私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(13)父の証言ヨハ5:30~47
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4種類の証人について学ぶ。
ヨハネの福音書(13)
父の証言
ヨハ5:30~47
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
2.注目すべき点
(1)1~4章と5~10章は、記述のスタイルが変わる。
(2)2度目のエルサレム訪問
①第3のしるし(5:1~9)
②パリサイ人たちの敵意(5:10~18)
③父と子は同等(5:19~29)
④父の証言(5:30~47)
(3)「父の証言」の箇所は、法廷での陳述に似ている。
3.アウトライン:父の証言
(1)はじめに(30~32節)
(2)4種類の証人(33~47節)
①バプテスマのヨハネ(33~35節)
②イエスのわざ(36節)
③父なる神(37~38節)
④旧約聖書(39~47節)
4.結論:法廷での陳述
(1)イエスの主張
(2)4種類の証人
4 種類の証人について学ぶ。
Ⅰ.はじめに(30~32節)
1.30節
Joh 5:30
わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。
(1)イエスは、自分からは何も行うことができない。
①これは、イエスが人間に過ぎないことを教えていると主張する人がいる。
②むしろ、イエスが神であることの証明になっている。
③人間は、神の御心とは無関係に動く。
④イエスは、神の御心を行うことだけを行動の動機としている。
⑤父と子の関係は、愛に基づく調和である。
(2)イエスが自分から何も行うことができない理由
①これは、肉体的に不可能だということではない。
②これは、道徳的に不可能だということである。
③「わたしのさばきは正しい」とは、行動するかどうかの判断である。
④イエスは、これまで地上で生きたどんな人物とも異なる。
2.31~32節
Joh 5:31
もしわたし自身について証しをするのがわたしだけなら、わたしの証言は真実ではありません。
Joh 5:32
わたしについては、ほかにも証しをする方がおられます。そして、その方がわたしについて証しする証言が真実であることを、わたしは知っています。
(1)申19:15
Deu 19:15
いかなる咎でも、いかなる罪でも、すべて人が犯した罪過は、一人の証人によって立証されてはならない。二人の証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。
①「わたしの証言は真実ではありません」
②自分の証言だけでは、真実の証明にはならない。
③そこでイエスは、別の証人を挙げる。
④ここでは、4種類の証人が挙げられる。
⑤「ほかにも証しをする方がおられます」とは、父なる神のことである。
*イエスの判断と行いは、父なる神と完全に一致している。
⑥ユダヤ人たちは、イエスのこの認識を受け入れない。
⑦そこでイエスは、4種類の証人を挙げる。
Ⅱ.4種類の証人(33~47節)
1.バプテスマのヨハネ(33~35節)
(1)33節
Joh 5:33
あなたがたはヨハネのところに人を遣わしました。そして彼は真理について証ししました。
①ユダヤ人の指導者たちは、ヨハネのところに人を遣わした(1:19~28)。
②しかしヨハネは、人々の関心を自分に向けさせることはしなかった。
③彼は、真理について証しした(1:7)。
④真理とは、神の子イエスである。
(2)34節
Joh 5:34
わたしは人からの証しを受けませんが、あなたがたが救われるために、これらのことを言うのです。
①人の証しだけでは、イエスが神の子であることの証明にはならない。
②バプテスマのヨハネは、神から遣わされた使者である。
③彼は、イエスがメシアであり、神の子羊であることを証言した(1:29~34)。
④イエスがパリサイ人たちと対話するのは、彼らが救われるためである。
*イエスを約束のメシアと信じるなら、救われる。
*イエスは、敵対者さえも愛しておられる。
*しかし彼らは、あらゆる手段でイエスを殺そうとするようになる。
(3)35節
Joh 5:35
ヨハネは燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で大いに喜ぼうとしました。
①イエスはヨハネのことを「燃えて輝くともしび」と評価された。
②ヨハネは、自らの命を燃やすことによって、人々に光をもたらした。
③民衆は、ヨハネを宗教的指導者として受け入れた。
④しかし、その状況は長続きしなかった。
⑤彼らは、先駆者は受け入れたが、メシアは拒否した。
⑥真の悔い改め(意識の変更)がなかったからである。
⑦ヨハネが死んで以降は、その教えに従わなかった。
2.イエスのわざ(36節)
Joh 5:36
しかし、わたしにはヨハネの証しよりもすぐれた証しがあります。わたしが成し遂げるようにと父が与えてくださったわざが、すなわち、わたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わされたことを証ししているのです。
(1)イエスが行っているわざが、ヨハネの証しよりもすぐれた証しである。
①イエスが行っているわざは、父が与えてくださったものである。
②イエスの内には力が宿っている。
③イエスはその力を使徒たちに付与することができた。
④イエスのわざは、質、多様性、数において、比類なきものである。
⑤それらが、イエスが神から派遣されたメシアであることを証ししている。
3.父なる神(37~38節)
Joh 5:37
また、わたしを遣わされた父ご自身が、わたしについて証しをしてくださいました。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたことも、御姿を見たこともありません。
Joh 5:38
また、そのみことばを自分たちのうちにとどめてもいません。父が遣わされた者を信じないからです。
(1)父は、イエスについて証しをされた。
①イエスが洗礼を受けた場面では、父なる神の声が聞こえた(1:32~34)。
②これ以外にも、父なる神は2度証言された。
*変貌山にて(マタ17:5)
*ギリシア人が面会を求めたときに(12:28)
(2)不信仰なユダヤ人たちは、その御声を聞いたことも、御姿を見たこともない。
①神は、旧約聖書を通して彼らに語っておられた。
*みことばを自分のうちにとどめていない者には、神の声は聞こえない。
②神は霊であるが、受肉したメシアによって御姿が現れた。
*父が遣わした者を信じないので、その姿が見えない。
4.旧約聖書(39~47節)
(1)39~40節
Joh 5:39
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。
Joh 5:40
それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
①「聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書をしらべています」
*彼らは、聖書の学びによって永遠のいのちが得られると考えていた。
*つまり、わざによって永遠のいのちが得られると考えていたのである。
②旧約聖書は、主にイエスについて証言している。
*旧約聖書を学びながら、かくも盲目になっているのは悲劇である。
③彼らは、いのちを得るためにイエスのもとに来ようとはしない。
*イエスの教えを理解できないからではない。
*罪の生活を放棄したくないからである。
(2)41~42節
Joh 5:41 わたしは人からの栄誉は受けません。
Joh 5:42
しかし、わたしは知っています。あなたがたのうちに神への愛がないことを。
①イエスは、人からの栄誉を求めていない。
*イエスが求めているのは、父なる神からの栄誉である。
②ユダヤ人たちがイエスを信じない理由は、神への愛がないからである。
*神を愛しているなら、神が派遣したイエスを信じるはずである。
(3)43節
Joh 5:43わたしは、わたしの父の名によって来たのに、あなたがたはわたしを受け入れません。もしほかの人がその人自身の名で来れば、あなたがたはその人を受け入れます。
①イエスは、父の名によって来た。
*イエスは、父の代理人である。
*イエスは、父の栄光を表す。
*ユダヤ人たちは、そのイエスを受け入れない。
②ほかの人物の登場が預言される。
*彼は、自分自身の名で来る。
*ユダヤ人たちは、その人物を受け入れる。
*偽教師たち、偽キリストたちが多く出た。
*究極的には、反キリストのことである。
③2テサ2:8~10
2Th 2:8 時が来れば、いよいよこの反キリストが現れることになりますが、主イエスが来られ、御口の息と輝きによって、彼を滅ぼしてしまわれます。
2Th 2:9
この反キリストは悪魔の手先であり、悪魔のあらゆる力を与えられてやって来ます。不思議なわざを見せては人々をだまし、力ある奇跡を行う者であるかのように見せかけるのです。
2Th 2:10
こうして、真理を拒んで滅びへの道を走る者たちを、すっかりとりこにします。その人たちは、真理を信じることも愛することもせず、救われようなどとは考えもしませんでした。
(4)44節
Joh 5:44
互いの間では栄誉を受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたが、どうして信じることができるでしょうか。
①パリサイ人たちは、人間からの栄誉を求めていた。
②彼らは、ユダヤ教を離れることから来る迫害を恐れていた。
③彼らは、唯一の神からの栄誉を求めなかった。
④神からの栄誉よりも人間からの栄誉を求める者は、救われない。
(5)45~46節
Joh 5:45
わたしが、父の前にあなたがたを訴えると思ってはなりません。あなたがたを訴えるのは、あなたがたが望みを置いているモーセです。
Joh 5:46
もしも、あなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことなのですから。
(1)彼らを父なる神の前に訴える必要はない。
①モーセの律法(五書)が彼らを訴えるからである。
②彼らは、モーセの律法が与えられていることを誇りとしていた。
③しかし彼らは、モーセの律法に従わなかった。
(2)イエスは、モーセの律法の権威を認めた。
①モーセが書いたことを信じているなら、イエスを信じたはずである。
②モーセの律法は、メシアの到来を預言している。
③メシアが到来したなら、その方に聞き従わなければならない。
*申18:15、18:18
(6)47節
Joh 5:47
しかし、モーセが書いたものをあなたがたが信じていないのなら、どうしてわたしのことばを信じるでしょうか。」
①モーセの律法を信じない者は、イエスのことばを信じない。
②今も同じことが起こっている。
*モーセの五書の霊感を疑う人が多くいる。
*やがて彼らは、イエスのことばも疑うようになる。
結論:法廷での陳述
1.イエスの主張
(1)神をご自分の父と呼ばれた(18節)。
(2)永遠のいのちを与えることができると言われた(24節)。
(3)自分のうちにいのちを持っていると言われた(26節)。
(4)さばきを行う権威を持っていると言われた(27節)。
2.4種類の証人
(1)バプテスマのヨハネ(33~35節)
①バプテスマのヨハネは、神から遣わされた使者である。
②彼は、イエスが神の子羊であることを証言した(1:29~34)。
③彼は、自らのいのちを燃やすことによって、人々に光をもたらした。
④ユダヤ人たちは、先駆者は受け入れたが、メシアは拒否した。
(2)イエスのわざ(36節)
①イエスのわざは、ヨハネの証しよりもすぐれた証しである。
②イエスが行っているわざは、父が与えてくださったものである。
③イエスのわざは、質、多様性、数において、比類なきものである。
④それらが、イエスが神から派遣されたメシアであることを証ししている。
(3)父なる神(37~38節)
①父は、イエスについて証しをされた。
②天からの声は、イエスの公生涯において3度聞こえてきた。
③不信仰な者たちは、御声を聞いたことも、御姿を見たこともない。
④神は霊であるが、受肉したメシアによって御姿が現れた。
(4)旧約聖書(39~47節)
①ユダヤ人たちは、聖書の学びによって永遠のいのちを得ようとした。
②旧約聖書は、主にイエスについて証言している。
③彼らは、いのちを得るためにイエスのもとに来ようとはしない。
④ユダヤ人たちがイエスを信じない理由は、神への愛がないからである。
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