私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.17 神を「父なる神」と呼ぶのはなぜ?
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「父なる神」と言うからには、神様は男なのでしょうか?神様は性別を超越された存在で、男でも女でもないのなら、どうして母なる神と言ってはいけないの?そんな疑問を、スッキリ解決しちゃいましょう!
Q.17 神を「父なる神」と呼ぶのはなぜ?
Q. 質問
神様はよく「父なる神」と呼ばれていますが、神様は男性なのですか。「母なる神」と呼んではいけないのですか。
A. 回答
とても重要な質問だと思います。いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、「父なる神」というのは、比喩的言葉です。
つまり、神様を喩えて「父なる神」と呼んでいるわけです。古代中近東における父親の役割が、神の性質を表現するのに最も適している、という判断がここにあります。
父親というのは、家族全体に目を配り、家族を守り育てる役割をします。また、家族に宗教教育を施すのも、父親の役割です。ですから、神様を「父なる神」と呼ぶのです。しかし、比喩的言葉には常に限界があります。ですから、その限界を知っておかなければなりません。
「父」というのは人間です。神は人間ではありません。「父」というのは男性です。しかし、神には性別はありません。男性、女性という性別は「被造世界」の中で作られた「区別」なのです。神様は、それを超越しておられるお方です。ですから、比喩的言葉の限界を知る必要があるのです。
2番目に、聖書は神様のことを、「父親」としても「母親」としても描いています。
例えば、イザヤ書にこういうことばがあります。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」(イザヤ書49:15)
このように聖書は、人間の女が子供に対して抱く想いを、神様の想いに置き換えて表現しています。
あるいは、イエス様がこう語っておられます。
「わたしは、めんどりがひなをその翼の下に集めるように、あなた方を集めようとした」(マタイの福音書23:37)
この場合は、イエス様がご自分のことを「めんどり」に喩えておられます。
このように、聖書は神様のことを父としても母としても描いているのです。
3番目に、ではなぜ「母なる神」という言葉が出てこないのか、考えてみましょう。
「母なる神」という言葉を使用した場合、問題はないのでしょうか。私は、問題があると思います。その理由は、聖書の言葉というのは、神様が選ばれた言葉だからです。ある言葉を選び、ある言葉を選んでいない。その背後には、それぞれの理由があるのです。
聖書が「母なる神」という言葉を使っていない理由は、それが「偶像礼拝」につながる恐れがあるからです。多神教の神、多産の神、豊穣の神などは、おおむね「女性の神」、つまり「女神」ですね。イスラエルで遺跡を発掘すると、偶像神が出てくることがあります。出土したカナン人の偶像神は、女性が大きな乳房を両手で抱えて、「私が豊穣の神だ」と自己主張しているように見えます。
以上のことから、聖書は神様を父としても母としても描いているけれども、私たちが神様に呼びかけるときは、「母なる神」ではなく「父なる神」という言葉を使うべきだと思います。
参考になる聖句
「だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように』」(マタイの福音書6:8〜10)
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