私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(18)仮庵の祭りでの教え(1)ヨハ7:10~24
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
仮庵の祭りでの教えについて学ぶ。
ヨハネの福音書(18)
仮庵の祭りでの教え(1)
ヨハ7:10~24
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
*仮庵の祭りでの教え(7:10~44)
2.注目すべき点
(1)このセクションは、多くの重要な情報を含んでいる。
(2)イエスの本質がより深く啓示されていく。
(3)それと比例して、イエスへの敵意が激しくなっていく。
3.アウトライン :仮庵の祭りでの教え
(1)祭りの雰囲気(7:10~13)
(2)イエスの権威(7:14~24)
(3)イエスの出自と本質(7:25~36)
(4)御霊の約束(7:37~44)
4.結論:7章17節
仮庵の祭りでの教えについて学ぶ。
Ⅰ.祭りの雰囲気(7:10~13)
1.10節
Joh 7:10
しかし、兄弟たちが祭りに上って行った後で、イエスご自身も、表立ってではなく、いわば内密に上って行かれた。
(1)イエスの兄弟たちは、仮庵の祭りを祝うためにエルサレムに上って行った。
①彼らは、父なる神のタイムテーブルとは無関係に行動することができた。
(2)イエスは、内密に上って行かれた。
「しかし、兄弟たちが祭りに上って行った後で、イエスご自身も、人目を避け、ひ
そかに上って行かれた」(共同訳)
①イエスは、敬虔なユダヤ人男子として巡礼祭に参加された。
②しかし、メシアとして公に姿を現すことは避けた。
③イエスは、父なる神のタイムテーブルに従って行動された。
2.11節
Joh 7:11
ユダヤ人たちは祭りの場で、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜していた。
(1)「ユダヤ人たち」とは、ユダヤ人の指導者たちである。
①ヨハ1:19、7:13
②彼らはイエスを捜していたが、目的はイエスを逮捕し殺すためである。
3.12~13節
Joh 7:12
群衆はイエスについて、小声でいろいろと話をしていた。ある人たちは「良い人だ」と言い、別の人たちは「違う。群衆を惑わしているのだ」と言っていた。
Joh 7:13
しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はだれもいなかった。
(1)群衆(ユダヤの住民と巡礼者)の間に、イエスの評価に関する論争があった。
①「良い人だ」(メシアだ)
②「違う。群衆を惑わしているのだ」(偽のメシアだ)
③イエスが「しるし」を行うと、人々は2分されていく。
(2)群衆は、指導者たち(ユダヤ人たち)を恐れた。
①イエスはメシアだと公言すれば、逮捕される恐れがある。
*彼らは、会堂からの追放を恐れた(9:22参照)。
②以上の4節は、イエスの教えの背景を説明したものである。
Ⅱ.イエスの権威(7:14~24)
1.14節
Joh 7:14 祭りもすでに半ばになったころ、イエスは宮に上って教え始められた。
(1)仮庵の祭りは、7日間(+1)の祭りである。
①祭りが半ばになったころ、イエスは宮に上って教え始めた(マラ3:1参照)。
*恐らくソロモンの廊であろう。ラビが民衆に教える場所である。
2.15節
Joh 7:15
ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は学んだこともないのに、どうして学問があるのか。」
(1)ユダヤ人たちは驚いた。
①イエスは、正式なラビ教育を受けたことがない。
②にもかかわらず、学問がある。
*旧約聖書に精通している。
*的確な適用を語ることができる。
*誰にでも分かるように語ることができる。
3.16節
Joh 7:16
そこで、イエスは彼らに答えられた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものです。
(1)イエスは、父なる神に栄光を帰す。
①自分の手柄にしない。
②イエスが語ること、教えることは、すべて父なる神が命じたものである。
(2)イエスの教えは、ラビ的ユダヤ教の教えとは異なる。
①ラビ的ユダヤ教の口伝律法が否定された。
4.17節
Joh 7:17
だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが神から出たものなのか、わたしが自分から語っているのかが分かります。
(1)イエスの教えが真実なものであるかどうかを判断するのは、容易である。
①神の御心を行いたいと心から願う。
*単に真理を求めるだけでは不十分である。
②そうするなら、神はその人に真理を啓示される。
*神はその人に信仰を与える。
*信仰があると、イエスの教えが神から出たものであることが分かる。
5.18節
Joh 7:18
自分から語る人は自分の栄誉を求めます。しかし、自分を遣わされた方の栄誉を求める人は真実で、その人には不正がありません。
(1)自分の考えを語る人は、結果的に自分の栄誉を求めることになる。
①それを意識している人と、意識していないが結果的にそうなる人がいる。
(2)イエスの場合は、それとは異なる。
①イエスは、自分を遣わされた方の栄誉を求める。
②それゆえ、イエスの教えは真実である。
③イエスには不正はないので、群衆を騙すことはあり得ない。
6.19節
Joh 7:19
モーセはあなたがたに律法を与えたではありませんか。それなのに、あなたがたはだれも律法を守っていません。あなたがたは、なぜわたしを殺そうとするのですか。」
(1)イエスは、ユダヤ人たちを直接的に糾弾する。
①ユダヤ人たちは、モーセの律法が与えられていることを誇りとしていた。
②しかし、それを実行していなかった。
③それどころか、イエスを殺そうとしていた。
④無実の者を殺すのは、律法違反である(出20:13)。
7.20節
Joh 7:20
群衆は答えた。「あなたは悪霊につかれている。だれがあなたを殺そうとしているのか。」
(1)群衆は、ユダヤ人の指導者たちの殺意を理解していなかった。
①「あなたがたは、なぜわたしを殺そうとするのですか」に反発した。
②そして、「あなたは悪霊につかれている」と言った。
*「ベルゼブルの力によって悪霊どもを追い出している」(共観福音書)
*ヨハネの福音書では、「悪霊につかれている」である。
*当時は、パラノイアの原因は悪霊にあるとされていた。
8.21節
Joh 7:21
イエスは彼らに答えられた。「わたしが一つのわざを行い、それで、あなたがたはみな驚いています。
(1)「一つのわざ」とは、ベテスダの池での癒やしである(5章)。
①この「しるし」を見た者たちは、みな驚いた。
②彼らは、父なる神に栄光を帰すような驚き方はしなかった。
③彼らの驚きは、イエスが安息日にこれを行ったことにあった。
(2)この癒しは、ユダヤ人の指導者たちを怒らせた。
①この日を起点に、彼らはイエスを殺そうとするようになった。
9.22節
Joh 7:22
モーセはあなたがたに割礼を与えました。それはモーセからではなく、父祖たちから始まったことです。そして、あなたがたは安息日にも人に割礼を施しています。
(1)ユダヤ人たちは、割礼を重視していた。
①割礼は、アブラハム契約のしるしである。
②割礼は、健康上の理由で与えられたものでもある。
(2)割礼は、父祖たちから始まった。
①モーセよりも前のアブラハム、イサク、ヤコブの時代から始まった。
②割礼は、モーセの律法の中にも採用された。
③ユダヤ人たちは、安息日でも割礼を施していた。
*生まれて8日目に割礼を施す。
10.23節
Joh 7:23
モーセの律法を破らないようにと、人は安息日にも割礼を受けるのに、わたしが安息日に人の全身を健やかにしたということで、あなたがたはわたしに腹を立てるのですか。
(1)ユダヤ人たちは、安息日にも割礼を施していた。
①モーセの律法を破らないためである。
(2)律法への従順が称賛されるなら、恵みのわざはさらに称賛されるべきである。
①安息日に人の全身を健やかにするのは、称賛されるべきことである。
11.24節
Joh 7:24うわべで人をさばかないで、正しいさばきを行いなさい。」
(1)ユダヤ人たちの問題点は、うわべで人を裁いていることである。
①安息日に癒しを行うのは律法違反であると考えた。
②安息日でも、恵みのわざを行うのは素晴らしいという点に気づかない。
結論:7章17節
Joh 7:17
だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが神から出たものなのか、わたしが自分から語っているのかが分かります。
1.イエスの教えを信じるためのステップ
(1)単に真理を求めるだけでは不十分である。
(2)神の御心を行いたいと心から願うことが重要である。
(3)そうするなら、神はその人に真理を啓示される。
2.ユダヤ人たちはイエスの資格を問うたが、イエスは聴衆の資格を問うた。
(1)知的分析ではなく、神への従順こそ重要である。
①御心を行いたいと心から願う。
②そうすると、信仰が与えられる。
③結果として、知識が増す。
(2)以上のことは、求道者にとって励みとなり、力となる。
週間アクセスランキング
ヨハネの福音書(18)仮庵の祭りでの教え(1)ヨハ7:10~24
ヨハネの福音書(17)説教への応答ヨハ6:60~7:9
ヨハネの福音書(3)「カナの婚礼」-最初のしるし―ヨハ2:1~12
ヨハネの福音書(16)いのちのパンの説教(2)ヨハ6:41~59
Q429 ダビデが神殿を建設できなかった理由はなんですか。
ヨハネの黙示録(13)—144,000人のユダヤ人—