私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(80)—3度目のガリラヤ伝道(2)—
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12使徒の派遣について学ぶ。
「3度目のガリラヤ伝道(2)」
§070 マタ10:16~33
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの公生涯は、弟子訓練の段階に入っている。
②3度目のガリラヤ伝道では、弟子たちを2人一組にして、派遣している。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「3度目のガリラヤ伝道」(§70)
マタ9:35~11:1
(3)この箇所を7分割して学ぶ。
①使徒たちを派遣する必要性(9:35~10:4)
②使徒たちへの具体的指示(10:5~15)
③迫害への警告(10:16~23)
④拒否への警告(10:24~33)
⑤拒否の結果(10:34~39)
⑥信じる者への報い(10:40~42)
⑦結語(11:1)
2.アウトライン
(3)迫害への警告(10:16~23)
①状況認識
②神の計画の認識
③迫害の原因の認識
(4)拒否への警告(10:24~33)
①原則
②イエスと同じ理由で迫害される。
③しかし、恐れてはいけない。
④イエスを告白せよ。
3.結論:重要な4つの聖句の適用
12使徒の派遣について学ぶ。
Ⅰ.迫害への警告(10:16~23)
1.状況認識
「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなもので
す。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」 (16節)
(1)宣教への派遣は、観光旅行ではない。
①宣教地は、戦場である。
②キリストの兵士としての心構えが必要となる。
(2)「狼の中に羊を送り出すようなもの」
①狼とは、キリストに敵対する人たちである。
②マタ7:15
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うち
は貪欲な狼です」
(例話)イスラエルのネタニヤフ首相(10月1日の国連総会での一般討論演説)
「核開発について言えば、アフマディネジャド(前大統領)がオオカミの衣をま
とったオオカミだったのに対し、ロハニは羊の皮をかぶったオオカミだ」
(3)「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」
①蛇のようにさとくとは、危険を避ける知恵のこと。
②鳩のようにすなおとは、敵に害を与えないこと。
*ギリシア語で「アケライオイ」。
*英語で「harmless」。
*混じりけがないということ。
*人格と信仰による勝利
2.神の計画の認識(17~20節)
(1)預言的警告
「人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちます
から。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれ
ます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです」 (17~18節)
①この部分は、教会設立以降の宣教に関する教えである。
②使5:40
「使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならない
と言い渡したうえで釈放した」
③「人々」とは、イエスを拒否するユダヤ人たち。
④「総督たちや王たち」とは、異邦人の支配者たち。
⑤迫害の目的は、「あかしをするため」である。
⑥これが神の視点である。
(2)預言的励まし
「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配す
るには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話す
のはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊
だからです」 (19~20節)
①父の御霊(聖霊)が話すべき言葉を与えてくれる。
②その結果、イエスの弟子たちは解放される。
3.迫害の原因の認識(21~23節)
(1)裏切りへの備え
「兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼
らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれま
す。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます」 (21~22節)
①迫害が激しくなると、兄弟間、親子間の裏切りに至る。
②迫害の原因は、「キリストの名のため」である。
③弟子たちを憎んだのは、キリストを憎んだことである。
(2)移動への備え
「彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、
確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは
決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです」 (23節)
①時間は限られている。
②「人の子が来るときまで」とは、イエスのエルサレム入城の時であろう。
Ⅱ.拒否への警告(10:24~33)
1.原則
「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません」 (24節)
(1)弟子たちの当惑を予想して、語っている。
①メシアの弟子がなぜ苦難に会うのか。
(2)弟子たちはイエスと同じ道を歩む。
①弟子は、師よりも勝っていない。
②しもべは、主人よりも勝っていない。
2.イエスと同じ理由で拒否される。
「弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。
彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶ
でしょう」 (25節)
(1)イエスは、ベルゼブルによって悪霊を追い出していると言われた。
①弟子たちも、同じ理由で拒否される。
②イエスは家長であり、弟子たちは家族の者である。
3.恐れではいけない。
「だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、
隠されているもので知られずに済むものはありません。わたしが暗やみであなたがたに話
すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めな
さい。からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんな
ものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二
羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがた
の父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、
みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よ
りもすぐれた者です」 (26~31節)
(1)恐れる必要はない。
①むしろ、個人的にイエスから聞いたことを公に言い広める。
(2)恐れなくてもいい理由
①彼らは、からだを殺しても、たましいを殺せない。
②恐るべきは、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方。
*これは、畏怖の恐れである。
③天の父は、雀の一羽でも守っておられる。
*2羽1アサリオン(銅貨)
④「あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です」
⑤頭の毛さえも、みな数えられている。
4.イエスを告白せよ。
「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前
でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも
天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います」 (32~33節)
(1)「認める」とは、告白することである。
①ギリシア語で「ホモロゲオウ」である。
②英語で「confess」である。
③恥ずかしく思わないということである。
④その究極的な形が、殉教の死である。
(2)地上でイエスを告白するかどうかが、次の世の運命を決する。
①イエスを告白するなら、イエスは天の父の前でその人を信者と認めてくださる。
②イエスを拒否するなら、イエスは天の父の前でその人を拒否される。
③12使徒の中で、イスカリオテのユダだけがイエスを拒否した。
結論:
1.マタ10:19
「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するに
は及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです」
(1)極端な適用はよくない。
(2)事前に説教の準備をする必要はないというのは、誤りである。
(3)この聖句は、今日の私たちには無関係であるというのも誤りである。
2.マタ10:22
「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後ま
で耐え忍ぶ者は救われます」
(1)これは、業による救いを教えているのではない。
(2)エペ2:8~9
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身か
ら出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇る
ことのないためです」
(3)最後まで耐え忍ぶ者は、肉体の命が守られるという意味でもない。
(4)忍耐は、真に救われていることの証拠である。
(5)マタ24:13
「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます」
①大患難時代のレムナント(ユダヤ人信者)
②使徒たちは、大患難時代のレムナントの型となっている。
3.マタ10:24
「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません」
(1)イエスは、自分が経験していないことを弟子たちに押し付けることはない。
(2)ヘブ4:15
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されま
せんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」
4.マタ10:28
「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなもの
より、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」
(1)肉体の死は、クリスチャンにとっては最大の悲劇ではない。
(2)死はキリストとともにいることである。今の状態よりもはるかによい。
(3)罪、病、悲しみ、苦難からの解放である。
(4)永遠の栄光への移行である。
(5)事実、死はクリスチャンに起こる最高の祝福である。
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