私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q477 弟子とは誰のことですか。
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477 弟子とは誰のことですか。
Q:信じた瞬間からキリストの弟子だと考え、公言してもよいのでしょうか。所属教会では「信者は清いが、キリストの弟子は別で、覚悟が必要」と教えられました。聖書的に正しいなら、謙遜に名乗ることは問題ないでしょうか。
はじめに
これはクリスチャンの自己認識に関わる質問です。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、「弟子(マテーテス)」とは、一般的な意味では、イエスを信じる者です。
(1)多くの箇所で、「弟子」は単に「イエスを信じ、従った群衆全体」を指します。
(2)ヨハネ8:31、使徒6:1
(3)使徒11:26。
「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」
(4)英語の「follower of Jesus」という表現
2番目に、より厳密な意味では、献身的に従う者としての「弟子」です。
(1)ルカ14:26~27、33
(2)「救いの条件」ではなく、救いを得た後の「成長・従順・献身」のプロセスです。
3番目に、救われた瞬間から「弟子」と名乗ることは聖書的で健全です。
(1)「弟子」は身分であり、その後の成長はプロセスです。
(2)救われた瞬間に神の子となるのと同じように、救われた瞬間にキリストの弟子という身分を授かります。
(3)その後の従順・献身・学びは、弟子として成長する歩みです。
(4)「弟子」と名乗ることは高慢ではありません。
(5)神の恵みによって「弟子」とされたことを感謝する表現です。
(6)「私は主に従いたいと願う者です」という謙虚な表明です。
クリスチャンは全員キリストの弟子です。




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