私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(105)—仮庵の祭りで姿を現すイエス(2)—
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イエスに関する疑問について、回答を得る。
「仮庵の祭りで姿を現すイエス(2)」
§096 ヨハ7:11~52(朗読は7:25~36)
1.はじめに
(1)文脈の確認
①§096~111までは、後期ユダヤ伝道と呼ばれる箇所である。
②十字架にかかる前の年
③仮庵の祭りから奉献の祭り(ハヌカ)までの3ヵ月間(10月~12月)
④ヨハネとルカだけが取り上げている。
*ヨハネはエルサレムを中心に描いている。
*ルカはエルサレムの外、ユダヤ地方での働きを描いている。
⑤イエスは、公にではなく、内密にエルサレムに上った(10節)。
⑥イエスの登場によって、緊張感が高まる。
⑦この箇所は、ヨハネに記録されたイエスの7つの説教の第4番目のものである。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「イエスが仮庵の祭りに来たことで、イエスのメシア性に関する議論が激しくな
る」(§96)
ヨハ7:11~52
(3)登場人物
①宗教的指導者たち
*パリサイ人
*祭司長(24組の長)
②群衆
*ガリラヤから来た巡礼者
*その他の地方から来た巡礼者(ディアスポラの地)
③エルサレムの住民
2.アウトライン
(1)状況説明(11~13節)
(2)Q&A(1)(14~19節)
(3)Q&A(2)(20~24節)
(4)Q&A(3)(25~30節)
(5)群衆の反応(31~36節)
(6)イエスの招き(37~44節)
(7)パリサイ人の反応(45~52節)
(今回は、(4)~(5)を取り上げる)
4.結論
(1)聖書的メシア論
(2)ヨハネの福音書における「時」
イエスに関する疑問について、回答を得る。
Ⅳ.Q&A(3)(25~30節)
1.25~26節
「そこで、エルサレムのある人たちが言った。『この人は、彼らが殺そうとしている人ではないか。見なさい。この人は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。議員たちは、この人がキリストであることを、ほんとうに知ったのだろうか』」
(1)エルサレムの住民たちの言葉である。
①祭りに来ている巡礼者の群衆とは、区別されるグループである。
②彼らは、指導者たちがイエスを殺す計画を練っていることを知っていた。
(2)彼らの驚きの理由
①この人は、指導者たちが殺そうとしている人ではないか。
②これは、「Yes」という答えを期待する疑問文である。
③イエスの外見については、ガリラヤ人ほどの知識はない。
④その人物が、公然と(おおっぴらに)教えている。
⑤なのに、指導者たちは何も手を打とうとしていない。
⑥彼らは、イエスがキリストであることを知ったのか。
2.27節
「けれども、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。しかし、キリストが来られるとき、それが、どこからか知っている者はだれもいないのだ」
(1)訳文比較
「だけどさ、この人がキリスト様のわけはないよ。 どこの生まれか、身元が知れてるんだから。 キリスト様は、どこからともなく、突然、現われなさるはずだからね」(LB)
(2)当時流布していたメシア論
①バビロニアタルムード サンヘドリン97a
「予期せぬ時に現れるものが3つある。メシア、神からの使者、そしてサソリ」
②指導者たちは、メシア誕生の地がベツレヘムであることを知っていた。
③しかし、一般的にはメシアは突如、神秘的な方法で出現すると信じられていた。
(3)人々の戸惑い
①彼らは、イエスがガリラヤ出身であることを知っていた。
*ナザレの大工である。
②この情報は、彼らが描いていたメシア像とは異なる。
③もしイエスがメシアなら、そのように信ずべきである。
④もしイエスがメシアでないなら、即座に逮捕すべきである。
⑤指導者が正しく導いていないので、人々は混乱の中に置かれた。
3.28節
「イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげて言われた。『あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです』」
(1)「大声をあげて」とは、厳粛な宣言が始まるしるしである。
①ヨハ1:15(バプテスマのヨハネの証言)
②ヨハ7:37(イエスの招きのことば)
③ヨハ12:44(イエスの教え)
(2)「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知ってい
ます」
①これは、アイロニー(皮肉)である。
②人々は、イエスが誰であるか、イエスがどこの出身であるか、知っている。
③しかし、それはイエスを人間として知っているだけのことである。
④残りの部分は、彼らは知らないのである。
(3)「しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実で
す。あなたがたは、その方を知らないのです」
①イエスを遣わした方は「真実である」とは、父なる神のことである。
②人々は、イエスを遣わした神を知らない。
4.29節
「わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです」
(1)このことばは、イエスの神性宣言である。
①指導者たちを激怒させることばである。
5.30節
「そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけた者はなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである」
(1)「イエスの時」とは、十字架にかかる時である。
①十字架に至るイエスの公生涯は、父なる神によって計画されていた。
(2)神の守りがあるので、だれもイエスに手を出すことができない。
Ⅴ.群衆の反応(31~36節)
1.31節
「群衆のうちの多くの者がイエスを信じて言った。『キリストが来られても、この方がしているよりも多くのしるしを行われるだろうか』」
(1)多くの者がイエスを信じた。
①イエスは多くのしるしを行った。
②たとえメシアが登場したとしても、これほどのしるしは行わないだろう。
③つまり、イエスはメシアである。
(2)彼らの信仰は、一時的なものであった。
①受難のメシアという理解がなかった。
2.32節
「パリサイ人は、群衆がイエスについてこのようなことをひそひそと話しているのを耳にした。それで祭司長、パリサイ人たちは、イエスを捕らえようとして、役人たちを遣わした」
(1)パリサイ人にとっては、困った事態が到来した。
①イエスを逮捕するためにさっそく動く。
②当時、パリサイ人には人を逮捕する権限はなかった。
③紀元70年以降、権限を持つようになった。
④ヨハネは、その時代の読者のことを考えながらこれを書いている。
⑤「役人」とは、神殿を警備しているレビ人の守衛である。
3.33~34節
「そこでイエスは言われた。『まだしばらくの間、わたしはあなたがたといっしょにいて、それから、わたしを遣わした方のもとに行きます。あなたがたはわたしを捜すが、見つからないでしょう。また、わたしがいる所に、あなたがたは来ることができません』」
(1)イエスを逮捕するために来た役人、パリサイ人、そして一般民衆へのことば
(2)残された時は、少なくなっている。
①父なる神が時を定めておられる。
②人間に与えられている機会は、いつまでも続くものではない。
(3)イエスは父なる神のもとに行く。
①昇天のことである。
②ユダヤ人たちは、最もメシアの助けが必要なときに、メシアを発見することが
できなくなる。
③今もユダヤ人たちは、メシアを求めている。
④次に彼らがメシアを見るときは、嘆き、涙を流すときである。
*ゼカ12:10~13
*黙1:7
(4)「また、わたしがいる所に、あなたがたは来ることができません」
①イエスと父とは、永遠に、完全な調和の中で住まわれる。
②そこに、罪を持った者が行くことはできない。
③以上の教えは、たとえ話を使ったものである。
④それゆえ、不信仰な者には理解することができない。
4.35~36節
「そこで、ユダヤ人たちは互いに言った。『私たちには、見つからないという。それならあの人はどこへ行こうとしているのか。まさかギリシヤ人の中に離散している人々のところへ行って、ギリシヤ人を教えるつもりではあるまい。「あなたがたはわたしを捜すが、見つからない」、また「わたしのいる所にあなたがたは来ることができない」とあの人が言ったこのことばは、どういう意味だろうか』」
(1)これは、指導者たちの言葉である。
①「あの人」(こいつ):軽蔑のニュアンスを含めた言葉である。
(2)「ギリシヤ人の中に離散している人々のところへ行って、」
①ディアスポラのユダヤ人のこと
②ギリシア人を教えるとは、異邦人を教えるということ。
③パレスチナでユダヤ人を教えることに失敗したので、ディアスポラの地で異邦
人を教えようとするのか。
④そんなことができるはずがない。
(3)しかし、これは教会時代に起こることの無意識的な預言になっている。
①パウロの伝道は、ディアスポラのユダヤ人を訪問し福音を伝えるという方法。
②先ずユダヤ人に伝道する。
③次に異邦人に伝道する。
(4)議論は、あくまでも平行線である。
①頑なな心があるので、イエスの人間性しか見えない。
②表面的な判断しかしていないので、イエスのことばの真意が理解できない。
結論
1.聖書的メシア論
(1)当時の民衆のメシア論
①突然現れる。
②神秘的に現れる。
(2)聖書的メシア論
①メシアは、赤子として誕生された。
②メシアは、すべての人がたどる成長の過程をたどられた。
③メシアは、十字架の苦しみをしのばれた。
④メシアの辱めは、受肉の最初から始まっている。
⑤聖書的メシア論は、愛のメシア論である。
2.ヨハネの福音書における「時」
*ヨハネは、十字架の時を「時」という言葉で表現している。
*イエスの公生涯の節目を見逃すことなく、克明に記している。
(1)ヨハ2:4
「すると、イエスは母に言われた。『あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません』」
(2)ヨハ7:6
「そこでイエスは彼らに言われた。『わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも来ているのです』」
(3)ヨハ7:8
「あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りには行きません。わたしの時がまだ満ちていないからです」
(4)ヨハ8:20
「イエスは宮で教えられたとき、献金箱のある所でこのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである」
(5)ヨハ10:39
「そこで、彼らはまたイエスを捕らえようとした。しかし、イエスは彼らの手からのがれられた」(神殿奉献祭:ハヌカの時)
(6)ヨハ13:1
「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された」
*イエスの時とは、愛の時である。
*試練に遭遇した時は、分かっていること(神の愛)を捨ててはならない。
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