私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
コリント人への手紙第一(20)聖餐式11:17~34
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聖餐式の混乱から教訓を学ぶ。
コリント人への手紙第一 20回
聖餐式
11 :17~34
はじめに
1.文脈の確認
(1)イントロダクション(1:1~9)
(2)教会内の分裂(1:10~4:21)
(3)教会内の無秩序(5~6)
(4)教会からの質問(7~16)
①結婚に関する教え(7:1~40)
②偶像に献げられた肉(8:1~11:1)
③女のかぶり物(11:2~16)
④聖餐式(11:17~34)
2.注目すべき点
(1)「かぶり物」の部分は、称賛のことばをもって始まる。
(2)「聖餐式」の部分は、叱責のことばをもって始まる。
①このテーマは、コリント教会からの手紙にはなかったものである。
②パウロは、これに関する情報を「聞いた」(18節)。
(3)古代世界では、食事と礼拝が一連のものとして行われていた。
①初期の教会でも、食事会の一部として聖餐式が行われていた。
②コリントでは、食事会は、愛ではなく利己心を示す場となっていた。
3.アウトライン
(1)貧しい人たちを辱める行為(17~22節)
(2)主のからだを辱める行為(23~26節)
(3)解決(1)―主のからだをわきまえる(27~32節)
(4)解決(2)―互いに待ち合わせる(33~34節)
4.結論 :聖餐式に与る準備
聖餐式の混乱から教訓を学ぶ。
Ⅰ.貧しい人たちを辱める行為(17~22節)
1.17節
1Co 11:17
ところで、次のことを命じるにあたって、私はあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが益にならず、かえって害になっているからです。
(1)最初に取り上げるのは、水平の関係(信者同士の関係)である。
①コリント教会の集会は、益になるよりも害になっている。
②そういう集会なら、開かないほうがましである。
2.18~19節
1Co 11:18
まず第一に、あなたがたが教会に集まる際、あなたがたの間に分裂があると聞いています。ある程度は、そういうこともあろうかと思います。
1Co 11:19
実際、あなたがたの間で本当の信者が明らかにされるためには、分派が生じるのもやむを得ません。
(1)家の教会の一つは、ガイオの家にあった(ロマ16:23)。
①この当時、コリントには複数の家の教会があったと思われる。
②それらの家の教会のすべてが、同じ間違いを犯していたと思われる。
③教会に集まる際に、分裂があった。
④この「分裂」は、どのリーダーに付くかではなく、社会的階層上の分裂である。
(2)パウロは、この情報を聞いて、それをかなりの程度信じた。
①分派には、積極的な側面もある。
②教理上の分派は、本当の信者と偽の信者を明らかにする。
③しかし、コリントの教会に生じている分派は、評価できるものではない。
3.20~21節
1Co 11:20
しかし、そういうわけで、あなたがたが一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにはなりません。
1Co 11:21
というのも、食事のとき、それぞれが我先にと自分の食事をするので、空腹な者もいれば、酔っている者もいるという始末だからです。
(1)初期の教会での聖餐式は、教会活動の中心となっていた。
①現代の教会における聖餐式の位置づけとは大いに異なる。
②聖餐式の頻度も、毎日か毎週であった(使2:42~46、20:7)。
③しかし、分派があるなら、真の聖餐式とはならない。
④偶像の宮での食事と聖餐式が両立しないのと同じことである。
(2)聖餐式は、信者がともに食する「愛餐」(アガペー)の一部となっていた。
①しかし、裕福な者たちは、それぞれが我先にと自分の食事をしていた。
②貧しい者たちは、空腹なまま放置された。
③中には、過剰にぶどう酒を飲み、酔っている者もいた。
④コリント教会の愛餐は、信者の愛と一致を示す食事とは到底言えなかった。
4.22節
1Co 11:22
あなたがたには、食べたり飲んだりする家がないのですか。それとも、神の教会を軽んじて、貧しい人たちに恥ずかしい思いをさせたいのですか。私はあなたがたにどう言うべきでしょうか。ほめるべきでしょうか。このことでは、ほめるわけにはいきません。
(1)パウロは、この書簡の中で最も厳しいことばを語っている。
①裕福な者は、自分の家で飲み食いすべきである。
②教会で自分勝手に飲み食いするのは、神の教会を軽んじることである。
③さらに、貧しい者たちを辱めることである。
(2)このことでは、ほめるわけにはいかない。
①教会に属する者たちは、キリストにあって一つである。
②自由人と奴隷、ギリシア人と野蛮人、ユダヤ人と異邦人、ローマ人と無法な者
③教会だけが、当時の社会で唯一、区別が存在しない集まりであった。
③教会の中に貧富の差による分裂があるなら、それは教会とは言えない。
Ⅱ.主のからだを辱める行為(23~26節)
1.23節a
1Co 11:23a 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。
(1)次に取り上げるのは、垂直の関係(キリストと信者の関係)である。
①これは、水平の関係よりもさらに深刻な問題である。
(2)パウロが伝える教えは、主から受けたことである。
①このことばは、ユダヤ人が採用した真理の伝達法を示している。
②つまり、啓示の重要性を教えているということである。
③1コリ15:3a
1Co 15:3a 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
④キリスト―使徒たち―パウロという啓示の流れがある。
2.23b~24節
1Co 11:23b すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、
1Co 11:24
感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
(1)聖餐式が制定された状況
①タイミングは、イエスが弟子の一人に裏切られる夜であった。
②それにもかかわらず、イエスは弟子たちを愛された。
③聖餐式は、パン裂きとも呼ばれる。
(2)「わたしのからだです」
①化体説(カトリック教会)
②実体共存説(ルター派と聖公会)
③霊的存在説(改革派)
④記念説
*パンはイエスのからだを示す象徴である。
*パンを食する人は、イエスの死と同一化し、その死がもたらす祝福に与る。
*「わたしを覚えて」とは、単なる記念ではない。
*イエスの死がもたらした祝福が成就するように生きることである。
3.25節
1Co 11:25
食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
(1)ぶどう酒は、イエスの血潮の象徴である。
①血を流すことなしには、罪の赦しはない。
②ヘブ9:22
Heb 9:22 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。
③この血によって、神との新しい関係が設立された。
④それが、新しい契約である。
⑤「わたしを覚えて」とは、血潮がもたらした祝福が成就するように生きること。
4.26節
1Co 11:26
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。
(1)聖餐式が宣言しているのは「十字架のことば」である。
①主は、罪人の罪を赦すために十字架にかかられた。
②主は、低くされた後、高く上げられた。
③主は、やがて地上に戻って来られる。
Ⅲ.解決(1)―主のからだをわきまえる(27~32節)
1.27節
1Co 11:27
したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
(1)この聖句は、聖餐式の前の自己吟味の必要性を教えたものとされる。
①しかし、文脈上は「水平関係」を吟味することの必要性を教えたものであろう。
(2)信者の集合体である教会は、主のからだである。
①他の兄弟への愛の配慮がないままでパンとぶどう酒に与るのは、罪である。
②それは、主のからだと血に対する罪である。
2.28~29節
1Co 11:28
だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
1Co 11:29
みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。
(1)自分を吟味する。
①キリストは、和解と一致をもたらすために死んでくださった。
②もし傷つけた兄弟がいるなら、罪を告白し、和解すべきである。
③和解しないで聖餐式に参加する者は、自分の身にさばきを招くことになる。
3.30節
1Co 11:30
あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです。
(1)さばきの内容
①病気と死
②彼らは自己吟味をしなかったので、主からの矯正的さばきが下った。
4.31~32節
1Co 11:31
しかし、もし私たちが自分をわきまえるなら、さばかれることはありません。
1Co 11:32
私たちがさばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下されることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。
(1)さばきを免れる方法
①自分で自分をわきまえる(さばく)なら、さばかれることはない。
(2)信者がさばきを受ける場合
①この世(不信者)が受けるさばきとは異なる。
②つまり、信者は救いを失うことはないということである。
③主による懲らしめは、罪の生活を矯正するためのものである。
④最も厳しい懲らしめは、地上のいのちが取り去られることである。
Ⅳ.解決(2)―互いに待ち合わせる(33~34節)
1.33節
1Co 11:33 ですから、兄弟たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。
(1)愛餐会に集まるときは、他の兄弟たちに配慮すべきである。
①先に自分の食事を食べ始めてはならない。
②他の兄弟たちが揃うまで、待ちなさい。
③自分の食事を他の兄弟たちに分けることも示唆されている。
2.34節
1Co 11:34
空腹な人は家で食べなさい。あなたがたが集まることによって、さばきを受けないようにするためです。このほかのことについては、私が行ったときに決めることにします。
(1)空腹の問題に対処できない人は、愛餐に与る前に、自分の家で食べればよい。
①そうすれば、さばきを免れることができる。
(2)聖餐式に関する他の問題は、パウロが訪問したときに、決めることになる。
結論:聖餐式に与る準備
1.その意味を黙想する。
(1)イエスは、渡される夜、聖餐式を制定された。
(2)パンとぶどう酒は、イエスの十字架の死を象徴している。
2.キリストのみからだをわきまえる。
(1)みからだをわきまえるとは、他の兄弟たちへの愛と配慮を確認することである。
(2)聖餐式は、和解と一致を表現する聖礼典である。
3.自分の霊性を準備する。
(1)傷つけた兄弟がいるなら、罪を告白し、和解する。
(2)自分の内面を建徳的に吟味する。
(3)自分を責めて、聖餐式から退いてはならない。
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