私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.7 罪とはなんですか?
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聖書が言う罪とは警察の厄介になることでしょうか?昔ワルだったけど、いまはそれを上回る善行を積んでるから大丈夫?どうも、そんな基準自体が、的を外しているみたいです。聖書は、まず問題は何なのかを教え、どうすれば解決するのか示しています。
Q.7 罪とはなんですか?
Q. 質問
わたしはこれまで、「罪とは、人間が決めた法律を破ることだ」と考えていました。しかし、嘘をついてしまったときにふと、神は私たちの何を罪とするのか気になりました。考えると、思い当たることが多くて怖くなります。罪とは何か教えてください。
A. 回答
これは、直球を投げるような質問です。ズバッときますね。日本人には「罪」という言葉は、非常に抵抗感があります。「あなたは罪人だ」と言われるのが嫌で、教会に行きたくない、という方が沢山いらっしゃいます。
さあ、聖書は罪についてどういう風に教えているか、3つ申し上げます。
1番目は、「罪」の定義です。
罪とは「的外れ」のことです。的が外れているのです。では、的とは何なのか。それは、「創造主」のことです。宇宙を創り、地球を創り、そして「私たち」を創った方が、創造主です。その創造主のことを忘れている状態、あるいは、創造主から離れている状態、さらに、創造主に背を向けている状態が「的外れ」なのです。これを、私たちは「罪」と言います。
しかし2番目に、罪とは「神の法」に背くことでもあります。神の律法に背くことが、「罪」です。
例えば、旧約聖書の出エジプト記に、「十戒」という命令が出てきますけれども、これを読んで嬉しくなる人は、ほとんどいないと思います。これを読むと何が起こるかというと、辛くなるのです。切なくなるのです。なぜなら、「ああ、私はこれとはほど遠い生活をしているなぁ…」と思わざるを得ないからです。
あるいは、新約聖書の福音書で、イエス・キリストが語られた「山上の垂訓」を読むと、これがまた辛くなります。「山上の垂訓」を読んで、「よかった!私、全部やってる!」という人はいないはずです。日本の文学者の中にも、熱心に、真剣に「山上の垂訓」を読んで、絶望して自殺した人もいるわけです。
「十戒」や「山上の垂訓」を読んで喜ぶ人はいません。むしろ、自分自身の姿が見えてきてがっかりするわけです。その理由は、「罪」とは「神の律法に背くこと」であって、「まさに私がそのような人間だ」という風に感じるからですね。
でも、そう感じることは悪いことではありません。そこがスタートになって、救いの道を求めるということが起こってくるわけです。イエス・キリストの「十字架」というのは、実はそういう「罪人の身代わり」としてキリストが死んでくださったので、キリストを信じる人は「新しい原則」で生きることができるようになるという、グッドニュースなわけです。それはまた別のテーマですから、いつかの機会に取り上げたいと思います。
次に、3番目の定義です。罪とは、内面の状態のことであり、同時に外面の行為でもあります。
内面が間違っているから、外面の行為も間違ってくるというのが、聖書の主張です。例えば、私たちは、嘘をつく人のことを「嘘つき」、物を盗る人のことを「盗人」と言います。しかし、聖書の原理はそうではありません。「嘘つき」の性質を持っているから、嘘をつくのです。「盗む」という性質を持っているから、人の物を盗むのです。盗んだから「盗人」になったり、嘘をついたから「嘘つき」になったりするのではないのです。
まず、内面に問題がある。だから、外面の行為が出てくる。これが、聖書が教える「罪」という概念です。
先ほど申し上げたように、この「罪」の問題の解決法は、なおも頑張って自分の行為を麗しくし、善行を積み上げて、ついに救いに至るというようなものではないのです。それは、極めて非現実的です。もし、それが本当なら、歳をとった人ほど麗しい人格で、素晴らしい人になっていくはずですけれども、自分自身を考えても、どうもそうは思えません。
聖書が提供する「罪」の解決法は、先ほど申し上げたように、キリストの十字架による赦ししかないのです。
参考になる聖句
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(ヨハネの手紙第一4:10)
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペ2:8〜9)
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