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Q442 「千の風になって」を聞くと心が騒ぐのですが、なぜでしょうか。
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442 「千の風になって」を聞くと心が騒ぐのですが
Q:私は、「千の風になって」を聞くと心が騒ぐのですが、なぜでしょうか。
はじめに
「私のお墓の前で泣かないでください。……千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています」。この曲は、新井満(あらい・まん)さんが英語の詩を訳し、それに曲をつけたものです。2006年にNHK紅白歌合戦で披露され、その後大ヒットしました。この曲から深い慰めを受ける人もいれば、質問者様のように心が騒ぐ人もいます。その理由は、この曲には作者の死生観と世界観が盛り込まれているからです。聖書が教える死生観と世界観に立つ人は、違和感を覚えるはずです。「千の風」と「聖書の教え」の違いを、3つ申し上げます。
1番目に、死後の魂の状態が異なります。
(1)「千の風」では、魂は自然の中に存在し続けるとされます。
①死者は、物理的には消えても、自然界のさまざまな要素(風、光、雨、鳥の声、星)
となって残ります。
②これは「汎神論」や「自然宗教的」教えです。
(2)「聖書の教え」では、魂は人格的に神の前に立ちます。
①死者の肉体は地に帰り、魂は神のもとに行きます。
2番目に、救いの概念が異なります。
(1)「千の風」では、「神」「救い」「裁き」「復活」という概念は出てきません。
①あえて言うなら、魂は自然と融合するというのが「救い」です。
②慰めの根拠は、「自然循環の中で死者の存在を感じること」です。
(2)「聖書の教え」では、キリストの死と復活が「救いの根拠」です。
①キリストを信じる者には、永遠のいのちと復活の希望が与えられます。
②「私のお墓の前で泣かないでください。……天において、キリストの御顔を見ている
のですから」
3番目に、神の存在を認識する度合いが異なります。
(1)「千の風」では、神は明示的には登場しません。
①創造主の存在は意識されていません。
(2)「聖書の教え」では、創造主が死生観と世界観の中心に据えられます。
①死は終わりではありません。
②キリストを信じる者には、復活のからだが用意されています。
永遠のいのちの希望を持っている人は、「千の風」に違和感を覚えます。
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