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ヨハネの福音書(55)「有罪判決」ヨハ19:1~16
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人の悪意の中で神の計画は進む。3つの悪意を取り上げる。
ヨハネの福音書(55)
「有罪判決」
ヨハ19:1~16
1.文脈の確認
(4)イエスの受難(18~20章)
①イエスの逮捕(18:1~11)
②イエスの宗教裁判(18:12~27)
③イエスの政治裁判(18:28~40)
④有罪判決(19:1~16)
2.注目すべき点
(1)皮肉的にイエスが「ユダヤ人の王」であることが描かれる。
(2)ピラトの「見よ、この人だ」の意味に注目する。
(3)ユダヤ人は訴因を宗教的なものに変更する。
(4)ピラトの恐れの意味とその結果に注目する。
人の悪意の中で神の計画は進む。
3つの悪意を取り上げる。
Ⅰ.不正な裁きを行うピラト(1~6節)
1.1~3節
Joh 19:1 それでピラトは、イエスを捕らえてむちで打った。
Joh 19:2 兵士たちは、茨で冠を編んでイエスの頭にかぶらせ、紫色の衣を着せた。
Joh 19:3 彼らはイエスに近寄り、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、顔を平手でたたいた。
(1)革ひもに金属や骨片を埋め込んだ鞭で打った。
①鞭打ちは、背中を裂き、時に内臓まで損傷させる残酷な刑罰。
②多くの者がこの鞭打ちで命を落とした。
(2)ここでの鞭打ちは、イエスを釈放しようとするための策略である。
①ピラトは、血を見れば群衆は満足するだろうと考えた。
②通常は、刑場に着いてから鞭打ちを行う。
③イエスは2度の鞭打ちを受けた。1度目の鞭打ちは軽めであった。
(3)兵士たちも、イエスを嘲った。
①いばらの冠を頭にかぶらせた。
②紫色の衣を着せた。
*紫はローマ世界で王や高官を象徴する色。
③顔を平手で打った。
*「万歳(カイレ)」は皇帝に献げる敬礼のことば。
*平手で打つのは、侮辱を与えるための行為。
*イザヤ書53章「彼は侮辱され、ののしられても口を開かなかった」
(4)ヨハネの神学
①人間の意図は、イエスに対する侮辱であった。
②しかし、イエスがユダヤ人の王であることが逆説的に浮かび上がる。
③アダムは楽園に茨による呪いをもたらした(創3:18)。
④最後のアダムは、茨を冠としてかぶることにより、人類の呪いを身に負った。
2.4~5節
Joh 19:4 ピラトは、再び外に出て来て彼らに言った。「さあ、あの人をおまえたちのところに連れて来る。そうすれば、私にはあの人に何の罪も見出せないことが、おまえたちに分かるだろう。」
Joh 19:5 イエスは、茨の冠と紫色の衣を着けて、出て来られた。ピラトは彼らに言った。「見よ、この人だ。」
(1)ピラトは、再度イエスをユダヤ人たちの前に連れてきた。
①無罪宣言を行うためであった。
②無残な姿を見せ、「これで十分ではないか」と訴えようとした。
③「見よ、この人だ」
*「Ἰδοὺ ὁ ἄνθρωπος」、「エッケ・ホモ」(ラテン語)
(2)ヨハネの神学
①イエスを最後のアダムとして提示している。
②イエスを人間の弱さと苦しみを担う「人類の代表」として提示している。
③イエスを見ることは、神の裁きを受ける自分の姿を見ることである。
④神の計画は着実に進められている。
3.6節
Joh 19:6 祭司長たちと下役たちはイエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは彼らに言った。「おまえたちがこの人を引き取り、十字架につけよ。私にはこの人に罪を見出せない。」
(1)血に飢えたユダヤ人たちを静める方法はなかった。
①彼らは、「十字架につけろ」と激しく叫んだ。
②2度くり返されているのは、憎悪の激しさを示している。
(2)ピラトは、投げやりな拒絶のことばをくり返した。
①ピラトの「無罪宣言」は、これが3度目である(18:38、19:4、6)。
②ローマ法的にはイエスは完全に無罪であることが強調されている。
③「おまえたちが……十字架につけよ」は皮肉である。
④ユダヤ人たちは十字架刑にこだわった。
⑤詩22篇、ゼカ12:10 によると、メシアは「刺し貫かれる」必要があった。
Ⅱ.神の子を拒否する宗教指導者(7~11節)
1.7節
Joh 19:7 ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。その律法によれば、この人は死に当たります。自分を神の子としたのですから。」
(1)ユダヤ人たちは、ローマ法で無罪でも、律法では死罪に値すると述べた。
①「この人は自分を神の子とした」
*神と等しい者とした。冒とく罪(レビ24:16)に相当する。
②ヨハネの福音書全体のクライマックスの提示である。
(2)神学的告発(冒涜)を政治的処刑(十字架)につなげるという不自然な構造。
①不自然な構造を通して神の計画が前進する。
2.8節
Joh 19:8 ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れを覚えた。
(1)「神の子」ということばが、ピラトに大きな衝撃を与えた。
①ローマ人にとって「神の子」(divi filius)は耳慣れた表現だった。
②皇帝崇拝において、皇帝は「神の子」と称される。
③ギリシア・ローマ神話では、人間と神の間に生まれた英雄を「神の子」と呼ぶ。
④ピラトは、宗教的論争ではなく、超自然的存在を侮辱している可能性に直面。
⑤イエスが持っている静かな威厳が、ピラトに良心の呵責を与え始めた。
(2)恐れの二重性
①政治的恐れ(暴動、カエサルへの報告)
②宗教的恐れ
(3)ヨハネの神学における逆説
①イエスを拒絶する群衆と、イエスに畏怖を抱く異邦人総督
②イエスは、世界にとって畏怖すべき存在である。
(4)新しい訴因が出て来たので、裁判のやり直しが始まる。
①ここで、ピラトは再度官邸に入る。
3.9~11節
Joh 19:9 そして、再び総督官邸に入り、イエスに「あなたはどこから来たのか」と言った。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。
Joh 19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「私に話さないのか。私にはあなたを釈放する権威があり、十字架につける権威もあることを、知らないのか。」
Joh 19:11 イエスは答えられた。「上から与えられていなければ、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに引き渡した者に、もっと大きな罪があるのです。」
(1)ピラトは、イエスの出身地を聞いた。
①彼は、イエスがガリラヤ出身であることを知っていた。
②ピラトには、イエスに対する恐れが芽生えていた。
(2)イエスは沈黙された。
①イザ53:7の成就
*イエスは、神の計画に従っておられた。
②ピラトは、イエスが自分を弁護しないので不思議に思った。
③ピラトは、自分にはイエスを救う力があると告げた。
*状況をコントロールできていない苛立ちが見える。
(3)イエスは2つのことを告げた(自己弁護ではない)。
①ピラトの権威は、限定的に神から委託されたものである。
②ピラトよりも、イエスを十字架に付けるために渡した者たちの罪の方が重い。
*大祭司カヤパの罪、ユダヤ人の指導者たちの罪
*ピラトにも罪はある。使3章のペテロのメッセージ。
*使徒信条の中にピラトの名が出てくる。
Ⅲ.世の王を選ぶ人々(12~16節)
1.12節
Joh 19:12 ピラトはイエスを釈放しようと努力したが、ユダヤ人たちは激しく叫んだ。「この人を釈放するのなら、あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者はみな、カエサルに背いています。」
(1)ピラトはイエスを釈放しよと努力した。
①イエスの罪を見出すことができない。
(2)宗教的告発(神の子)から、政治的告発(反カエサル罪)への転換が起こる。
①自分を王とする者はカエサルに背く者である。
②もしイエスを釈放するなら、カエサルに背く行為に加担したことになる。
③そうなれば、あなたは「カエサルの友」ではなくなる。
*ローマ皇帝の忠実な支持者に与えられる公式称号
④当時の皇帝は、ティベリウスである。
*病気になっており、猜疑心が強く、残酷な状態にあった。
*ピラトは、ユダヤ人たちが皇帝に直訴するのを恐れた。
(3)ヨハネの神学
①群衆は「カエサルこそ王だ」と告白し、メシアを拒絶。
②「真の王イエス」が拒まれることで救いの道が開かれる逆説を強調。
2.13~14節
Joh 19:13 ピラトは、これらのことばを聞いて、イエスを外に連れ出し、敷石、ヘブル語でガバタと呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。
Joh 19:14 その日は過越の備え日で、時はおよそ第六の時であった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「見よ、おまえたちの王だ。」
(1)官邸の中庭の「敷石」と呼ばれる場所で判決が下される。
①この日は、7日間の種なしパンの祭りの備え日であた。
②第六の時とは、午前6時である。
③ヨハネは意図的に過越の羊とイエスを重ねて描いた。
(2)ピラトは、「見よ、おまえたちの王だ」と皮肉を言った。
①ヨハネの神学的視点からは、真理を告げる証言となっている。
②逆説的に、ローマ総督自身がイエスの王権を公に宣言することになった。
3.15~16節
Joh 19:15 彼らは叫んだ。「除け、除け、十字架につけろ。」ピラトは言った。「おまえたちの王を私が十字架につけるのか。」祭司長たちは答えた。「カエサルのほかには、私たちに王はありません。」
Joh 19:16 ピラトは、イエスを十字架につけるため彼らに引き渡した。/彼らはイエスを引き取った。
(1)ピラトと祭司長たちのやり取り
①「除け、除け、十字架につけろ。」
*共同体から徹底的に排除せよという意味
②「おまえたちの王を私が十字架につけるのか。」
*皮肉と苛立ちが混ざっている。
③「カエサルのほかには、私たちに王はありません。」
*ユダヤ人の王(メシア)を拒否した。
*イスラエルの真の王は神ご自身(1サム12:12、詩5:2など)
*これがイスラエルの公式なメシア拒否の宣言となる。
(2)「ピラトは、イエスを十字架につけるために彼らに引き渡した。」
①背後では、神が「御子をお与えになった」(3:16)の成就として描かれる。
②人間の悪意による「引き渡し」が、神の愛の「お与え」へと転換している。
結論:今日の信者への適用
1.理不尽な状況の中でも神のご計画を信じる。
(1)人間の裁きはしばしば不正なものである。
(2)しかしその中で、神の救いの計画は進められていた。
(3)私たちも不条理に直面するが、神の御手が働いていると信じることができる。
2.嘲笑の中でこそ真理を証しする。
(1)茨の冠も紫の衣も、兵士たちは侮辱のために用いた。
(2)結果的には「イエスは王である」という真理を示すしるしとなった。
(3)私たちが世から嘲られても、神はその辱めを用いてご栄光を表してくださる。
3.誰を王とするのかを選び取る。
(1)祭司長たちは「カエサルのほかに王はない」と宣言した。
(2)これはイスラエルの公式なメシア拒否であった。
(3)私たちも「この世の権力か、イエスか」という選択を迫られる。
(4)「イエスは王」という告白は、一度限りであると同時に継続すべきものである。
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