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メシアの生涯(99)—誰が一番偉いかという議論—
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弟子たちの議論を通して、真の偉大さとは何かを考える。
「誰が一番偉いかという議論」
§090 マコ9:33~37、マタ18:1~5、ルカ9:46~48
1.はじめに
(1)文脈の確認
①弟子訓練が佳境に入っている。
②すべての信者は、義認、聖化、栄化の過程を通過する。
*義認は、信仰と恵みによって与えられる、瞬間的な恵みである。
*聖化は、時間をかけた聖霊と私たちの共同作業である。
*栄化は、信者の最終的な希望である。
③聖化は、価値観の変化と並行して進んでいく。
*真に価値あるものがなんであるかを理解していく。
④きょうの箇所は、弟子たち全員への人レッスンである。
*プライドの問題
*§91でも同じテーマが続く。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「12弟子は、メシア的王国において誰が一番偉いかを議論した」(§90)
マコ9:33~37、マタ18:1~5、ルカ9:46~48
2.アウトライン
(1)弟子たちの関心事
(2)イエスの質問
(3)イエスの教え
3.結論:
(1)子どものようになる。
(2)子どもを受け入れる。
(3)人生に対する発想を転換する。
弟子たちの議論を通して、真の偉大さとは何かを考える。
Ⅰ.弟子たちの関心事
1.マタ18:1
「そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。『それでは、天の御国では、だれが
一番偉いのでしょうか』」
(1)イエスは、神殿税を支払った。
①イエスは、ペテロの分も支払った。
②残りの11人の分は、未払いになっている。
(2)イエスは、3人の弟子たちを特別扱いした。
①ペテロ、ヤコブ、ヨハネ
②彼らは、山頂でイエスの変貌を目撃した。
(3)先ず弟子たちの方からイエスに問題の解決を求めてきた。
①次にイエスが、より詳細な教えを付け加えたのであろう。
2.33節a
「カペナウムに着いた。イエスは、家に入った後、弟子たちに質問された」
(1)イエスの一行は、数か月の旅行を終えて、カペナウムに戻ってきた。
①異邦人の地を巡った。
②ピリポ・カイザリヤに行った。
③「家」とは、ペテロの家である。
(2)弟子たちは、メシア的王国の成就が近いことを感じていた。
①変貌山での出来事
②しかしイエスは、受難の予告をしておられた。
Ⅱ.イエスの質問
1.33節b
「道で何を論じ合っていたのですか」
(1)イエスは、弟子たちの議論の内容を知っておられた。
①「道で」とは、「道々」、「途上で」という意味である。
②イエスは、受難への道を歩んでおられた。
③弟子たちは、自己実現の道を歩んでいた。
2.34節
「彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである」
(1)彼らは答えなかった。
①恥ずかしかった。
②イエスに腹の底まで見抜かれていることに驚いた。
(2)ユダヤ人にとっては、序列は極めて重要な事項であった。
①古代社会では、誕生とともに自分の社会的序列が決まる。
②貧しい人たちは、資本がないので、貧しいままであった。
③経済的に成功しても、決められた序列から抜け出すのは容易ではなかった。
④多くのユダヤ人たちは、来るべき御国で序列が上がることを願っていた。
*出自による序列ではない。
*律法への忠実さに基づく序列である。
⑤クムラン共同体では、毎年、メンバーの序列の見直しが行われた。
*席順と発言の順番が、これで決まった。
(3)ルカの福音書14:7~11の例話
「招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエスは、彼らにたとえ
を話された。『婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あな
たより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、あなたやその人を招いた人が
来て、「この人に席を譲ってください」とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をか
いて、末席に着かなければならないでしょう。招かれるようなことがあって、行った
なら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、「どうぞもっと上席
にお進みください」と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになり
ます。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くさ
れるからです』」
(例話)日本での席順:席次
①洋室での席順:入り口のドアから遠い席が上座。ドアに近いほど下座になる。
②和室での席順:洋室と同じ。床の間があれば、それを背にした席が上座。
③円卓の場合:ドアから遠い席が上座。料理は上座の人から取り分ける。
④タクシーの車内:運転席の後ろが上座。次がその隣。助手席は下座。
Ⅲ.イエスの教え
1.35節
「イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。『だれでも人の先に立ちたいと
思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい』」
(1)座るのは、ラビが弟子たちを教える時の姿勢である。
①イエスは12弟子を招集した。
(2)序列に関して、新しい視点を与えた。
①神の国で最高の地位に就こうとするなら、自ら進んで仕える者となれ。
②この世で努力することや、高い地位に就くことを否定しているのではない。
③人の上に立つことが人生の目標になるなら、それは異常なことである。
④序列は、奉仕の結果として与えられるものである。
⑤この考え方を、サーバント・リーダーシップという。
2.マタ18:2~5(並行箇所)
「そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、言われた。『まこ
とに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、
決して天の御国には、入れません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、
天の御国で一番偉い人です。また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名
のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです』」
(1)この子どもは、おそらくペテロの子であろう。
①当時、子ども地位は非常に低かった。
②子どもに関心が向けられることは、ほとんどなかった。
③イエスは、最大の弱者である子どもに目を向けた。
(2)イエスは、子どものように謙遜になる者が、メシア的王国で一番偉い人だと言わ
れた。
3.36~37節
「それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き
寄せて、彼らに言われた。『だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえ
に受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れる
ならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです』」 (1)イエスは、子どもを受け入れた。
①偉大な人は、最も評価の低い幼子たちにも仕えるのである。
(2)三段論法
①イエスの名のゆえに、幼子を受け入れるなら、イエスを受け入れたことになる。
②イエスは、父から遣わされている。
③それゆえ、幼子を受け入れるなら、父なる神を受け入れたことになる。
(3)1サム8:6~7の例
「彼らが、『私たちをさばく王を与えてください』と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは【主】に祈った。【主】はサムエルに仰せられた。『この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから』」
結論
1.子どものようになる。
(1)子どもは、家庭における序列について心配しない。
(2)信者は、神の前で「幼子」の心を持つべきである。
(3)プライドの根は、「不安感」である。
(例話)麓に残された弟子たちの不安。
(例話)カルト的リーダーの問題
(4)その解決策は、イエス・キリストを通して啓示された父なる神の愛を知ることに
ある。
2.子どもを受け入れる。
(1)最も小さき者を受け入れるということ。
(2)その者の内に、キリストを見る。
(例話)イスラエルで会った女性が、日本を訪問した。
(3)子どもへの奉仕は、2級の奉仕ではない。
3.人生に対する発想を転換する。
(1)真のリーダーは、人を使うのではなく、人に仕える。
(2)イエスは、隣人に仕え、その命を犠牲にするために来られた。
(3)発想の転換
①為すべきことは、頼まれる前に、進んで為せ。
②地位や名誉のためではなく、人に仕えるために生きよ。
(4)永遠の世界に入る準備を、今から始めるのである。
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