私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(25)解放者イエス(1)ヨハ8:31~50
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イエスは、解放者である。
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ヨハネの福音書(25)
解放者イエス(1)
ヨハ8:31~50
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
⑨世の光に関する説教(8:12~59)
*世の光イエス(8:12~20)
*唯一の救い主イエス(8:21~30)
*解放者イエス(8:31~59)
2.注目すべき点
(1)場面は、十字架にかかる半年前の仮庵の祭りである。
(2)「いのちの水」への招きの後、指導者たちによる迫害が激化する。
(3)「世の光」の説教は、7つの説教の中の5番目である。
3.アウトライン
(1)罪からの解放者(31~39a節)
(2)悪魔からの解放者(39b~50節)
(3)死からの解放者(51~59節)
*私たちは、この箇所を通して解放者イエスに出会おうとしている。
*今回は(1)と(2)を取り上げ、次回は(3)を取り上げる。
4.結論:奴隷と息子の霊的対比
イエスは、解放者である。
Ⅰ.罪からの解放者(31~39a節)
1.31~32節
Joh 8:31
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
Joh 8:32あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
(1)前回の箇所で、多くの者がイエスを信じた。
①イエスは、父と自分は常に一つであることを主張された(神性宣言)。
②その後の展開を見ると、彼らの信仰は表面的なものであることが分かる。
*彼らはイエスに反発し、最終的には、イエスを殺そうとするようになる。
③イエスは、信じた者を2分された。
*見せかけの弟子(学ぶ者):一時的で感情的な信仰を持つ者
*本当の弟子(イエスに信頼する者):継続的に従う信仰を持つ者
④イエスは、信じた者たちに、神にしか言えないことを語る。
(2)本当の弟子の特徴
① 「わたしのことばにとどまる」
*「とどまる(μένω)」とは、「住む」「とまる」「継続する」。
②「とどまる」の実例
*イエスの教えを信じ、従い続けること
*イエスの教えの中に生きること
*イエスのことばに信頼し、実践すること
*イエスと全人的につながっていること
*単なる行為の積み重ねではなく、神の恵みにとどまること
(3)本当の弟子が受ける祝福
①イエスのことばにとどまる人は、真理を知る。
②真理はその人を自由にする。
③この「真理」とは、イエス・キリストご自身である(14:6)。
④「真理」は、罪の束縛からの自由をもたらす(8:34~36)。
2.33節
Joh 8:33
彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」
(1)ユダヤ人たちの反発
①「真理はあなたがたを自由にします」と聞いて、反発した。
②「今までだれの奴隷になったこともありません」
*これは明らかに歴史的事実と矛盾している。
*エジプト、バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマの支配下に置かれた。
③彼らには、霊的な誇りがあった。
(2)ユダヤ人たちの霊的誇り
①アブラハムの子孫としての特権意識を強く持っていた(ロマ9:4~5)。
②政治的に支配されても、霊的には自由な神の民であると考えていた。
③「奴隷」とは、霊的・道徳的に堕落した異邦人の状態を意味した。
④彼らは、自分たちが罪と悪魔の奴隷であることに気付いていなかった。
⑤今も、霊的誇りを持っている人は福音に反発する。
3.34~36節
Joh 8:34
イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。
Joh 8:35
奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでもいます。
Joh 8:36
ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。
(1)イエスは、奴隷と息子を対比された。
①奴隷とは、罪の奴隷のことである。
②罪が擬人法で語られている。
③ロマ6:23
Rom 6:23 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(2)奴隷と息子の身分の違い
①奴隷(デューロス)は、一時的な存在である。
*主人の家に仕えるが、永続的な地位を持たない。
*いつでも売られたり、追放されたりする可能性がある。
*「罪の奴隷」は神の家から追放され、滅びに至る(8:24、ロマ6:23)。
②息子(ヒュイオス)は、永遠に家にとどまる。
*家の正当な相続人であり、永遠にその家にいる権利を持っている。
*イエスは、ご自身を「子」(ヒュイオス)として示している。
*「子によって自由にされた者だけが神の家にとどまる」と教える。
*「アブラハムの子孫である」との誇りだけでは、自由にはならない。
4.37~38節
Joh 8:37
わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかし、あなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです。
Joh 8:38
わたしは父のもとで見たことを話しています。あなたがたは、あなたがたの父から聞いたことを行っています。」
(1)イエスは、彼らがアブラハムの肉体的子孫であることを認めている。
①しかし、彼らはアブラハムの信仰を持っていない。
②なぜなら、彼らはイエスを殺そうとしている。
③その理由は、イエスのことばが心に入っていないからである。
(2)イエスの父(神)とユダヤ人たちの父(サタン)の対比
①イエスは父のもとで見たことを話している。
*イエスと父は、一つである(イエスの神性宣言)
②ユダヤ人たちは、彼らの父から示されたことを行っている。
*彼らの父が誰かは、まだ示されていないが、予測はつく。
5.39節a
Joh 8:39 彼らはイエスに答えて言った。「私たちの父はアブラハムです。」
(1)彼らは再度、アブラハムと自分たちの肉体的つながりを主張した。
①これは、霊的アイデンティティの主張でもある。
②彼らは、「血統」によるアブラハムの子孫であることを誇りにした。
③そのことを救いの保証と考えていた。
Ⅱ.悪魔からの解放者(39b~50節)
1.39b~41節a
Joh 8:39b
イエスは彼らに言われた。「あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行うはずです。
Joh 8:40
ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに語った者であるわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことをしませんでした。
Joh 8:41a あなたがたは、あなたがたの父がすることを行っているのです。」
(1)ユダヤ的家族観に基づく議論
①「子ども」は、父親のように考え、父親のように行動するものである。
②しかし、ユダヤ人たちはアブラハムのようには行動していない。
③彼らは、神から聞いた真理を話しているイエスを殺そうとしている。
④アブラハムは、神を信じ、義とされた。
⑤ユダヤ人たちは、アブラハムではない別の「父」のわざを行っている。
⑥その父とは悪魔であることが、暗示されている。
2.41節b
Joh 8:41b
すると、彼らは言った。「私たちは淫らな行いによって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神がいます。」
(1)ユダヤ人たちは、自分たちは不品行によって生まれた者ではないと言う。
①これは、偶像礼拝をしたことがないという主張である。
*異邦人のような偶像礼拝の民ではないという主張である。
②さらに、イエスが不品行から生まれたことを示唆している可能性もある。
(2) 「私たちにはひとりの父、神がいます」
①自分たちこそ神の選ばれた民であり、霊的に正しい立場にある。
②自分たちは、いつも神だけを礼拝してきた。
3.42~43節
Joh 8:42
イエスは言われた。「神があなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。わたしは神のもとから来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わされたのです。
Joh 8:43
あなたがたは、なぜわたしの話が分からないのですか。それは、わたしのことばに聞き従うことができないからです。
(1)ユダヤ人の家族制度からの議論
①家族の間には愛がある。
②神が父なら、彼らは父を愛するはずである。
③父を愛するなら、父が派遣した者を愛するはずである。
④イエスを拒絶することは、神を拒絶することと同じである。
(2)イエスのことばを理解できないのは、知的問題ではなく、霊的問題である。
①生まれながらの人間は、御霊に属することを受け入れない(1コリ2:14)。
②これは単なる言語の問題ではなく、霊的な拒絶の問題である。
③真に神の子であるなら、イエスを愛し、受け入れるはずである。
④これは、現在の私たちの信仰にも適用できる。
4.44節
Joh 8:44
あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。
(1)ここでイエスは、彼らの父が悪魔であることを明らかにする。
①悪魔に見習っているという意味で、悪魔は父なのである。
②悪魔は、偽りの父である。
5.45~46節
Joh 8:45
しかし、このわたしは真理を話しているので、あなたがたはわたしを信じません。
Joh 8:46
あなたがたのうちのだれが、わたしに罪があると責めることができますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
(1)イエスは「罪なき人」として来られたメシア(2コリ5:21、ヘブ4:15)。
①イエスに罪があると責める者はいない。
②イエスは、モーセの律法に違反していない。
③もし罪を犯していたなら、彼の証言やメシアとしての資格は無効になる。
(2)イエスは、「真理を話している」と断言している。
①「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(14:6)
②それでも信じないのは、「権威や伝統」を愛していたから(5:39~40)。
6.47節
Joh 8:47
神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」
(1)真理に対する拒絶は、心の問題であり、霊的な問題である。
①神から出た者は、神のことばに聞き従う。
②神のことばに聞き従わないのは、神から出た者ではないからである。
7.48節
Joh 8:48
ユダヤ人たちはイエスに答えて言った。「あなたはサマリア人で悪霊につかれている、と私たちが言うのも当然ではないか。」
(1)正しく反論できないと、罵倒することばが出てくる。
①ラビ的悪霊論によれば、悪霊の長は「ショムロニ」である。
②ヘブル語では、これはサマリア人か悪霊を指すことばである。
*ギリシア語では「サマリテース」である。
*ここでの会話は、ヘブル語かアラム語で行われた。
③イエスをサマリア人と呼ぶのは、悪霊につかれているという意味である。
④「サマリア人=異端者=悪霊の影響を受けた者」という偏見を持っていた。
8.49~50節
Joh 8:49
イエスは答えられた。「わたしは悪霊につかれてはいません。むしろ、わたしの父を敬っているのに、あなたがたはわたしを卑しめています。
Joh 8:50
わたしは自分の栄光を求めません。それを求め、さばきをなさる方がおられます。
(1)イエスの応答
①彼らの非難を明確に否定した。
②イエスの教えや行動は、すべて父なる神に対する敬意と従順の表れである。
③彼らはイエスを神の御子として認めず、むしろ誹謗中傷し、攻撃している。
*神を敬うべきはずのユダヤ人が、御子を侮辱しているという逆説。
*「神のことばを語る者はしばしば拒絶される」(預言者たちのパターン)
④イエスには、自己顕示欲や承認欲求はない。
*父の栄光だけを求めている。
⑤父がイエスを信じない者を裁かれる。
結論:奴隷(罪の奴隷)と息子(神の子)の霊的対比
1 .自分の努力によって正しくなろうとする vs. 恵みと信仰によって義とされる
2.罪に支配されている vs. キリストによって自由にされている
3 .罪をやめたくてもやめられない vs. 罪から解放され、光の中を歩んでいる
4 .神の家に住む権利がない vs. 神の家の相続人とされている
5 .立場が不安定である vs. 神の家族の一員とされている
6 .本当の平安と希望がない vs. 永遠のいのちの希望を持つ
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Q436 ユダヤ人を助けた日本人とは、誰ですか。