私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(35)「マリアによる油注ぎ」ヨハ12:1~11
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私たちも、真の礼拝者になることができる。
3人の判断から教訓を学ぶことによって、真の礼拝者になることができる。
ヨハネの福音書(35)
「マリアによる油注ぎ」
ヨハ12:1~11
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
⑨公生涯の締めくくり(11~12章)
*ラザロの復活(第7のしるし)(11:1~44)
*ラザロの復活がもたらした結果(11:45~57)
*マリアによる油注ぎ(12:1~11)
2.注目すべき点
(1)時は、過越の祭りの6日前。
(2)場所は、ベタニアのとある家。
(3)場面は、穏やかな食卓の場。
(4)そこに、死の影、深い愛、表面的な判断などが併存。
3.アウトライン
(1)マリアの判断(1~3節)
(2)ユダの判断(4~6節)
(3)イエスの判断(7~8節)
(4)ラザロの危機(9~11節)
4.結論:今日の信者への適用
私たちも、真の礼拝者になることができる。
3 人の判断から教訓を学ぶことによって、真の礼拝者になることができる。
Ⅰ.マリアの判断(1~3節)
1.1節
Joh 12:1
さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
(1)レビ記23章にイスラエルの祭りに関する規定がある。
①春の祭り(初臨の予表)
*過越の祭り:贖いの死
*種なしパンの祭り:罪の清め
*初穂の祭り:復活
*七週の祭り(五旬節):聖霊降臨
②秋の祭り(再臨の予表)
*ラッパの祭り:携挙
*贖罪の日:患難期
*仮庵の祭り:千年王国
(2) 「過越の祭りの六日前にベタニアに来られた」
①ヨハネは、イエスが死を決意していることを伝えている。
②時が迫っている。
③距離が近づいている。
(3) 「そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた」
①ラザロの存在は、イエスがこれから歩もうとする道を予表している。
②死、埋葬、復活
2.2節
Joh 12:2
人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。
(1)ここは、ツァラアトに冒された人シモンの家である(マタ26:6)。
①恐らく、イエスによって癒された人であろう。
②今も病んでいるなら、村には住めない。
③ましてや、多数の人との会食などは許されないことである。
(2)マルタは、給仕していた。
①マルタは信仰の人である(ヨハ11:27の信仰告白)。
②と同時に、奉仕の人でもある(ルカ10:38~42)。
③マルタを正しく評価する必要がある。
(3)ラザロは、食卓に着いていた人々の中にいた。
①復活の証人としてのラザロの存在は、ユダヤ人を2分する要因になっている。
3.3節
Joh 12:3
一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
(1)これは、マリアの深い礼拝と献身の物語である。
①純粋で高価なナルドの香油
*純粋とは、混ぜ物がないということである。
②香油300g
*その価値は、300デナリ(年収)以上であった。
*イエスの「いのちの価値」を知っているので、惜しくはない。
③イエスの足に塗った。
*マタイ(26:7)やマルコ(14:3)は、「頭」と記している。
④自分の髪でぬぐった。
*ユダヤ人女性にとっては、髪は女性の誉れである。
*髪で足をぬぐう行為も、極めて異例で、徹底した自己放棄の象徴である。
(2)家は香油の香りでいっぱいになった。
①目撃者の情報
②これは、単なる物理的描写ではない。
③霊的な香り(神への献身と礼拝)が満ちたことを示唆している。
Ⅱ.ユダの判断(4~6節)
1.4~5節
Joh 12:4
弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。
Joh 12:5
「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
(1)イスカリオテのユダは不満を口にした。
①マタ26:8~9
Mat 26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんな無駄なことをするのか。
Mat 26:9 この香油なら高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」
②弟子たちも憤慨したが、彼らの動機は純粋なものだった。
③ユダの動機は、汚れていた。
*彼は、イエスを裏切ろうとしていた。
*それゆえヨハネは、イスカリオテのユダだけを取り上げている。
2.6節
Joh 12:6彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。
(1)ユダの動機は、汚れていた。
①彼は、金入れから預かったものを盗んでいた。
②この香油も、売れば金になると考えた。
(2)ユダは避けるべき手本である。
Ⅲ.イエスの判断(7~8節)
1.7節
Joh 12:7
イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。
(1)イエスは、マリアがなぜ香油を注いだのかを知っておられた。
①マタ26:12
Mat 26:12 この人はこの香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。
②これは、埋葬の備えであった。
(2) 「それを取っておいた」
①マリアは、イエスの死の時が近いことを理解していた。
②イエスの話に耳を傾けた成果である。
③マリアの行為には、霊的意義がある。
④女性であるマリアが、弟子たちよりも敏感に十字架の意味を受け取っていた。
2.8節
Joh 12:8
貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいますが、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。」
(1)善行にも優先順位と時の識別がある。
①弟子たちには、これからも貧しい人々に仕えるチャンスがある。
②イエスの埋葬の用意ができるのは、この時だけである。
*イエスの死後、数名の婦人たちが墓に行ってイエスを埋葬しようとした。
*しかし、それは実現せず、彼女たちは復活のイエスに出会って驚いた。
(2)霊的識別力のある者は、世の価値観と異なる判断を下す。
①私たちは、主イエスを第一とする生活を送るべきである。
Ⅳ.ラザロの危機(9~11節)
1.9節
Joh 12:9
すると、大勢のユダヤ人の群衆が、そこにイエスがおられると知って、やって来た。イエスに会うためだけではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。
(1)大勢のユダヤ人の群衆が、その家にやって来た。
①イエスがおられると知って、イエスに会うためにやって来た。
②よみがえったラザロを見るためでもあった。
③信仰と好奇心が混在していた。
(2)ラザロは、奇跡の証人となっていた。
①これは宗教的指導者たちには、不都合な真実であった。
2.10~11節
Joh 12:10 祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。
Joh 12:11
彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
(1)ラザロ抹殺の陰謀
①祭司長たちは、真理よりも自己保身を重視した。
②神の御業を否定しようとするのは、極めて深刻な霊的堕落を示している。
(2)ラザロの影響力
①ラザロは復活を証言し、多くのユダヤ人を救いに導いた。
②「去って行き」は、祭司長たち/パリサイ人たちの影響から離れたということ。
③宗教的エリートたちは、人の救いよりも既得権益を守ることを選んだ。
結論:今日の信者への適用
1.全的献身を実行する。
(1)マリアは、貴重な香油(約300デナリ=年収相当)をイエスに注いだ。
(2)時間・労力・富・賜物などを、主のために惜しまず用いよう。
2.イエスの価値を正しく認識する。
(1)マリアは、イエスの「いのちの価値」を知っていた。
(2)ユダは、イエスの価値を過小評価し、「もったいない」と判断した。
(3)イエスの価値にふさわしい応答をしよう。
3 .他人の評価よりも神の評価を重んじる。
(1)「貧しい人に与えるべきでは」は、他人の評価である。
(2)イエスは、マリアの行動を称賛された。
(3)「世界中で語り継がれる」(マタ26:13)と言われた。
(4)神の評価を重んじる選びをしよう。
4.今しかできないことを実行する。
(1)「わたしはいつも一緒にいるわけではありません」(12:8)
(2)礼拝には、「今この時」という「機会の瞬間」がある。
(3)今という時を生かす信仰の歩みをしよう。
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