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ルカの福音書(59)恐れなき信仰告白12:1~12
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恐れなき信仰告白の重要性について学ぶ。
ルカの福音書 59回
恐れなき信仰告白
ルカ12:1~12
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカ9:51からエルサレムへの旅が始まった(ルカ9:51~19:27)。
②ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
(2)今後の展開
①前回の箇所では、イエスに対する拒否がクライマックスを迎えた。
②拒否という現実がある中で、弟子としていかに生きるべきかが教えられる。
③クリスチャンは、霊的戦いに巻き込まれている。
(3)ルカ12:1~13:17の内容
①恐れなき信仰告白(12:1~12)
②永遠の視点(12:13~21)
③神の備え(12:22~34)
④人の子の来臨(12:35~48)
⑤苦難の日の予告(12:49~59)
⑥悔い改めの勧め(13:1~9)
⑦教えの正しさを証明するしるし(13:10~17)
(4)注目すべき点
①7つのポイントは、拒否という現実の中でいかに生きるべきかを教える連続し
たメッセージである。
②教えの対象は、弟子たちから群衆に広がっていく。
③最後に出てくる病の癒しは、イエスの教えの信頼性を保証するしるしである。
2.アウトライン
(1)パリサイ人のパン種(1~3節)
(2)5羽の雀のたとえ(4~7節)
(3)恐れなき信仰告白(8~12節)
3.結論
(1)偽善とは
(2)恐れなき信仰告白とは
(3)聖霊に逆らう罪とは
恐れなき信仰告白の重要性について学ぶ。
Ⅰ.パリサイ人のパン種(1~3節)
1.1節
Luk 12:1
そうしているうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに話し始められた。「パリサイ人のパン種、すなわち偽善には気をつけなさい。
(1)イエスの教えは、第一義的には弟子たちに向けられたものである。
①しかし、多数の群衆が集まって来て、イエスの教えに耳を傾けた。
*「数えきれないほどの」とは、誇張法である。
(2)イエスは、パリサイ人の偽善を取り上げ、偽善の危険性について警告を発する。
①マタイの文脈では、この教えは12使徒派遣の前に語られたものである。
②ルカの文脈では、この教えはエルサレムへの旅の途上で語られたものである。
③イエスは、同じ教えをくり返されたということである。
④教えの内容は、迫害の中での恐れなき信仰告白の重要性である。
(3)「パリサイ人のパン種」
①パン種は、パンを焼く際に必要なものである。
②比ゆ的に用いられた場合は、「悪影響を与えるもの」という意味になる。
③パン種は、小さな塊が粉全体に影響を及ぼす。
④パン種は、パリサイ人の誤った教えである(マタ16:6、12、マコ8:15)。
⑤ルカの福音書では、パン種はパリサイ人の偽善である。
⑥偽善とは、邪悪な内面を敬虔そうな行為によって隠すことである。
2.2~3節
Luk 12:2
おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません。
Luk 12:3
ですから、あなたがたが暗闇で言ったことが、みな明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことが、屋上で言い広められるのです。
(1)ここで、霊的真理が語られる。
①偽善によって今は隠されていることは、やがて明らかにされる。
②人間の経験としては、必ずしもそうとは言えない。
③イエスは、全知全能の神がおられることを前提に、これを語っている。
④クリスチャンの希望は、神はすべてをご存じだという点にある。
⑤神の前に立ったとき、すべてのものが明るみに出される。
(2)弟子たちへの励ましが語られる。
①迫害のゆえに隠れて行う福音伝達が、公然とできるようになる。
②奥の部屋で耳にささやいたことが、屋上で言い広められる(比ゆ的ことば)。
③このことは、聖霊降臨以降に成就する。
*ユダヤ人がイエスを拒否する。
*イエスが十字架上で死に、復活し、昇天する。
*聖霊が降臨する。
*弟子たちによる福音伝達が開始される。
Ⅱ.5羽の雀のたとえ(4~7節)
1.4~5節
Luk 12:4
わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。
Luk 12:5
恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。
(1)イエスは、弟子たちのことを「わたしの友」と呼ばれた。
①イエスの友とは、試練の中でも恐れなく信仰を告白する者である。
②その人は、肉体の死さえも恐れない。
③イエスは、弟子たちを忠実な福音の使者と認めておられる。
④共観福音書でイエスが弟子を「友」と呼ぶのはここだけ(ヨハ15:13~15)。
⑤友は、苦難をともにし、同じ目的のために労する。
(2)イエスの弟子は、迫害する者ではなく、神を恐れる。
①神を恐れるなら、人に対する恐れはなくなる。
②神は最後の裁きを行われるお方である。
③人間の迫害者は、からだを殺した後は、何もできなくなる。
④もし神を否むなら、信者は永遠の報賞を失うことになる。
⑤さらに不信者の場合は、ゲヘナに投げ込まれることになる。
*ルカの福音書でゲヘナへの言及があるのは、ここだけである。
*ゲヘナは、永遠の苦しみの場所である。
2.6~7節
Luk 12:6
五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。
Luk 12:7
それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。
(1)ここにあるのは、小から大への議論である。
①神は、雀のことを覚えておられる。
②雀は、5羽が2アサリオンで売られている。
*雀は、貧者の安価な食べ物であった。
*アサリオンは、ローマの貨幣の単位で、16分の1デナリに相当した。
*2羽が1アサリオンで売られる場合もあった。
*2羽が最小単位で、次が5羽であった。
③雀は人間よりもはるかに価値が低いものである。
④それなら、神が弟子たちのことを覚えておられるのは、当然である。
⑤弟子たちの神の毛さえ、すべて数えられている。
*神の許しがなければ、神の毛1本地に落ちることはない。
(2)この議論は、迫害する者を恐れなくてもよい理由になっている。
①神の愛は、子どもを守る父親の愛である。
Ⅲ.恐れなき信仰告白(8~12節)
1.8~9節
Luk 12:8
あなたがたに言います。だれでも人々の前でわたしを認めるなら、人の子もまた、神の御使いたちの前でその人を認めます。
Luk 12:9
しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。
(1)弟子たちにの前には、2つの道が置かれている。
①公に、イエスがメシアであることを認める(告白する)道
*その人は、祝福を得る。
*イエスは、天使たちの前でその人を認めてくださる。
②人々の前でイエスを拒否する道
*その人は、不信仰の結果を刈り取る。
*イエスは、天使たちの前でその人を拒否する。
(2)イエスによる裁きは、死後に行われる。
①信者にとっては、「キリストの御座の裁き」がそれである(1コリ3:10~15)。
②これは報賞のための裁きである。報賞が多いか少ないかは、これで決まる。
③弟子たちは、生涯を通して忠実に歩んだかどうかが判定される。
2.10節
Luk 12:10
人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されません。
(1)赦される罪
①イエスのメシア性を否定しても、後に悔い改めるなら赦される。
②パウロは、イエスを信じる信仰によって赦された。
(2)赦されない罪
①聖霊を冒涜する罪は、赦されない。
②これは、ベルゼブル論争でユダヤ人たちが犯した罪である。
③この罪は、ユダヤ人の歴史の分水嶺となった。
Luk 12:11
また、人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。
Luk 12:12
言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」
(1)イエスは、弟子たちの苦難を予見しておられる。
①彼らは、ユダヤ人の指導者や異邦人の権力者の前で、証言するようになる。
②そのことを今から心配する必要はない。
③言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださる。
(2)聖霊の2面性
①聖霊に対する冒涜は、赦されない。
②聖霊に信頼するなら、弁明のことばが与えられる。
*これは通常の説教のことではない。
*審問を受けた際に与えられる弁明のことばのことである。
結論
1.偽善とは
(1)内面と外面が一致しない見せかけの行為である。
(2)真理を知っていながら、行動に移さないことである。
(3)自己中心的な動機で生きることである。
(4)信仰を厳格な規則の体系に置き換えることである。
2.恐れなき信仰告白とは
(1)弟子は、迫害に遭っても沈黙すべきではない。
(2)使徒の働きの中では、弟子たちの勇気ある証言が何度も出てくる。
(3)使4:8~12
Act 4:8
そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
Act 4:9
私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
Act 4:10
皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
Act 4:11
『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
Act 4:12
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
3.聖霊に逆らう罪とは
(1)イエスは、旧約聖書に預言されていたメシア的王国を提供しておられた。
(2)聖霊がイエスのメシア性を示した場合、それを否定するなら、赦しはない。
(3)この罪は、個人的な罪ではなく、民族的(国家的)罪である。
(4)この罪は、イエスと同時代のユダヤ人だけが犯すことのできる罪である。
(5)その裁きは、紀元70年にやって来た。
(6)今でもユダヤ人たちは、その裁きの影響を受けている。
(7)メシア的王国の成就は、先に延ばされた。
(8)聖書は、この罪以外ならどんな罪でも赦されると教えている。
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