私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(33)「ラザロの復活(2)」ヨハ11:28~44
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イエスは、死者をよみがえらせる方である。
ヨハネの福音書(33)
「ラザロの復活(2)」
ヨハ11:28~44
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
⑨公生涯の締めくくり(11~12章)
*ラザロの復活(第7のしるし)(11:1~44)
2.注目すべき点
(1)7つの「しるし(セーメイオン)」の中の最後で最大の「しるし」
(2)この奇跡が公生涯の頂点で、12章から十字架への道が始まる。
(3)ラザロの復活(蘇生)は、「ヨナのしるし」(メシア性の証明)である。
(4)イスラエルの指導者たちは、信仰によって応答しなければならない。
.アウトライン
(1)イエスと弟子たちの対話(1~16節)
(2)イエスとマルタの対話(17~27節)
(3)イエスとマリアの対話(28~32節)
(4)イエスとラザロの対話(33~44節)
(今回は、(3)と(4)を取り上げる)
4.結論:今日の信者への適用
イエスは、死者をよみがえらせる方である。
4 種類の人たちとの会話を通して、イエスが死者をよみがえらせる方であることが分かる。
Ⅲ.イエスとマリアの対話(28~32節)
1.28~29節
Joh 11:28
マルタはこう言ってから、帰って行って姉妹のマリアを呼び、そっと伝えた。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」
Joh 11:29
マリアはそれを聞くと、すぐに立ち上がって、イエスのところに行った。
(1)マルタの信仰告白(27節)
「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております」
(2)マルタはマリアに、イエスが村の外まで来ておられることを伝えた。
①この良き知らせを、耳打ちした。公にならないように。
②普通なら、遠方から著名なラビが来ることは、栄誉と考えられていた。
2.30~31節
Joh 11:30 イエスはまだ村に入らず、マルタが出迎えた場所におられた。
Joh 11:31
マリアとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行った。
(1)イエスは、村に入っていなかった。
①弔問客たちは、マリアの後を追った。
②マリアが墓に泣きに行くのだろうと思った。
③これで、イエスによる個人教授は不可能となった。
3.32節
Joh 11:32
マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
(1)マリアは、イエスの足もとにひれ伏した。
①ルカ10:39でも、似たようなことが起こっていた。
②この動作は、マリアが悲しみの中で示した自然な反応であろう。
③マリアも、マルタと同じことを言った。
「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」
④それ以上は何も言わず、泣き続けた。
⑤マリアの信仰にも限界があった。
Ⅳ.イエスとラザロの対話(33~44節)
1.33~34節
Joh 11:33
イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、
Joh 11:34
「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。
(1)イエスの憤りと動揺
①マリアは、墓の前ではなく、イエスの前で泣いている。
②ユダヤ人たちの一部は、職業上泣いていたと思われる。
③イエスは、死の現実、死がもたらす悲劇や苦しみに対して怒られた。
*罪は、一人の人の不従順によって世に入って来た。
④イエスは、死の恐怖で人々を束縛するサタンに対して憤られた。
(2)イエスは、「彼をどこに置きましたか」と尋ねた。
①もちろん、ラザロが埋葬されていることは知っておられた。
②人々の注意を喚起し、期待感を高めるためである。
③人々は丁寧にイエスを墓まで導いたが、イエスの意図は理解しなかった。
④ベタニアは、アル・エイザリヤ(ラザロの地)という名になっている。
*ラザロ=エレアザル
⑤べタニアには、今も墓は存在する。
*紀元1世紀の横穴式の墓。ラザロの墓だという確かな証拠はない。
*紀元4世紀には、巡礼路に含まれていた。
2.35節
Joh 11:35イエスは涙を流された。
(1)最も短い聖句である。
①墓に向かう途中のことであろう。
②この福音書の強調点は、イエスの神性を描くことにある。
③ここでは、イエスの人性が、その深みまで啓示されている。
*「涙を流された」は、「ダクルオウ」という動詞である。
*新約聖書では、この箇所だけに出て来る動詞である。
*マリアや群衆は、声を上げて泣いていた。
*イエスは、静かに涙を流された。
*イエスは、マルタとマリアの悲しみに同情し、寄り添われた。
④クリスチャンが葬儀で涙を流すのは、不自然なことではない。
3.36~37節
Joh 11:36
ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」
Joh 11:37
しかし、彼らのうちのある者たちは、「見えない人の目を開けたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」と言った。
(1)人々の解釈
①イエスの涙は、ラザロへの愛のしるしである。
②盲人の目を開けたのだから、ラザロを死から救うこともできたであろう。
③彼らは、イエスの計画(さらに大いなる奇跡)を理解することができない。
4.38~40節
Joh 11:38
イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。
Joh 11:39
イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」
Joh 11:40
イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」
(1)劇的な情景
①墓は石でふさがれていたが、イエスは、「その石を取りのけなさい」と命じる。
②群衆は、その様子を見ている。
③マリアは泣いている。
④マルタは、反論する。
「主よ。もう臭くなっています。四日になりますから」(39節)
*ラザロは、死んだ日に埋葬された。
*ラザロは完全に死んでおり、蘇生の可能性がないことを示している。
(2)マルタに対する権威あることば
「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか」(40節)
①イエスが「よみがえりであり、いのちである」ことを信じる必要がある。
②そうすれば、ラザロは復活し、神の栄光が現れる。信じる→見る。
③マルタとマリアの同意なくして、墓の石を取り除けることはできない。
5.41~42節
Joh 11:41
そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
Joh 11:42
あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
(1)石が取りのけられた。
①人々は、何が起こるのかとイエスを注視している。
②イエスにとっては、父から遣わされたメシアであることを証明する機会である。
③もしラザロが復活しないなら、イエスの主張には根拠がないことになる。
(2)イエスは、父と子の信頼関係に基づいて祈った。
①事前に、ラザロの復活について感謝している。体験的知識に基づくものである。
②公に祈る理由は、奇跡が起こった時、自分に栄光が来ないようにするため。
③この奇跡は、イエスが父から遣わされた使者であることを証明する。
6.43~44節
Joh 11:43
そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」
Joh 11:44
すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
(1)イエスは大声で叫ばれた。
①ラザロのためではなく、群衆にその声を聞かせるためである。
②ことばで死者を復活させた。「ラザロよ。出て来なさい」(43節b)
③アウグスチヌス:名前を呼ばなければ、付近の墓地から死人がすべて復活した。
(2)ラザロは、長い亜麻布で巻かれたまま出て来た。
①なぜ出て来ることができたのか。これ自体が、奇跡の価値を高めている。
②顔は布切れで包まれていた。これも、彼が死んでいたことの証拠である。
③この奇跡は、「ヨナのしるし」と呼ばれるものである。
(3)墓石を取りのけることと、布をほどいてやることは、人間の責務である。
①しかし、最大の責務は、この奇跡に信仰的に応答することである。
②ユダヤ人たちがどのように応答したのか、次回学ぶことにする。
結論:今日の信者への適用
1.イエスは、私たちの悲しみをともにされる主である。
(1)愛する人を亡くすことほど深い悲しみはない。
(2)イエスは、マリアや人々の涙をご覧になり、深く憤り、涙された(11:35)。
(3)人生の悲しみの日、イエスは私たちとともにおられる。
2.イエスは、いのちの主である。
(1)私たちの悲しみをともにされる方は、いのちの主である。
「わたしはよみがえりです。いのちです」(11:25)。
(2)その宣言は、現実の出来事として示された。
(3)ラザロの復活は、キリストにある者の復活を予表している。
3.イエスは、私たちを死の束縛から解放される。
(1)イエスは、ラザロを死の縄目から解き放ち、自由へと導かれた。
「ほどいてやって、帰らせなさい」(11:44)
(2)罪責感、将来への恐れ、死の恐怖などの「布」に縛られてはいる人はいないか。
(3)イエスは今も、呼びかけておられる。
「出て来なさい」「ほどいてやりなさい」
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