いというテーマがある。
①イエスは、十字架→復活→昇天という一連のプロセスについて語っている。
(2)ペテロに忠誠心はあるが、理解が浅い。
①ユダヤ的メシア像としもべとしてのメシア像の違いが理解できていない。
②キリストに従うとは、十字架の死を通ることだということを受け入れていない。
(3) 「しかし後にはついて来ます」
①これは、殉教を通してキリストに従うことになるとの預言である。
②これは、ペテロ個人だけでなく、すべての信者に対する終末的希望の象徴。
(4) 「あなたのためなら、いのちも捨てます」
①誠実な意志には限界がある。
②霊的成熟の必要性がある。
③これは、弟子訓練のモデルケースである。
④失敗と回復(ヨハ21章)を通して、イエスは教会のリーダーを整えていた。
2.38節
Joh 13:38
イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
(1)神の全知と弟子の未熟さの対比
①旧約聖書のイスラエルの歴史でも同じようなことが起こった。
②熱意はあっても、行動に移せない。
③ペテロは、「いのちも捨てる」と言った。
④イエスはそれを否定せずに、ペテロの弱さを指摘する。
(2) 「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」
①ここには、裁きの口調はない。
②イエスの神性とその働きに焦点が合っている。
③イエスの忍耐とペテロの回復という前提が、ここに含まれている。
④この預言は、「責め」ではなく「準備」である。
結論:今日の信者への適用
1.神の栄光を映す人生を生きよう
(1)イエスは、父のご計画を完全に成し遂げることにより、栄光を現されました。
(2)十字架、復活、昇天、父の右への着座は、一連の出来事である。
(3)成功や繁栄ではなく、従順と献身を通して神の栄光が現れる。
(4)クリスチャンには神の栄光を反映させる責務がある。
2.愛こそが伝道の最大の武器
(1)イエスは、十字架の愛で私たちを愛された。
(2)信者同士がその愛を実践するとき、それが最大の証しになる。
(3)教会の中での愛の関係は、外の世界への伝道の土台である。
(4)「愛されたい」から「愛したい」へ意識を切り替える。
3 .失敗の中でこそ、恵みは輝く
(1)ペテロは誠実であったが、自分の弱さを知らず、主の警告を受けた。
(2)イエスはそれでもペテロを見捨てず、後に回復された(ヨハ21章)。
(3)自分の信仰の限界を認めることは敗北ではなく、神の恵みに生きる出発点である
(4)ルカ22:32
Luk 22:32
しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
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