コリント人への手紙第一(20)聖餐式11:17~34

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聖餐式の混乱から教訓を学ぶ。

コリント人への手紙第一 20回

聖餐式

11 :17~34

はじめに

1.文脈の確認

(1)イントロダクション(1:1~9)

(2)教会内の分裂(1:10~4:21)

(3)教会内の無秩序(5~6)

(4)教会からの質問(7~16)

  ①結婚に関する教え(7:1~40)

  ②偶像に献げられた肉(8:1~11:1)

  ③女のかぶり物(11:2~16)

  ④聖餐式(11:17~34)

2.注目すべき点

(1)「かぶり物」の部分は、称賛のことばをもって始まる。

(2)「聖餐式」の部分は、叱責のことばをもって始まる。

  ①このテーマは、コリント教会からの手紙にはなかったものである。

  ②パウロは、これに関する情報を「聞いた」(18節)。

(3)古代世界では、食事と礼拝が一連のものとして行われていた。

  ①初期の教会でも、食事会の一部として聖餐式が行われていた。

  ②コリントでは、食事会は、愛ではなく利己心を示す場となっていた。

3.アウトライン

(1)貧しい人たちを辱める行為(17~22節)

(2)主のからだを辱める行為(23~26節)

(3)解決(1)―主のからだをわきまえる(27~32節)

(4)解決(2)―互いに待ち合わせる(33~34節)

4.結論 :聖餐式に与る準備

聖餐式の混乱から教訓を学ぶ。

Ⅰ.貧しい人たちを辱める行為(17~22節)

1.17節

1Co 11:17

ところで、次のことを命じるにあたって、私はあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが益にならず、かえって害になっているからです。

(1)最初に取り上げるのは、水平の関係(信者同士の関係)である。

  ①コリント教会の集会は、益になるよりも害になっている。

  ②そういう集会なら、開かないほうがましである。

2.18~19節

1Co 11:18

まず第一に、あなたがたが教会に集まる際、あなたがたの間に分裂があると聞いています。ある程度は、そういうこともあろうかと思います。

1Co 11:19

実際、あなたがたの間で本当の信者が明らかにされるためには、分派が生じるのもやむを得ません。

(1)家の教会の一つは、ガイオの家にあった(ロマ16:23)。

  ①この当時、コリントには複数の家の教会があったと思われる。

  ②それらの家の教会のすべてが、同じ間違いを犯していたと思われる。

  ③教会に集まる際に、分裂があった。

  ④この「分裂」は、どのリーダーに付くかではなく、社会的階層上の分裂である。

(2)パウロは、この情報を聞いて、それをかなりの程度信じた。

  ①分派には、積極的な側面もある。

  ②教理上の分派は、本当の信者と偽の信者を明らかにする。

  ③しかし、コリントの教会に生じている分派は、評価できるものではない。

3.20~21節

1Co 11:20

しかし、そういうわけで、あなたがたが一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにはなりません。

1Co 11:21

というのも、食事のとき、それぞれが我先にと自分の食事をするので、空腹な者もいれば、酔っている者もいるという始末だからです。

(1)初期の教会での聖餐式は、教会活動の中心となっていた。

  ①現代の教会における聖餐式の位置づけとは大いに異なる。

  ②聖餐式の頻度も、毎日か毎週であった(使2:42~46、20:7)。

  ③しかし、分派があるなら、真の聖餐式とはならない。

  ④偶像の宮での食事と聖餐式が両立しないのと同じことである。

(2)聖餐式は、信者がともに食する「愛餐」(アガペー)の一部となっていた。

  ①しかし、裕福な者たちは、それぞれが我先にと自分の食事をしていた。

  ②貧しい者たちは、空腹なまま放置された。

  ③中には、過剰にぶどう酒を飲み、酔っている者もいた。

  ④コリント教会の愛餐は、信者の愛と一致を示す食事とは到底言えなかった。

4.22節

1Co 11:22

あなたがたには、食べたり飲んだりする家がないのですか。それとも、神の教会を軽んじて、貧しい人たちに恥ずかしい思いをさせたいのですか。私はあなたがたにどう言うべきでしょうか。ほめるべきでしょうか。このことでは、ほめるわけにはいきません。

(1)パウロは、この書簡の中で最も厳しいことばを語っている。

  ①裕福な者は、自分の家で飲み食いすべきである。

  ②教会で自分勝手に飲み食いするのは、神の教会を軽んじることである。

  ③さらに、貧しい者たちを辱めることである。

(2)このことでは、ほめるわけにはいかない。

  ①教会に属する者たちは、キリストにあって一つである。

  ②自由人と奴隷、ギリシア人と野蛮人、ユダヤ人と異邦人、ローマ人と無法な者

  ③教会だけが、当時の社会で唯一、区別が存在しない集まりであった。

  ③教会の中に貧富の差による分裂があるなら、それは教会とは言えない。

Ⅱ.主のからだを辱める行為(23~26節)

1.23節a

1Co 11:23a 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。

(1)次に取り上げるのは、垂直の関係(キリストと信者の関係)である。

  ①これは、水平の関係よりもさらに深刻な問題である。

(2)パウロが伝える教えは、主から受けたことである。

  ①このことばは、ユダヤ人が採用した真理の伝達法を示している。

  ②つまり、啓示の重要性を教えているということである。

  ③1コリ15:3a

1Co 15:3a 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。

  ④キリスト―使徒たち―パウロという啓示の流れがある。

2.23b~24節

1Co 11:23b すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、

1Co 11:24

感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」

(1)聖餐式が制定された状況

  ①タイミングは、イエスが弟子の一人に裏切られる夜であった。

  ②それにもかかわらず、イエスは弟子たちを愛された。

  ③聖餐式は、パン裂きとも呼ばれる。

(2)「わたしのからだです」

  ①化体説(カトリック教会)

  ②実体共存説(ルター派と聖公会)

  ③霊的存在説(改革派)

  ④記念説

    *パンはイエスのからだを示す象徴である。

    *パンを食する人は、イエスの死と同一化し、その死がもたらす祝福に与る。

    *「わたしを覚えて」とは、単なる記念ではない。

    *イエスの死がもたらした祝福が成就するように生きることである。

3.25節

1Co 11:25

食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」

(1)ぶどう酒は、イエスの血潮の象徴である。

  ①血を流すことなしには、罪の赦しはない。

  ②ヘブ9:22

Heb 9:22 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。

  ③この血によって、神との新しい関係が設立された。

  ④それが、新しい契約である。

  ⑤「わたしを覚えて」とは、血潮がもたらした祝福が成就するように生きること。

4.26節

1Co 11:26

ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。

(1)聖餐式が宣言しているのは「十字架のことば」である。

  ①主は、罪人の罪を赦すために十字架にかかられた。

  ②主は、低くされた後、高く上げられた。

  ③主は、やがて地上に戻って来られる。

Ⅲ.解決(1)―主のからだをわきまえる(27~32節)

1.27節

1Co 11:27

したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。

(1)この聖句は、聖餐式の前の自己吟味の必要性を教えたものとされる。

  ①しかし、文脈上は「水平関係」を吟味することの必要性を教えたものであろう。

(2)信者の集合体である教会は、主のからだである。

  ①他の兄弟への愛の配慮がないままでパンとぶどう酒に与るのは、罪である。

  ②それは、主のからだと血に対する罪である。

2.28~29節

1Co 11:28

だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。

1Co 11:29

みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。

(1)自分を吟味する。

  ①キリストは、和解と一致をもたらすために死んでくださった。

  ②もし傷つけた兄弟がいるなら、罪を告白し、和解すべきである。

  ③和解しないで聖餐式に参加する者は、自分の身にさばきを招くことになる。

3.30節

1Co 11:30

あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです。

(1)さばきの内容

  ①病気と死

  ②彼らは自己吟味をしなかったので、主からの矯正的さばきが下った。

4.31~32節

1Co 11:31

しかし、もし私たちが自分をわきまえるなら、さばかれることはありません。

1Co 11:32

私たちがさばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下されることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。

(1)さばきを免れる方法

  ①自分で自分をわきまえる(さばく)なら、さばかれることはない。

(2)信者がさばきを受ける場合

  ①この世(不信者)が受けるさばきとは異なる。

  ②つまり、信者は救いを失うことはないということである。

  ③主による懲らしめは、罪の生活を矯正するためのものである。

  ④最も厳しい懲らしめは、地上のいのちが取り去られることである。

Ⅳ.解決(2)―互いに待ち合わせる(33~34節)

1.33節

1Co 11:33 ですから、兄弟たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。

(1)愛餐会に集まるときは、他の兄弟たちに配慮すべきである。

  ①先に自分の食事を食べ始めてはならない。

  ②他の兄弟たちが揃うまで、待ちなさい。

  ③自分の食事を他の兄弟たちに分けることも示唆されている。

2.34節

1Co 11:34

空腹な人は家で食べなさい。あなたがたが集まることによって、さばきを受けないようにするためです。このほかのことについては、私が行ったときに決めることにします。

(1)空腹の問題に対処できない人は、愛餐に与る前に、自分の家で食べればよい。

  ①そうすれば、さばきを免れることができる。

(2)聖餐式に関する他の問題は、パウロが訪問したときに、決めることになる。

結論:聖餐式に与る準備

1.その意味を黙想する。

(1)イエスは、渡される夜、聖餐式を制定された。

(2)パンとぶどう酒は、イエスの十字架の死を象徴している。

2.キリストのみからだをわきまえる。

(1)みからだをわきまえるとは、他の兄弟たちへの愛と配慮を確認することである。

(2)聖餐式は、和解と一致を表現する聖礼典である。

3.自分の霊性を準備する。

(1)傷つけた兄弟がいるなら、罪を告白し、和解する。

(2)自分の内面を建徳的に吟味する。

(3)自分を責めて、聖餐式から退いてはならない。

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