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メシアの生涯(104)—仮庵の祭りで姿を現すイエス(1)—
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イエスに関する疑問について、回答を得る。
「仮庵の祭りで姿を現すイエス(1)」
§096 ヨハ7:11~52(朗読は7:11~24)
1.はじめに
(1)文脈の確認
①§096~111までは、後期ユダヤ伝道と呼ばれる箇所である。
②十字架にかかる前の年
③仮庵の祭りから奉献の祭り(ハヌカ)までの3ヵ月間(10月~12月)
④ヨハネとルカだけが取り上げている。
*ヨハネはエルサレムを中心に描いている。
*ルカはエルサレムの外、ユダヤ地方での働きを描いている。
⑤イエスは、公にではなく、内密にエルサレムに上った(10節)。
⑥イエスの登場によって、緊張感が高まる。
⑦この箇所は、ヨハネに記録されたイエスの7つの説教の第4番目のものである。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「イエスが仮庵の祭りに来たことで、イエスのメシア性に関する議論が激しくな
る」(§96)
ヨハ7:11~52
2.アウトライン
(1)状況説明(11~13節)
(2)Q&A(1)(14~19節)
(3)Q&A(2)(20~24節)
(4)Q&A(3)(25~30節)
(5)群衆の反応(31~36節)
(6)イエスの招き(37~44節)
(7)パリサイ人の反応(45~52節)
(今回は、(1)~(3)を取り上げる)
3.結論
(1)みことばの学びの方法
(2)霊的覚醒の方法
イエスに関する疑問について、回答を得る。
Ⅰ.状況説明(11~14節)
1.11節
「ユダヤ人たちは、祭りのとき、『あの方はどこにおられるのか』と言って、イエスを捜していた」
(1)訳文の比較
「ユダヤ人たちは、祭りのとき、『あの方はどこにおられるのか』と言って、イエス
を捜していた」 (新改訳)
「祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、『あの男はどこにいるのか』と言ってい
た」 (新共同訳)
「ユダヤ人らは祭の時に、『あの人はどこにいるのか』と言って、イエスを捜してい
た」 (口語訳)
「ユダヤ人の指導者たちは、祭りの間にイエスを見つけ出してやろうと思い、『だれ
かイエスを見かけた者はいないか』と、やっきになって尋ね回りました」 (LB)
(2)ヨハネの福音書には、「ユダヤ人」という言葉が31回出てくる(単数と複数)。
①ユダヤ人一般。アブラハム、イサク、ヤコブの子孫。
②ガリラヤ人と対比してのユダヤ人(ユダヤ地方の住民)
③ユダヤ人の宗教的指導者たち
(3)宗教的指導者たちが抱いた危機意識
①仮庵の祭りとメシア的王国の関係
②自分はメシアであるというイエスの主張に群衆が乗ってしまう危険性がある。
③この年の仮庵の祭りは、ピリピリした雰囲気の中で進行していた。
2.12節
「そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。『良い人だ』と言う者もあり、『違う。群衆を惑わしているのだ』と言う者もいた。
(1)「群衆」が複数形にないっている(オクロイ)。ヨハネではここだけである。
①いくつかのグループがいたということ。
②ガリラヤ地方や他の地方、また国々から来ていた巡礼者のグループである。
(2)群衆の意見は、二分されていた。
①イエスを擁護する人たち
*「良い人」(アガソス)とは、動機が正しい人。究極的には神を指す。
②イエスを非難する人たち
*「違う。群衆を惑わしているのだ」とは、偽預言者のこと。
*宗教的指導者たちは、多くの支持者を得ていたということ。
*申13:1~18によれば、石打ちの刑に処すべきケースである。
(3)紀元2世紀にまで遡ることのできるユダヤ人の記録
①イエスは、魔術を使って人々を惑わした(タルムードに記録されている)。
②この評価は、ユダヤの指導者だけでなく民衆も共有していた。
③イエスが奇跡を行ったことは否定していない。
④今も、この評価は生き続けている。
3.13節
「しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はひとりもいなかった」
(1)群衆は、公然と語るのではなく、ひそひそ話をしていた。
①公然とイエスを支持する者はいなかったという意味である。
(2)彼らは、宗教的指導者たちを恐れた。
①アリマタヤのヨセフ(ヨハ19:38)
②弟子たち(ヨハ20:19)
③共同体から追放される。
(3)この張りつめた空気を破るのは誰なのか。
Ⅱ.Q&A(1)(14~19節)
1.14節
「しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた」
(1)最初の3日は姿を見せないで、4日目に姿を現した。
①神殿の外庭に、ソロモンの廊と呼ばれる場所があった。
②高名なラビたちは、多くの聴衆を集めた。
③イエスが教え始めると、多数の聴衆が集まった(メシアの街頭演説である)。
(2)まだ王としての姿を現そうとはしておられない。
①イエスの心は、十字架に向かっている。
2.15節
「ユダヤ人たちは驚いて言った。『この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか』」
(1)宗教的指導者たちがひそかに紛れ込んで、イエスの話に耳を傾けていた。
①イエスの話を聞いた人たちは、これまでにも驚いていた。
②旧約聖書の知識、的を射た説明、心を探られる内容
(2)「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか」
①ラビ的教育のことである。
②当時の人たちには、2つの可能性があった。
・専門のラビ教育機関(神学校)で学ぶ方法
・独学で学ぶ方法
③ここでは、第3の方法(情報源は悪魔である)が示唆されている。
④専門家集団の特権意識と閉鎖性とが表現されている。
⑤イエスは、第4の方法を開示する。
3.16~17節
「そこでイエスは彼らに答えて言われた。『わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります』」
(1)イエスの教えは、父から学んだものである。
①「わたしを遣わした方」とは、父なる神である。
②ユダヤ的には、これはイエスの神性宣言である。
③イエスは、神のみこころの啓示である。
(2)イエスの教えが父なる神からのものであることをどのようにして知るのか。
①先ず、神のみこころを行おうと願う。
②従順は、霊的知識に至る。
③信仰は、より深いみことばの理解につながる。
(3)イエスを信じることが神のみこころであることが分かるようになる。
4.18~19節
「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。モーセがあなたがたに律法を与えたではありませんか。それなのに、あなたがたはだれも、律法を守っていません。あなたがたは、なぜわたしを殺そうとするのですか」
(1)神のことばを語ることと、自分の思いを語ることとは、大いに異なる。
①100%神のことばだけを語るのは、イエスだけである。
②人間の説教者は、多かれ少なかれ、自分の栄光を求めてしまう。
③イエスは、父なる神の栄光だけを求めている。
(2)ユダヤ人の宗教的指導者たちの誇りを粉砕するイエス
①彼らは、モーセの律法を持っていることを誇りとしていた。
②しかし、律法の所有と、その実行とは、別の話である。
③彼らは、律法を誇りとしながら、それを守っていない。
④もし守っているなら、イエスをメシアとして受け入れたはずである。
⑤しかし彼らは、イエスを殺そうとしている。
Ⅲ.Q&A(2)(20~24節)
1.20節
「群衆は答えた。『あなたは悪霊につかれています。だれがあなたを殺そうとしているのですか』」
(1)「群衆」は単数形である。
①きょうの箇所では、いくつものグループの人たちが登場している。
*ユダヤ人の宗教的指導者たち(ユダヤ人たち)
*ガリラヤや他の地方からの巡礼者たち(群衆)
*エルサレムに住む一般庶民
②20節の言葉は、ガリラヤからの巡礼者たちである。
③彼らは、指導者の意見に同意している。
④しかし、エルサレムの住民のような情報通ではない。
(2)彼らは、イエスのことばを聞いて悔い改めようとはしなかった。
①イエスは悪霊つきだという意見に、同調した。
②バプテスマのヨハネの場合
「ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているの
だ』と言い、」(マタ11:18)
③光が差してきた時に、暗やみに逃げ込もうというパターンがある。
「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光
のほうに来ない」(ヨハ3:20)
2.21~24節
「イエスは彼らに答えて言われた。『わたしは一つのわざをしました。それであなたがたはみな驚いています。モーセはこのためにあなたがたに割礼を与えました。──ただし、それはモーセから始まったのではなく、父祖たちからです──それで、あなたがたは安息日にも人に割礼を施しています。もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか。うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい』」
(1)彼らが悔い改めない理由は、律法を表面的にしか理解していないからである。
①律法の意図を理解しないで、外面の行為にこだわる。
②自分たちは正しいと思い込んでいるので、真実な教えに反発する。
③イエスを悪霊つきだと判断するのは、その反発の表れである。
(2)イエスは、ひとつの例を指摘する。
①「一つのわざ」とは、ベテスダの池での癒しである(ヨハ5章)。
②38年間病気の人が癒されたが、これは安息日に行われたいやしであった。
③これがきっかけで、ユダヤの指導者たちはイエスを迫害し始めた。
(3)この迫害の原因は、安息日の規定の誤解である。
①生まれて8日目の割礼は、安息日でも行う。
②割礼は肉体の痛みを伴う儀式であるが、安息日の規定よりも重要である。
③それなら、肉体の癒しが安息日の規定に優先するのは自明のことである。
④自明のことが分からないのは、表面的に人を裁いているからである。
結論
1.みことばの学びの方法
(1)専門教育を受ける。
(2)独学で学ぶ。
(3)神から学ぶ。
①イエスの場合は、父なる神から学んだ。
②私たちの場合は、聖霊が教えてくださる。
「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼
には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御
霊のことは御霊によってわきまえるものだからです」(1コリ2:14)
・この愚かさとは、知的に理解できないことではなく、霊的なものである。
③御心を行うことによって学ぶ。
・ユダヤ的教育法。実践を通した学び。
・イエスの弟子訓練法
2.霊的覚醒の方法
(1)日本の教会に将来はあるか。
(2)ヨハ7:18
「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求め
る者は真実であり、その人には不正がありません」
(3)自分の栄光を求める危険性を回避する最善の方法は、講解メッセージである。
(4)このメッセージを聞くことは、セミフォーマルな教育を受けることである。
(5)その上に、独学を積み重ねる。
(6)最も大切なことは、聖霊に導かれてみことばを学ぶことである。
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