私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(133)—弟子となるために—
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イエスが教える弟子道について学ぶ。
「弟子となるために」
ルカ14:25~35
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、エルサレムからペレアに移動する。
②次に、ペレアからエルサレム(ベタニヤ)に向かう。
③その途上で、「後の者が先になる」というメッセージがなされた。
④次に、パリサイ人の家での食卓の場面が出て来た。
*「後の者が先になる」というテーマが継続して取り上げられた。
⑤今回は、「弟子道」に関する教えである。
*十字架の時が迫っている。
*弟子としての心構えをしっかりと教える必要がある。
*3つの教えが出て来るが、これらの教えは、救いに関するものではない。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§115 大ぜいの群衆への警告のことば
2.アウトライン
(1)優先順位を明確にする(25~27節)。
(2)十字架を負う決心をする(28~30節)。
(3)犠牲を計算する(31~35節)。
3.結論:
(1)塩とは何か。
(2)イエスとは誰か。
(3)救われるだけではだめなのか。
イエスが教える弟子道について学ぶ。
Ⅰ.優先順位を明確にする(25~26節)。
1.25節
Luk 14:25 さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らのほうに向いて言われた。
(1)ほとんどのリーダーは、フォロワーの数が増えることを喜ぶ。
(例話)ツイッターのフォロワー数(2014年11月11日)
①有吉弘之 359万人
②きゃりーぱみゅぱみゅ 250万人
③ROLA 227万人
④孫正義 223万人
(2)イエスは、単にフォロワーが多いだけでは喜ばない。
①イエスは、群衆の方を振り向いた。これは、劇的な動作である。
②興味本位で従ってくる人たちに警告を発する。
(3)きょうの箇所は、イエスによるふるい分けの作業である。
①弟子の条件を提示することによって、本物の弟子を選別する。
2.26節
Luk 14:26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。
(1)「愛する」と「憎む」について
①通常は、感情的要素が深く関わっている。
②聖書の中では、「愛する」と「憎む」は、別の意味でも使用されている。
③「愛する」とは、選ぶことである。
④「憎む」とは、選ばないことである。
(例話)どの洋服を着るか。感情的要素は、入り込んでいない。
(2)別の例は、神がエサウではなくヤコブを選んだことである。
「このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのことも
あります。その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神
の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、『兄は
弟に仕える』と彼女に告げられたのです。『わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ』
と書いてあるとおりです」(ロマ9:10~13)
(3)イエスは、何を優先するかという意味で、「愛する」と「憎む」を使っている。
①両親を憎めという教えがイエスのものでないことは明らかである。
②十戒の第5戒は、両親を敬うことを教えている。
(例話)現代の反宣教団体の論法
*彼らは、イエスは両親を憎むように教えていると中傷する。
(4)イエスは、優先順位のことを言っている。
①イエスの弟子は、イエスに従うことへの妨害が出てきたら、それを拒否する。
②どんなに大切なものであっても、イエスよりも優先させてはならない。
③個人的な快適さよりも、イエスの栄光が現れることを求める。
④弟子は、二人の主人に仕えることができない。
Ⅱ.十字架を負う決心をする(27節)。
1.27節
Luk 14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
(1)ローマ時代の十字架刑
①罪人は、十字架の横木を負って、刑場まで歩かされた。
②彼らは、ローマの権威によって強制的にそうさせられた。
(2)キリストの弟子は、自発的に十字架を負う。
①クリスチャンの中には、個人的な快適さを求めて、そうしない人たちがいる。
②弟子になろうと思う人は、自発的にそうする。
(3)十字架を負うという意味
①キリストが歩まれたように歩むこと。
②自己否定、辱め、迫害、誘惑などなど。
Ⅲ.犠牲を計算する(28~35節)。
1.28~30節
Luk 14:28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。
Luk 14:29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、
Luk 14:30 『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。
(1)これは、塔の建設のたとえ話である。
①紀元27年に、手抜き工事をした円形劇場が崩れ、約5万人の犠牲者が出た。
②手抜き工事の建物や、未完成の建物は、当時よく知られていた。
(2)十分な資金がないままで塔を築こうとした人の物語
①塔については、シロアムの塔が倒れた話、畑に建てる見張りの塔、などがある。
②このたとえ話の結論は、施主が恥を見ることである。
*中東文化では、名誉が重視される。
2.31~33節
Luk 14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。
Luk 14:32 もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。
Luk 14:33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。
(1)ヘロデ・アンティパスの敗戦
①ヘロデヤとの結婚のために、前妻と離婚した。
②前妻は、アラビアのアレタ王の娘であった(2コリ11:32にその名が登場)。
③アレタ王は、ヘロデの姦淫が原因で娘が離縁されることに立腹した。
④アラビア戦争が勃発し、ヘロデは大敗した。
⑤これが、ヘロデ・アンティパスが没落するきっかけとなった。
⑥イエスのたとえ話を聞く聴衆には、その記憶が鮮明に残っていた。
(2)戦争を始める前に、しっかりと考える必要がある。
①勝つ見込みがあるかどうかを吟味することは、死活問題である。
②弟子になるためには、その犠牲をしっかりと計算する必要がある。
(3)2つのたとえ話は、弟子としての犠牲を数えることの重要性を教えている。
①中途半端な態度では、弟子になることはできない。
4.34~35節
Luk 14:34 ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。
Luk 14:35 土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」
(1)塩気を失くした塩は、なんの役にも立たない。
①現代の塩は精製塩なので、塩気を失くすことはない。
②この当時の塩は、不純物が混じっている。
③塩分が溶け出して、不純物だけ残ることがある。
④その不純物は、耕作地の土壌にも、肥料にもならない。
⑤外に投げられる。
結論
1.塩とは何か。
(1)塩とは、弟子のことである。
①弟子が持つ性質は、塩の性質と同じである。
(2)塩の契約
「イスラエルの神、【主】が、イスラエルの王国をとこしえにダビデに与えられたこ
と、すなわち、塩の契約をもって、彼とその子らとに与えられたことは、あなたがた
が知らないはずはあるまい」(2歴13:5)
①塩は、生きるための必需品である。中東の暑い気候では、なおさらそう言える。
②塩は、腐敗防止効果を持っている。
③塩は、調味料である。
④「塩の契約」という言葉は、永遠に変わらない契約を指す。
⑤同盟契約を結んだ者同士は、契約の食事をした。
⑥その際、塩味のきいた料理が用意された。
(3)犠牲を計算し、全面的に献身する弟子は、キリストにとっては「塩」である。
①塩気を失くした弟子は、人々から物笑いにされる。
2.イエスとは誰か。
(1)シェマと呼ばれる聖句
「聞きなさい。イスラエル。【主】は私たちの神。【主】はただひとりである。心を尽
くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい」(申6:4~5)
①これは、ユダヤ教の基本的な信仰告白である。
②異教徒たちは、神々を礼拝していても、安心できなかった。
*気まぐれの神々で、次の行動は予測不可能である。
③イスラエルの民が信じる神は、契約の神である。
*それゆえ安心できる。
(2)イエスが弟子に要求されるのは、シェマの内容と同じである。
①イエスは、神である。
3.救われるだけではだめなのか。
(1)救いの道と弟子道を区別する必要がある。
(2)救いは、恵みにより、信仰による。
①福音の三要素を受け入れ、イエスの信頼を置く。
②信仰とは「信頼」のことであって、救われるための条件ではない。
③一度救われたなら、救いを失うことはない。
*塩気を失くした塩を外に投げるのは、人である(動詞が複数形)。
*「men throw it away」(RSV)
(3)弟子道は、自発的なものである。
①イエスは、すべての人を招かれる。
②イエスは、信じた人を「ふるい」にかけられる。
③イエスは、すべての人が弟子になることを願っておられる。
④しかし、すべての人が弟子としての道を選ぶわけではない。
⑤神の業は、弟子たちによって進められてきたし、これからもそうである。
(4)モーセの例
「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はか
ない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました」
(ヘブ11:24~25)
(5)パウロの例
「もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であ
るとすれば、それはただあなたがたのためです。というのは、キリストの愛が私たち
を取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のた
めに死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために
死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死ん
でよみがえった方のために生きるためなのです」(2コリ5:13)
「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損
と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知ってい
ることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストの
ためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」(ピリ3:7~8)
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