私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(32)「ラザロの復活(1)」ヨハ11:1~27
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イエスは、死者をよみがえらせる方である。
ヨハネの福音書(32)
「ラザロの復活(1)」
ヨハ11:1~27
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
⑨公生涯の締めくくり(11~12章)
*ラザロの復活(第7のしるし)(11:1~44)
2.注目すべき点
(1)7つの「しるし(セーメイオン)」の中の最後で最大の「しるし」
(2)11章が公生涯のクライマックスで、12章から十字架に向かう。
(3)神の愛と遅延の逆説が啓示される。
(4)復活に関するマルタとの対話が重要である。
(5)国の指導者たちは、信仰によって応答しなければならない。
3.アウトライン
(1)イエスと弟子たちの対話(1~16節)
(2)イエスとマルタの対話(17~27節)
(3)イエスとマリアの対話(28~32節)
(4)イエスとラザロの対話(33~44節)
(今回は、(1)と(2)を取り上げる)
4.結論:今日の信者への適用
イエスは、死者をよみがえらせる方である。
4 種類の人たちとの会話を通して、イエスが死者をよみがえらせる方であることが分かる。
Ⅰ.イエスと弟子たちの会話(1~16節)
1.1~3節
Joh 11:1
さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。
Joh 11:2
このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
Joh 11:3
姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
(1)ヨハネは、マリアを中心にこの一家を紹介している。
①「主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリア」と説明している。
②ヨハネは、時間を逆転させてこのことを記している(12章で起こる)。
③イエスは、エルサレム近郊にあったベタニア村のこの一家を愛された。
④エルサレムに近いので、十字架の死につながって行く予感がする。
(2)ラザロが病気にかかっていた。
①罪が原因だという指摘は、全くない。ラザロは義人である。
②姉妹たちは、イエスのところに使いを送った。
*イエスがいた所までの距離は、1日である。
③「あなたが愛しておられる者」というのが、イエスへの懇願のベースにある。
④ところが、ラザロはその直後に亡くなった。
2.4~6節
Joh 11:4
これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
Joh 11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
Joh 11:6
しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
(1)イエスの洞察力
①この病気の最終結末は、肉体の死ではない。
②ラザロはよみがえり、神の栄光が現れる。
③それによって、神の子は栄光を受ける。
(2)ここには、アイロニー(皮肉)がある。
①イエスは、父なる神に従順に歩む。
②イエスはラザロにいのちを与えるが、そのことがイエスを十字架の死に導く。
③十字架の死は、イエスの栄光の現れである。
(3)「しかし」(ウーン)は、「それで」と訳すことができることばである。
①「それで、イエスはなおもその場所に2日とどまった」のである。
②この遅延は、「今すぐ助ける」のではなく、「神の栄光」へと導く愛である。
③神の愛は、私たちの期待とは異なる。
3.7~10節
Joh 11:7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
Joh 11:8
弟子たちはイエスに言った。「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」
Joh 11:9
イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるではありませんか。だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。
Joh 11:10 しかし、夜歩けばつまずきます。その人のうちに光がないからです。」
(1)イエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。
①行動を起こす時が来たのである。
②弟子たちは、もう一度ユダヤに行くのは危険だと判断した。
③盲人の癒やしの後で、ユダヤ人たちはイエスに石を投げようとした。
(2)イエスの認識
①ベタニアに行くのは、そんなに危険なことではない。
②神の御心の内を歩めば、つまずくことはない。
③十字架の時が来るまでは、昼間(神が定めたタイミング)が続く。
4.11~13節
Joh 11:11
イエスはこのように話し、それから弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」
Joh 11:12
弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、助かるでしょう。」
Joh 11:13
イエスは、ラザロの死のことを言われたのだが、彼らは睡眠の意味での眠りを言われたものと思ったのである。
(1)イエスのことば
①ラザロは「わたしたちの友」である。
②イエスの命令を実行する人は、友である。
③ラザロは眠っている
*死ぬと、肉体は眠ったようになる。
*信者の死にのみ適用することばである。
③彼を起こしに行く。よみがえらせるために行く。
*イエスの主権が表明されている。
(2)弟子たちの応答
①眠っているなら、行かなくても助かるでしょう。
②彼らは、ベタニアに行かないための口実を設けている。
③彼らは、ラザロは回復していると思った。
5.14~15節
Joh 11:14
そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。
Joh 11:15あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
(1)イエスは意図を明らかにされた。
①ラザロは死んだ。
②自分がその場に居合わせなかったことを喜んでいる。
*弟子たちが信仰に導かれることを喜んでいる。
③もしイエスがそこにいたなら、ラザロは死んでいなかった。
*イエスの前で人が死んだという記録はない。
④ラザロが死んでいなかったら、よみがえりの奇跡が行われることもなかった。
(2)イエスは、「あなたがたが信じるためには」と言われる。
①弟子たちはすでに信じていたが、まだ信仰が成長する余地があった。
②「死に打ち勝つ主」としての信仰は、まだ不完全である。
6.16節
Joh 11:16
そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」
(1)トマスは、疑り深い人物として有名である。
①ここでは、自己犠牲の精神を表明し、リーダーシップを発揮している。
②しかしこれは、落胆から出た開き直りのことばのようである。
(2)彼は、理解できなくても主に従うという信仰を発揮した。
①彼の意図とは異なるが、結果的に、弟子たちのほぼ全員が殉教の死を遂げる。
Ⅱ.イエスとマルタの会話(17~27節)
1.17~19節
Joh 11:17
イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。
Joh 11:18
ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほど離れたところにあった。
Joh 11:19
マルタとマリアのところには、兄弟のことで慰めようと、大勢のユダヤ人が来ていた。
(1)ラザロは4日間墓に入っていた。
①使者がイエスのところに来るのに1日かかる。
②イエスは、そこに2日とどまった。
③イエスがベタニアに来るのに1日かかった。
④パリサイ人たちは、死者の魂は3日間、死体の上を漂っていると教えていた。
⑤4日経つということは、蘇生の見込みがなくなったという意味である。
⑥当時の埋葬法は、2段階に分かれていた。
*遺体を麻布にくるんで埋葬した。
*後に、遺骨を石棺に納めた。
(2)ベタニアは、エルサレムから東に3㎞ほどの所にある。
①大勢のユダヤ人が、遺族を慰めるためにそこに来ていた。
②エルサレムからも人々が来ていた。
③ユダヤ教では、「シバ」(7日間)という習慣があった。
④ユダヤ人は共同体によって支えられている。
⑤今でも、この習慣は生きている。
(例話)第60回聖地旅行での体験
2.20~22節
Joh 11:20
マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。
Joh 11:21
マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
Joh 11:22
しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。」
(1)マルタとマリアは、対照的である。
①マルタは、行動的である。
②マリアは、思索的である。
(2) 「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」
①マルタのことばは、信仰告白である。
②彼女は、イエスは癒やしの力を持っていることを信じていた。
*これは、限定的信仰である。イエスは距離を乗り越えて奇跡を行う。
③イエスを責める意図はない。イエスに情報が届く前に、ラザロは死んだ。
④彼女は、イエスの上に神の祝福があることを信じていた。
3.23~24節
Joh 11:23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
Joh 11:24
マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」
(1)イエスの認識
①ラザロはすぐによみがえる。
②イエスは、マルタの信仰を引き上げようとしている。
(2)マルタの認識
①ラザロは、終わりの日によみがえる。
②彼女は、正統的なユダヤ教の終末信仰を告白している。
③イエスの力が「今ここで」働くことまでは理解していない。
4.25~26節
Joh 11:25
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
Joh 11:26
また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
(1)「わたしは、○○です」はイエスの神性宣言である。
①「わたしはよみがえりです。いのちです」は、第5の神性宣言。
(2)イエスのことばのパラドックス
①肉体の死は、永遠のいのちへの入り口である。
②イエスを信じる者は、肉体的に死んでも、霊的には永遠に生きる。
③霊的いのちは、やがて栄光の体に結びつく。
(3) 「あなたは、このことを信じますか」
①信仰の応答を促すことばである。
5.27節
Joh 11:27
彼女はイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」
(1)マルタの信仰告白(ペテロの信仰告白に匹敵する内容。マタ16:16)
①イエスは、キリストである。
②イエスは、神の子である。
③イエスは、世に来られるお方である。
(2)マルタの信仰の限界
①ラザロがすぐによみがえるという信仰はない。
結論:今日の信者への適用
1.遅延ではなく、完全なタイミング
(1)ヨハ11:5~6
Joh 11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
Joh 11:6
しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
(2)遅延は神の無関心ではなく、信仰を成長させる神の計画である。
(3)永遠の視点から、信仰生活を捉える。
2.教理の理解ではなく、今ここで働く信仰
(1)ヨハ11:24~25
Joh 11:24
マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」
Joh 11:25
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
(2)マルタは、終末の復活信仰を持っていた。
(3)しかし、イエスの内に復活のいのちがあることを理解していなかった。
(4)試練の日に必要なのは、教理の理解ではなく、生ける信仰である。
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