私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(37)「一粒の麦が死ぬとき」ヨハ12:20~36
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
「一粒の麦のたとえ」から、霊的教訓を学ぶ。
ヨハネの福音書(37)
「一粒の麦が死ぬとき」
ヨハ12:20~36
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
⑨公生涯の締めくくり(11~12章)
*ラザロの復活(第7のしるし)(11:1~44)
*ラザロの復活がもたらした結果(11:45~57)
*マリアによる油注ぎ(12:1~11)
*エルサレム入城(12:12~19)
*一粒の麦が死ぬとき(12:20~36)
2.注目すべき点
(1)過越の祭りの直前、十字架の「時」が間近に迫っている。
(2)ギリシア人(異邦人)が登場する。
(3)一粒の麦のたとえが語られる。
3.アウトライン
(1)ギリシア人の願い(20~22節)
(2)イエスの回答(23~26節)
(3)イエスの祈り(27~29節)
(4)群衆との対話(30~36節)
4.結論:今日の信者への適用
「一粒の麦のたとえ」から、霊的教訓を学ぶ。
Ⅰ.ギリシア人の願い(20~22節)
1.20節
Joh 12:20
さて、祭りで礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシア人が何人かいた。
(1)過越の祭りは、3大巡礼祭の一つである。
①ユダヤ人の男性は、エルサレムに上ってこの祭りを祝うように命じられていた。
②ここに登場するのは、神を敬う異邦人か、ユダヤ教に改宗した異邦人である。
③彼らは、キリストを通して神を礼拝するようになる異邦人の象徴である。
2.21~22節
Joh 12:21
この人たちは、ガリラヤのベツサイダ出身のピリポのところに来て、「お願いします。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
Joh 12:22
ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポは行って、イエスに話した。
(1)そのギリシア人たちが、イエスとの面会を希望した。
①彼らは、ピリポに仲介を依頼した。
②ピリポを「キュリオス」と呼んでいる。非常に丁寧な言い方である。
③ピリポはベツサイダ出身で、ギリシア名(馬を愛する者)を持つ唯一の使徒。
④ 「イエスにお目にかかりたいのです」
*これは、イエスに近づきたいという、深い霊的求めの表現である。
(例話)講壇の裏側に、このみことばが置かれている教会
⑤ギリシア人の求めは、全世界への救いの伝達が始まることの象徴である。
(2)ピリポはアンデレに相談し、2人でイエスのもとに行った。
①ピリポは、不安だったのだろう。
*これまでイエスは、異邦人伝道に消極的であった。
②それで、話し易いアンデレに相談したのであろう。
③イエスは、この情報によって時が近いことを実感した。
(3)ギリシア人たちは、直接イエスのところに行けなかったのであろう。
①神を敬う異邦人は、異邦人の庭までしか立ち入れない。
②改宗者の異邦人は、婦人の庭まで入れた。
③異邦人の庭とその先の庭の間には、隔ての壁が置かれていた。
*それを超えて行くことは、死罪に当たる。
*その隔ての壁(中垣)は、十字架によって取り去られた(エペ2:14~16)。
*その結果、ユダヤ人と異邦人は「新しいひとりの人」となった。
Ⅱ.イエスの回答(23~26節)
1.23~24節
Joh 12:23
すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。
Joh 12:24
まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
(1)イエスは、その申し出には答えていないように見えるが、そうではない。
①イエスは、「死と復活のプログラム」について預言的に語っている。
(2) 「人の子が栄光を受ける時が来ました」
①「人の子」は、メシアの称号(ダニ7:13)。
②「栄光を受ける時」とは、十字架の時である(十字架の死、復活、昇天)。
③ほとんどの人たちにとって、死とは屈辱の体験である。
④イエスにとっては、十字架の死は栄光に至る門である。
(3) 「まことに、まことに、あなたがたに言います」
①厳粛な教えや宣言の前に言う定型句である。
②「アーメン、アーメン」
(4)一粒の麦のたとえ:逆転の原理
①一粒の麦が地に落ちてしななければ、それは一粒のままで残る。
②もし死ねば、豊かな実を結ぶ。
③もしイエスが死ななければ、彼一人が栄光の座に着く。
④死ねば、その死と復活を通して、多くの新しいいのちが生まれるようになる。
⑤その中には、異邦人信者も多く含まれている。
2.25~26節
Joh 12:25
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。
Joh 12:26わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」
(1)一粒の麦から導き出される一般原則
①ユダヤ的には、「愛する」「憎む」とは、優先順位の問題である。
②多くの人たちは、自己中心的な人生を送っている。
③その結果、霊的いのちを失っている。
④しかし、霊的いのちを優先させる者は、永遠のいのちに至る。
(2)弟子たちへの適用
①霊的いのちを優先させるとは、主イエスに仕えることである。
②イエスに従って自己犠牲の道を歩む者に祝福が約束されている。
③これは、より豊かな実をつけるために、自我に死ぬという原則である。
*伝道の実
*人格の実
④しかし、自己犠牲の道は、容易なことではない。
⑤イエスは次の祈りによって、ご自身の心の中を見せる。
Ⅲ.イエスの祈り(27~29節)
1.27~28節a
Joh 12:27
「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。
Joh 12:28
父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」
(1) 「今わたしの心は騒いでいる」
①人としてのイエスの苦悩が表現されている。
②自然な思いとしては、苦難と辱めの死を避けたい。
③しかし、「父よ。この時からわたしをお救いください」とは言わない。
④ 「いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ」
*メシアとしてのイエスの従順と献身を表したものである。
⑥「父よ。御名の栄光を現してください」と祈られた。
(2)天からの声とは何か。
①これをバット・コルという。
*洗礼の時(マタ3:17)
*変貌山において(マタ17:5)
*一粒の麦の話に続いて(ヨハ12:28)
② 「わたしはすでに栄光を現した」
*イエスの地上生涯において、神の栄光は現れた。
*イエスが行った種々の癒しと奇跡
③ 「わたしは再び栄光を現そう」
*死、埋葬、復活、昇天を通して、さらに大いなる栄光が現れる。
④この超自然的な声は、人々にイエスに関する真理を教えるためのものであった。
⑤しかし、その意味を理解した者はいなかった。
2.29節
Joh 12:29
そばに立っていてそれを聞いた群衆は、「雷が鳴ったのだ」と言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話しかけたのだ」と言った。
(1)そばに立っていた群衆の反応
①雷が鳴った。単なる自然現象。
②天使がイエスに話しかけた。イエス個人への啓示。
Ⅳ.群衆との対話(30~36節)
1.30~32節
Joh 12:30
イエスは答えられた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためです。
Joh 12:31
今、この世に対するさばきが行われ、今、この世を支配する者が追い出されます。
Joh 12:32
わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」
(1)イエスの招きのことば
①天からの声が聞こえたのは、その場にいた群衆のためである。
②イエス自身は、その声を必要としていない。
(2) 「今、この世のさばきが行われ、」
①この世は、イエスのメシア性を拒否し、イエスを十字架につけようとしている。
②その不信仰のゆえに、この世(神に背く秩序)は裁かれる。
(3) 「今、この世を支配する者が追い出されます」
①イエスの死は人類の救いとサタンに対する勝利をもたらした。
②サタンはその権威を失う。
*判決は確定したが、その執行はまだ途上にある。
*最終的には、火の池に投げ込まれる(黙20:10)。
(4) 「わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄
せます」
①「地上から上げられる」とは、十字架の死のことである(イザ52:13参照)。
*イエスは、ご自分がどのような死に方をするか知っていた。
②その後、すべての人がイエスのもとに引き寄せられる。
*これは、すべての民族に救いが提供されるという意味である。
*これは、ギリシア人の願いに対する回答である。
2.33節
Joh 12:33
これは、ご自分がどのような死に方で死ぬことになるかを示して、言われたのである。
(1)「地上から上げられる」の意味を理解できなかった読者のための説明である。
2.34節
Joh 12:34
そこで、群衆はイエスに答えた。「私たちは律法によって、キリストはいつまでも生きると聞きましたが、あなたはどうして、人の子は上げられなければならないと言われるのですか。その人の子とはだれですか。」
(1)群衆にはイエスの語った内容が理解できない。
①彼らは、メシアは死なないと教えられていた(イザ9:6~7、ダニ7:14)。
②彼らは、受難のしもべと栄光の王の区別ができていなかった。
3.35~36節
Joh 12:35
そこで、イエスは彼らに言われた。「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません。
Joh 12:36
自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」/イエスは、これらのことを話すと、立ち去って彼らから身を隠された。
(1)イエスは、問題は倫理的、道徳的なものであると教える。
①光と闇のテーマが繰り返される。
②イエスは光である。
③その光が間もなく消え、闇が襲おうとしている。
④光のある間に、光の子どもとなるために、光を信じなければならない。
⑤いつでも決断できると考えるのは、愚かなことである。
⑥今は「恵みの時、救いの時」である。
(3) 「立ち去って彼らから身を隠された」
①公生涯最後のメッセージが終わった。
②恵みの時代はいつまでも続かない。
結論:今日の信者への適用
1.十字架は敗北ではなく、神の栄光の頂点である。
(1)栄光とは、成功や繁栄のことではない。
(2)神は、苦難や自己犠牲を通して働かれる。
(3)自分の人生の意味を十字架の視点で再評価しよう。
2.実を結ぶ人生は、自己愛ではなく、自己放棄の中にある。
(1)イエスは、一粒の麦が死ぬときに何が起こるかを教えた。
(2)信者は、イエスの生き方に倣うように召されている。
3.光があるうちに、信仰の決断をする。
(1)神の恵みの機会は、永遠には続かない。
(2)「光がある今、この方に従おう」という緊張感を持って福音に応答する。
(3)求道生活が長い人にとっては、真剣な問いとなる。
4.十字架は、すべての人を引き寄せる力である。
(1)私たちは「人を引き寄せる者」ではなく、「引き寄せる主を証しする者」。
(2)伝道において、十字架の力と聖霊の働きに信頼しよう。




週間アクセスランキング
創造から新天新地へ(07)―24章でたどる神の救済史 6章 「奴隷生活から定住生活へ」ヨシュア記1章
創造から新天新地へ(06)―24章でたどる神の救済史 5章 「シナイ契約と神の民の召し」出エジプト記20章
60分でわかる旧約聖書(28)ホセア書
創造から新天新地へ(01)―24章でたどる神の救済史 序章
創造から新天新地へ(03)―24章でたどる神の救済史 2章 「人類の堕落と救い主の約束」創世記3章
創造から新天新地へ(05)―24章でたどる神の救済史 4章 「イスラエル民族の始まり」出エジプト記12章