ヨハネの福音書(26)解放者イエス(2)ヨハ8:51~59

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イエスは、死からの解放者である。

ヨハネの福音書(26)

解放者イエス(2)

ヨハ8:51~59

1.文脈の確認

(1)前書き(1:1~18)

(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)

  ①公生涯への序曲(1:19~51)

  ②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)

  ③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)

  ④サマリア伝道(4:1~42)

  ⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)

  ⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)

  ⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)

  ⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)

  ⑨世の光に関する説教(8:12~59)

    *世の光イエス(8:12~20)

    *唯一の救い主イエス(8:21~30)

    *解放者イエス(8:31~59)

2.注目すべき点

(1)場面は、十字架にかかる半年前の仮庵の祭りである。

(2)「いのちの水」への招きの後、指導者たちによる迫害が激化する。

(3)「世の光」の説教は、7つの説教の中の5番目である。

3.アウトライン

(1)罪からの解放者(31~39a節)

(2)悪魔からの解放者(39b~50節)

(3)死からの解放者(51~59節)

    *私たちは、この箇所を通して解放者イエスに出会おうとしている。

    *今回は、(3)を取り上げる。

4.結論:3つの教訓

イエスは、死からの解放者である。

Ⅲ.死からの解放者(51~59節)

1.51節

Joh 8:51

まことに、まことに、あなたがたに言います。だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません。」

(1)この宣言は、非常に重要である。

  ①「まことに、まことに、」は「アーメン、アーメン」である。

  ②ヘブル語で、「真実である」「確かである」「そうである」の意味。

  ③重要な宣言の前に、注意を喚起するために用いられる。

  ④2重のアーメンは、ヨハネの福音書だけのもの(25回)。

(2)この宣言は、福音そのものである。

  ①「その人はいつまでも決して死を見ることがありません」

    *この死は、肉体の死ではなく、第二の死(永遠の死)である。

    *第二の死とは、永遠に神から切り離されることである。

    *ヨハ3:16では、「滅びる」と表現される状態である。

  ②「だれでもわたしのことばを守るなら」

    *ヨハ8:31では、「わたしのことばにとどまるなら」と言われていた。

    *「ことばを守るなら」とは、業による救いのことではない。

    *これは、イエスを信じた結果生まれる行為を意味している。

  ③このような宣言ができるのは、神しかいない。

    *イエスのことばには権威がある。

    *イエスを信じる者は、イエスのことばにとどまる。

    *その人は、第二の死から解放されている。

2.52節

Joh 8:52

ユダヤ人たちはイエスに言った。「あなたが悪霊につかれていることが、今分かった。アブラハムは死に、預言者たちも死んだ。それなのにあなたは、『だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を味わうことがない』と言う。

(1)ユダヤ人たちは、「死を見ることがありません」を肉体的死と誤解した。

  ①アブラハムや預言者たちでさえも死んだ。

  ②信仰者でも死ぬという矛盾を、どう説明するのか。

  ③イエスは、悪霊につかれている。

  ④以前よりも深く、イエスが悪霊につかれていることを確信した。

3.53節

Joh 8:53

あなたは、私たちの父アブラハムよりも偉大なのか。アブラハムは死んだ。預言者たちも死んだ。あなたは、自分を何者だと言うのか。」

(1)この質問は、「ノー」という回答を予想する形になっている。

  ①イエスが「私たちの父アブラハム」よりも偉大であるはずがない。

  ②アブラハムや預言者たちは死んだ。

  ③彼らは、他人を救うどころか、自分自身を死から救うことさえできなかった。

  ④なのに、イエスは他人を死から救うことができると教えている。

  ⑤イエスは、自分のことをだれだと思っているのか。

  ⑥イエスは、自分が目立つために活動しているのだろう。

(2)ここには、2重の誤解がある。

  ①イエスは、アブラハムよりも偉大である。

  ②イエスは、自分に関心を向けさせるために働いているのではない。

4.54節a

Joh 8:54a

イエスは答えられた。「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光は空しい。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。

(1)イエスは、ユダヤ人たちの誤解を解く。

  ①ヨハ8:50でイエスは、自分で自分の栄光を求めないと言われた。

  ②自分で自分に栄光を帰すなら、それはむなしいものである。

  ③父なる神がイエスを弁護し、イエスに栄光を与える。

5.54b~55節

Joh 8:54b この方を、あなたがたは『私たちの神である』と言っています。

Joh 8:55あなたがたはこの方を知らないが、わたしは知っています。もしわたしがこの方を知らないと言うなら、わたしもあなたがたと同様に偽り者となるでしょう。しかし、わたしはこの方を知っていて、そのみことばを守っています。

(1)イエスは、ユダヤ人たちのことを偽り者と呼ぶ。

  ①彼らは、天の父を「私たちの神である」と言っている。

  ②これは、神との契約関係を示すことばである。

    *申6:4

Deu 6:4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。

  ③ユダヤ人たちは、自分たちだけが唯一の神を知っていると思っていた。

    *しかし、彼らは天の父を知らない。

  ④彼らは、神を「私たちの神」と呼びながらも、神の御子を拒んでいた。

  ⑤表面的には神を知っていると言いながら、実際には知らない状態にあった。

  ⑥彼らは、偽り者である。

    *彼らの父は「悪魔」である。

    *父が偽り者なので、彼らもまた偽り者となる。

(2)しかし、イエスは偽り者ではない。

  ①イエスは父を知っており、そのみことばを守っている。信じる=守る。

  ②ユダヤ人たちは、イエスが父と同等でないと信じていた。

  ③しかし、イエスの場合は、もし父を知らないと言うなら偽り者となる。

6.56節

Joh 8:56

あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見るようになることを、大いに喜んでいました。そして、それを見て、喜んだのです。」

(1)彼らがアブラハムに言及したので、イエスはそれに応答する。

  ①「あなたがたの父アブラハム」とは、肉体的な関係のことである。

  ②「わたしの日」はメシア到来のことであり、メシアがもたらす救いのこと。

(2)アブラハムはいつ、それを見て喜んだのか。

  ①ユダヤ教の伝統が強調すること

    *イスラエルを抑圧する諸帝国と、その先のメシア時代の啓示を受けた。

  ②創12:3の中に、それを見たのかもしれない。

Gen 12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、/あなたを呪う者をのろう。/地のすべての部族は、/あなたによって祝福される。」

  ③あるいは、イサクを献げたときに、それを見たのかもしれない。

    *イサク奉献は、メシアの死と復活の予表である。

    *アブラハムは、信仰によってそのことを理解した。

7.57節

Joh 8:57

そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのに、アブラハムを見たのか。」

(1)ユダヤ人たちの誤解

  ①イエスは、アブラハムを見たとは言っていない。その逆である。

  ②彼らは、イエスとアブラハムが同時代人であるはずがないと考えた。

  ③イエスの当時の年齢は、33歳前後である。

  ④当然、50歳にはなっていない。

  ⑤50歳は、祭司としての役割を終える年齢である。

  ⑥老年の象徴の年齢である。まだ老年にはなっていないという意味。

8.58節

Joh 8:58イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」

(1)ここでも、「アーメン、アーメン」が出てくる。

  ①「わたしはある」は、イエスによる神性宣言である。

  ②イエスの永遠性が啓示されている。

  ③出3:14に登場する神の自己紹介と密接に関係している。

Exo 3:14
神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」

  ④イエスは、明確な神性宣言をされた。

  ⑤「わたしはアブラハムよりも前から存在していた」だけでなく、「わたしは

神そのものである」。

9.59節

Joh 8:59

すると彼らは、イエスに投げつけようと石を取った。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

(1)今度は、誤解はなかった。

  ①イエスは、自分が神だと主張された。

  ②ユダヤ的には、自分はメシアだと宣言しても、冒涜罪に当たらない。

  ③しかし、自分を神と等しくすることは冒とく罪に当たる。

  ④そこで彼らは、イエスに石を投げつけようとした。

  ⑤神殿は工事中なので、投げられるような石が多数あった。

(2)石を投げられそうになった旧約聖書の人々

  ①モーセ(出17:4)

  ②ヨシュアとカレブ(民14:10)

  ③ダビデ(1サム30:6)

(3)しかし、彼らはイエスを逮捕することができなかった。

  ①十字架の時がまだ来ていなかったから。

結論 :3つの教訓

1.イエスは、誰か。

(1)単なる教師ではなく、神ご自身である。

(2)イエスは「わたしはある」と宣言された。

(3)イエスは真の神であり、私たちの信仰の中心である。

(4)イエスを見た者は、神を見たのである。

2.イエスのことばを守るとは、どういう意味か。

(1)イエスのことばを守るということは、信じ、行うことである。

(2)神のことばを守る者は「決して死を見ることがない」。

(3)ここでの「死」は、肉体の死ではなく、第二の死(最終的な裁き)である。

(4)イエスのことばを守る者は、霊的に生きる(神との交わり)。

3 .キリスト教とは、何か。

(1)キリスト教とは、知識の体系ではなく、イエスとの生ける関係である。

(2)ユダヤ人たちは、神を知っているつもりでいたが、そうではなかった。

(3)形式的な宗教や伝統ではなく、神との生きた関係が重要である。

(4)単に教会に通うことや宗教的な行いをすることが、信仰ではない。

(5)イエス・キリストとの生ける関係を維持することが真の信仰である。

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