私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q406 罪に軽重はありますか。
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
406 罪に軽重はあるか
Q:罪に軽重はありますか。
A:はじめに
この質問は、単に知的理解を求めるものではなく、いかに生きるべきかを問う、重要なものです。罪について、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、罪は罪です。
(1)「罪」とは、神が憎まれるすべてのことです。
(2)そういう意味では、すべての罪は死に至ります。
「そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコ1:15)
(3)自分の努力によって罪の問題を解決することは、不可能です。
2番目に、とは言え、罪には軽重があります。
(1)心の中で犯す罪と、行動に移した罪では、その重さが異なります。
(2)また、罪の軽重により、罪の結果の深刻さが異なります。
(3)与えられた光の量も、罪の重さを決める基準となります。
(4)キリストの御業を目撃しながら悔い改めなかった町々には、ソドムとゴモラよりも
厳しい裁きが与えられます(マタ11章)。
3番目に、罪に対する裁きにも軽重があります。
(1)最後の審判(白い御座の裁き)の内容を見てみましょう。
「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた」(黙20:12)。
(2)この聖句は、火の池(地獄)での苦しみには軽重があることを暗示しています。
(3)しかし、地獄は地獄です。
(4)最後の裁きを免れる方法は、神の恵みにすがることです。
(5)福音の三要素を信じ、イエス・キリストに信頼を置く人は幸いです。
罪には軽重があります。
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(15)パウロと偽使徒の違い(2)-苦難に満ちた奉仕-11:16~33
コリント人への手紙第二(4)奉仕の本質の解説―新しい契約に仕える祝福―3:1~11
Q423 聖書は、「性差別」を容認しますか。
コリント人への手紙第二(14)パウロと偽使徒の違い(1)11:1~15
ヨハネの黙示録(4)—エペソにある教会—
イスラエル旅2023#089中川牧師とめぐる旅:【祈りの場、西壁】神殿再建の予感