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メシアの生涯(102)—エルサレムに顔を向けるイエス—
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エルサレムに顔を向けるイエスの姿から、クリスチャン生活の原則を学ぶ。
「エルサレムに顔を向けるイエス」
§094 ヨハ7:2~9
§095 ルカ9:51~56、ヨハ7:10
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ガリラヤでの弟子訓練が終わった。
②この箇所から、迫害に立ち向かうイエスの姿が描かれる。
③弟子訓練の内容は、迫害の中でどのように生きるかという点に移行する。
④本来であれば、§93を扱うべきであるが、ルカの順序に従う。
*ルカだけが時間の順に出来事を並べている。
*§93は、次回取り上げる。
(2)イエスの活動
①最初は、ユダヤで弟子たちが集まってきた。
②しかし、パリサイ人の嫉妬のために、ユダヤを去った。
③活動の拠点をガリラヤに移した。
④最初は、かなりの人気を博した。
⑤しかし、いのちのパンのメッセージ以降、多くの弟子たちが去った。
(3)A.T.ロバートソンの調和表
「不信仰なイエスの兄弟たちの助言」(§94)
ヨハ7:2~9
「サマリヤを通ってエルサレムに向かう」(§95)
ルカ9:51~56、ヨハ7:10
2.アウトライン
(1)出発前の出来事
①出来事の文脈
②兄弟たちの提案
③イエスの回答
(2)移動中の出来事
①出来事の文脈
②ヤコブとヨハネの提案
③イエスの回答
3.結論:3つのキーワード
(1)時
(2)この世
(3)復讐
エルサレムに顔を向けるイエスの姿から、クリスチャン生活の原則を学ぶ。
Ⅰ.出発前の出来事(ヨハ7:2~9)
1.出来事の文脈
「さて、仮庵の祭りというユダヤ人の祝いが近づいていた」 (2節)
(1)ユダヤの3大巡礼祭
①過越の祭り
*出エジプトの記念。メシアの身代わりに死の予表。
②七週の祭り(五旬節、ペンテコステ)
*律法の付与の記念。聖霊降臨の予表
③仮庵の祭り
*荒野の放浪の記念。メシア的王国の予表
*最も喜びに満ちた祭りである。
(2)時期的には、十字架の死の半年ほど前のことである。
①イエスの弟子たちは、メシア的王国の到来が近いと感じていた。
②人々の間では、イエスがメシア的王国をもたらすメシアであるかどうか話題に
なっていた。
(3)仮庵の祭りの成就は、メシア的王国の実現に直結している。
「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】
である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。地上の諸氏族のうち、万軍
の【主】である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝
いに上って来ない諸国の民を【主】が打つその災害が彼らに下る。これが、エジプト
への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。そ
の日、馬の鈴の上には、『主への聖なるもの』と刻まれ、【主】の宮の中のなべは、祭
壇の前の鉢のようになる。エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の【主】への聖
なるものとなる。いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮るよ
うになる。その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる」(ゼカ14:16~21)
2.兄弟たちの提案
「そこで、イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。『あなたの弟子たちもあなたがし
ているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。自分から公の
場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行う者はありません。あなたがこれらの事を行
うのなら、自分を世に現しなさい。』兄弟たちもイエスを信じていなかったのである」 (3~
5節)
(1)イエスの兄弟たち
①母を同じくする兄弟たちのことである。
②彼らは、最初はイエスに好意的であった(ヨハ2:12)。
③しかし、後に懐疑的になり、この時点ではイエスを疑っている。
(2)兄弟たちの挑戦
①イエスはガリラヤでは人気があったが、エルサレムでは排斥されていた。
②そこで兄弟たちは、ユダヤに上って自分を公にするように挑戦した。
③「あなたの弟子たち」とは、12弟子以外の弟子たちである。
④メシアであるなら、自分を公に表すべきだという挑戦である。
(3)不信仰の言葉
①皮肉に満ちた言葉でもある。
②もしイエスがメシアなら、自分たちも有名になれるという思いがあったのか。
③イエスもまた、まだ救われていない家族の問題で心を痛めた。
3.イエスの回答
「そこでイエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがた
の時はいつでも来ているのです。世はあなたがたを憎むことはできません。しかしわたし
を憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。あ
なたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りには行きません。わたしの時がま
だ満ちていないからです。』こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた」 (6~9節)
(1)イエスは、兄弟たちの助言に従ってエルサレムに上ることはない。
①イエスの時はまだ来ていない。
②イエスは、まだ王になることはできない。
(2)不信者の特徴
①神の御心を考慮しないので、時はいつでも来ている。
(3)兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスは内密にエルサレムに上られた。
①イエスの外見は、ごく普通のユダヤ人男性のそれであった。
Ⅱ.移動中の出来事 (ルカ9:51~56)
1.出来事の文脈 (51~53節)
「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御
顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町に
入り、イエスのために準備した。しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおら
れたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった」
(1)イエスは、ご自分の時に従って、エルサレムに向かわれた。
①イエスの公生涯のターニングポイントである。
②パウロもまた、エルサレムに向かっている。そしてローマへ(使19:21)。
③有能な作家は、プロットの変化を示すヒントを与えてくれる。
④「御顔をまっすぐ向け」とは、決意を示す言葉である。
(2)途中、サマリヤを通過された。
①ユダヤ人にとっては一般的な旅程ではなかったが、イエスはここを通過された。
②サマリヤの女の回心がきっかけで、多くのサマリヤ人がイエスに好意を持った。
③イエスは、使いを派遣して、宿泊の準備をさせた。
④しかし、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
⑤エルサレムから下ってくるユダヤ人は無視したが、エルサレムに上るユダヤ人
は妨害した。
*ゲリジム山に神殿があり、そこをエルサレム以上に重視した。
2.ヤコブとヨハネの提案 (54節)
「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。『主よ。私たちが天から火を呼び下して、
彼らを焼き滅ぼしましょうか』」
(1)ヤコブとヨハネの不寛容
①不寛容は、多くの場合、誤った特権意識から出てくる。
(2)エリヤの奉仕を思い出している。
①カルメル山での出来事(1列18:38)
②イスラエルの王アハズヤの兵士50人が焼き殺された(2列1:10)。
③2度目も同じことが起こった(2列1:12)
(3)エリヤの場合は、生死をかけた戦いをしている。
①サマリヤを通過するイエスの一行が置かれた状況とは、異なる。
3.イエスの回答 (55~56節)
「しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。そして一行は別の村に行った」
(1)イエスは、彼らの不寛容を戒めた。
①今は復讐の時ではなく、恵みの時である。
「すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてあ
る所を見つけられた。『わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福
音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされ
た。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいた
げられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために』」(ルカ4:
17~19)
(2)イエスには、サマリヤ人を裁くよりも重要な任務があった。
①エルサレムに向かって進んで行かれた。
結論
1.時
(1)イエスにとっては、「わたしの時」とは、十字架の時である。
①カナの婚礼での奇跡(ヨハ2:4)
②エルサレムに上らない理由(ヨハ7:8)
(2)時とは、神の御心の時である。
①ハーベスト・タイムは、種まきの時から、収穫の時に移行しつつある。
②神の時を認識している人には、今が「永遠の今」となる。
2.この世
「世はあなたがたを憎むことはできません。しかしわたしを憎んでいます。わたしが、世
について、その行いが悪いことをあかしするからです」(ヨハ7:7)
(1)世とは、悪魔が支配する人間社会のことである。
①世には、世の価値観や世界観がある。
②不信者には、この世との葛藤はない。
③この世の一部であるので、この世から憎まれることはない。
(2)イエスの価値観は、この世の価値観とは対立する。
①イエスは、その行いが悪いことを指摘するので、この世から憎まれる。
(3)クリスチャンは、この世に住んでいるが、この世のものではない。
「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。
しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び
出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです」(ヨハ15:19)
①この世とうまくいっているクリスチャンは、自分を吟味すべきである。
3.復讐
(1)今が恵みの時であるからといって、神を軽く扱ってはならない。
①恵みの時の後に、裁き(復讐)の時が来るからである。
(2)クリスチャンの心構え
①裁きを神に委ねる
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、
こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをす
る、と主は言われる』」(ロマ12:19)
②時が来たなら、すべては清算される。
③ヤコブとヨハネは、神の愛を理解した。
*殉教者ヤコブ
*愛の人ヨハネ
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